猪苗代第一発電所(その3)

 

 昨日の3枚目でご紹介した、道路を跨ぐ建造物のほぼ中央に見えている黄色に黒縞の高さ・幅制限板の右手から、保守用のものと思われるが仮設階段を登って左手を見たのがこの写真。金網越しであるが、水路が暗渠(トンネル)に吸い込まれていく様子をお判りいただけるだろうか。この建造物は水路が谷を渡るための「水道橋」であったのだ。
 

 右側を見たのがこの写真。昨日の2枚目でご紹介した水路は、いかにも滔々と流れていたのであるが、水路も終点近くのここに至っては、激流と言っても良いほどの様相で水道橋を渡り暗渠に吸い込まれていくのである。
 

 再び水道橋を見る。稚拙な写真でお判りいただくのは難しいのかも知れないが、間近で見る水道橋は、実に重々しい巨大な建造物であった。調べてみたところこの水道橋は、基本的には1914年(大正3)の発電所開設に当って建設された水路そのものなのだという。補修こそされてはいるが、20世紀初頭に造られた構造物が21世紀の今も現役で使われているのである。90年前にこれだけのものを造った人知と大労作には驚きを禁じ得ない。(続く)
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