F1 GP 第4戦、サン・マリノGPを振り返る

 今晩は昨日のレースの結果について触れねばなるまい。

 結果は先刻ご存知の通り、ルノーを駆るフェルナンド・アロンソがシューマッハを従えて真っ先にフニッシュラインを通過した。次いでBARホンダのジェンソン・バトン、モントーヤに代わって出場のマクラーレンのブルツそしてBARホンダの佐藤琢磨、ようやく結果を出せた1997年のワールドチャンピョン、ジャック・ビルヌーブ、トヨタのヤルノ・トゥルーリ、同じくトヨタのラルフ・シューマッハと続いた(ラルフ・シューマッハは危険行為があったとしてペナルティ25秒加算となり、8位にはウイリアムズBMWニック・ハイドフェルドが繰り上げ)。

 さて、この結果についてだが、昨晩「フェラーリ・シューマッハに秘策はあるのか」と書いたが、まさしく「秘策」はあった。
 スタート時の(と言うことは予選の時からということであり、止まり切れずにコースアウトしたのもうなずける)搭載燃料が他のマシンより相当に多かったのである。これにより27周目まで給油を引っ張ることのできたシューマッハは最初のピットインの時にはなんと3番手まで順位を上げている。

 3位で第2スティントに入ったシューマッハは瞬く間に2位のバトンに追いつきシケイン進入で難なくパス。更にトップをひた走るアロンソ追撃にかかる。ラスト10周は若干ペースを落としながらもテールtoノーズのデッドヒートを繰り広げたが、若さに似合わぬ落ち着いたドライビングでアロンソが最後までシューマッハを押さえ込みフィニッシュ。

 13番グリッドからスタートしたシューマッハは優勝こそ逃したが実に見ごたえのあるレースを演出し、若いアロンソが(日本流に言えば)一回りも年上の王者シーマッハと堂々と渡り合い、コース上で決着をつけた見事なレースであった。シーマッハの後継に、まさしく名乗りを上げた瞬間であり、息詰まる最後の10周は1992年のモナコ、セナとマンセルの名勝負に並ぶと言っても過言ではない。後にワールドチャンピョンの若き日の名レースとして長く語り継がれることになるであろう。

 蛇足は承知であるが、3年ぶりのレースで持てる力を見せ付けたマクラーレンの3rdドライバー、ブルツの存在、開幕3戦とは別のマシンに生まれ変わったBARホンダについては特筆すべきであろう。

 波乱のシーズンを象徴する見所の多いレースであった。
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