直木賞作家の伊集院静さんが11月24日、肝内胆管がんのため死去した。
73歳だった。
作家ならではの鋭い観察眼と示唆に富んだ言葉で、
向かうべき道筋を作家・小池真理子さんと 豊かに語り合った。
(2006年1月3日:産経新聞・石野伸子編集委員)。
2006年1月3日付の産経新聞に掲載した「新春特別対談」のアーカイブ記事です。
◆痛切に感じる世代の断絶。
団塊世代が定年を迎え、社会が大きく変わっていくという予感。
個人の生き方も問われてくる。
「会社人間」から「個人」にかえったとき、
人はどう生きがいを見つけるのか。
あとに続く世代はどう新たな地平を切り開いていくのか。
人生の羅針盤が揺れるときは、作家の声に耳を傾けよう。
それも、カッコよく年齢を重ねてきた男女に。
伊集院静さん(1950年2月9日生)と小池真理子さん(1952年10月28日生)
は、団塊世代の背中を間近に見つめてきた世代。
作家ならではの鋭い観察眼と示唆に富んだ言葉で
向かうべき道筋を豊かに語り合った。
(産経新聞:石野伸子編集委員)。
伊集院: 団塊の世代、というと昭和22年生まれから24年生まれ?
いつも思うのは、この世代はいつもかたまりで語られて、かわいそうというか、失礼だね。
かたまりだと、個の実体が見えなくなってしまう。
と同時に、ベビーブームは第二次大戦後、世界中で起きたのに、
日本の団塊だけがもつ不幸がある。
小池:不幸? どういう不幸ですか?
伊集院:私は今、年間150日くらい海外を旅して暮らしているんだけど、
世界を歩くと、例えば戦争のときにわが身内に起こったことを
昨日のことのように語っている。
今も闘争が続いている場所もたくさんある。
それをみんな語り継いでいる。ところが日本は違う。
「闘争」を語り継いでいない。
戦後、日本は高度成長を遂げ、
どっと生まれた子供たちはひもじい思いをせずに育てられてきた。
「闘争」を知らないまま大きくなった。差別もなかった。
みんな平等に教育を受けることができた。
伝承すべき「闘争」がない不幸だね。
小池: 闘争がない、ということで思い出したんですが、
最近、「下流社会」という括り方ができたこと知ってます?
伊集院 :光文社新書から出ているんでしょう。
(三浦展著『下流社会 新たな階層集団の出現』)。
小池 :30歳を過ぎて年収200万円くらいで、
家賃35,000円の安アパートに住んでカップラーメン食べて暮らしている。
将来への野心も夢も何もなくて、しかも、孤独だとか不幸だとか、
感じていない。
毎日自己完結して生きている。
そういう人たちが団塊ジュニア世代から出てきた。
世代の断絶を痛切に感じる。
◆団塊の世代は常にかたまりで語られるというお話でしたが、
もう少し説明してください。
伊集院:この世代は幼年時代、思春期、
それから壮年期っていうか一番働いた時代に、
それぞれの幸せを見つけられたんです。
それもみんなと一緒にね。個性、個性と言うけど、
団塊の世代はバラバラになっていないわけ。
みんなと一緒に頑張って家を建て、電化の暮らしをし、
わずかな退職金を手にするんだけど、
今はITなんかの若い連中が比較にならない莫大な金を動かす。
振り返ると、自分たちには何も残ってないんじゃないかっていう。
小池:私は団塊世代のお兄さん、お姉さん世代が
構築したサブカルチャーにどっぷりつかって青春を
送ってこられたことを、幸せだったと思っています。
1960年代から1970年代にかけて音楽も映画も演劇も本当に刺激的で新しかった。
それは単にビートが変わったとかそういうことではなくて、
従来の思想や価値観を変えたい、
何もかも自分たちのものに変革したい、
というところから出てきたもの。
あの熱い思いはどこに行ったのか。
伊集院:だから私は、残りの人生を考えるときに、
昔を振り返るんじゃなく、
「今までできなかった好きなことをしなさい」といいたい。
といっても海外旅行とかじゃダメだよ。
これまでの欲望は、「隣が車を替えたからうちも新車に」
「塾も一つ上のレベルに」と、
周りと順列をつけることを追いかけていた。
そんなことはもうやめて、
「この世に生まれてきたのはこのためだった」
というものを探しに行ったほうがいい。
退職金を奥さんと半分に分けて自分の好きなものに使う。
間違っても新車に使ったりマンション買ったりしちゃだめだ。
小池:でも、老いていく実感って、今やっぱり団塊世代の人たち、
ものすごくあると思うのね。
親や伴侶の介護とか...。
ネガティブな方に流れていきがちな世代でもあるし、
そこに本当は抗う姿勢が出てくると思うんだけど、
時代に反発した熱いものっていうのが今では片鱗も
なくなっちゃってるわけでしょう、多くの人は。
やり直したいと思っても、離婚するどころじゃない。
新車買うどころでもない。
今のまま静かに安穏と波風立てずに老いていきたい、
と思ってる人たちが大半なんじゃないかな。
伊集院:そのためには小説を読めと(笑い)。
社会の実態を分析してしまうと
「じゃ、俺は無駄働きだったのか」となるから、
私は「言葉を見つけなさい」と言いたい。
団塊の世代は、感覚は優れているんだけど言葉が足りないんだよ。
去年スコットランドへ行ったとき、若い連中も歳とった連中も、
じいさんに渡された一編の詩とか、
これが人間が生きるのに必要な言葉だと見せてくれた。
そういう言葉が見つかれば、生きる真価が見えてくる。
小池:でも、その言葉は、その人の実人生において苦しんだり、
切なくなったり迷ったりしながらも、
そういうナマなものから逃げずに向き合ってこそ、
見つかるものなのでしょうね。
◆伊集院さんにとってその言葉ってなんでしょう。
伊集院:運のいい人生でありたい(笑い)。
冗談は別として私はもうとにかく品性。
それを確立させれば、あとは何をしてもいいと思っている。
品性って何かというと、目の前にあるものを取りに行かないことなんだ。
今は物がたくさんあるけど、すぐに手を出すからおかしいことになる。
品性を一生の中で自分に備え付けさせるために何を選択していくか。
品性は世代ということではなく、日本人、国家の基盤でしょう。
小池:親しい編集者が定年を迎えるとき、
編集者は言葉を持っている人たちだから手紙をくれたりするわけですよ。
涙なくしては読めない文面もありますね。
本当に寂しいという感じを伝えてくる人もいる、
大変なことだと思う。
それは作家があるとき定年になって、
この先もう書けなくなるっていうのと同じようなことですから。
伊集院:だから品性なんです。歳を重ねて退職する。
その先には死がある。それらは人に寂寥感を生む。
寂寥ってのは生きてる限り必ず迎えなきゃいけない。
団塊の世代にとって一番不安なのは、
その寂しくて仕方ないものがもう見えているということ。
それを解消する方法は物質的なものからは得られません。
小池:そういう場合、男の人にとっての家族とか妻っていうのは
何なのでしょう。
伊集院:私は稼いだ金はその年に使ってしまうから、
私名義の貯金通帳はこの十年ずっと十数万円。
家内が「病気になったらどうするの?」って言うから、
「死を宣告されたら、俺はお前のもとを去る。
迷惑かけたくないし、勝ち誇ったように治療されるのも、
付き添われるのもいやだから」って。
個に戻ればいいと思ってる。家族も結局は個だから。
小池:最近、新聞に、このあと20年ぐらいの間に、
独居生活をする人の数が圧倒的に増えていくっていう記事がありましたね。
伊集院さんのように意志を持って一人になっていく人は珍しいでしょうけど、
離婚とか死別とか、あといろいろな自分の生き方の価値観の問題によって
一人になっていく人たちがものすごく増えて、
独居老人も増えるっていうのは分かるような気がする。
伊集院静さんが(2023/11/24)死去されました。
(産経新聞・石野伸子編集委員)。