唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
写真は真実を写していない、かもしれない
写真は真実を写していない、かもしれない例:その1
ロバート・キャパ(1913-1954)を一躍写真界の寵児とした彼の代表的な一枚「崩れ落ちる兵士」が、実は「やらせ」であった可能性が高いという報道により写真界、写真好きの間で大きな話題になっている
「崩れ落ちる兵士」はスペイン内戦中の1936年9月5日にスペイン南部アンダルシア地方のセロムリアーノで撮影されたもので、右翼のフランコ軍と戦闘中の人民戦線側の兵士が撃たれて崩れ落ち、右手からライフル銃が離れる瞬間を捉えたとされる。この説明で「あの」写真をイメージできる方も多いことだろう。
しかしスペイン紙ペリオディコ(電子版)は17日の記事の中で「実際に撮影が行われたのはセロムリアーノから約50キロ離れたエスペホという町付近だとし、最近撮影された同じ場所の写真を並べて説明。エスペホ付近で戦闘があったのは36年9月22~25日だけだったとして、キャパの写真は前線から離れた場所で撮られた」と断定している。
余りにも有名な一枚故にこれまでも「やらせ」説がくすぶり続けていたのだが、今回の報道で一気に火がついた格好である。
写真は真実を写していない、かもしれない例:その2
アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908-2004)の有名な一枚もまた、実は疑わしい写真の代表である。写真集「決定的瞬間」の中の一枚「水たまりを飛ぶ男」がそれである。これもまたその一枚を思い浮かることの出来方の多い一枚だろう。
アンリ・カルティエ=ブレッソンはフラッシュを使うこともトリミングすることも嫌い、演出を拒み「決定的瞬間」をじっと待ち、愛用のライカのシャッターを切った。若いころ通った写真学校で「絶対非演出」「ノートリミング」こそが写真の真髄だと教え込まれた郷秋にはいささかショックな出来ことであったのだが、「水たまりを飛ぶ男」が、実はトリミングされたものであることが2007年に、こともあろうかカルティエ=ブレッソンの全遺産を管理する財団から公表されたのである。
しかし、「水たまりを飛ぶ男」は「崩れ落ちる兵士」とは違い(ペリオディコ紙の発表が事実ならばということだが)、「やらせ」ではなく、よりそれらしく見せるためのトリミングである。写し撮った事実を「多少誇張しただけ」のものであるが、「ノートリミングの神様」と思っていたカルティエ=ブレッソンの最も有名な一枚が実はトリミングされていたとは、かなりの衝撃であった。
もっとも、「決定的瞬間」という写真集のタイトル自体も実は怪しい事を考え合わせると、一体全体何が本当で何が嘘なのかわからなくなってくる。「決定的瞬間」と云う写真集のタイトルは英訳題”The Decisive Moment”からの重訳であり、オリジナルのタイトルは”Images a la sauvette”(直訳「かすめ取られたイメージ」)なのである。
現象としての事実は常に一つであるはずであるが、その事実をどの角度から見るのか、遠くから見るのか近くで見るのかなど、その視点によって見え方は違ってくる。だから写真は「真実を写し取った」ものではなく、撮影者が自身の立場・視点で自由に「かすめ取ったイメージ」、つまり「事実を基にした撮影者の自由な視点による創作物」であると云うことになるんだろうな。
お断り:写真の著作権は著作者(撮影者)の死後50年とされているのでキャパの「崩れ落ちる兵士」を掲載することは可能なのだが、カルティエ=ブレッソンは死後数年であることからの「水たまりを飛ぶ男」を掲載することはできないこと、Web上で検索していただければどちらも見ることが出来ることを考えて「崩れ落ちる兵士」も掲載しないこととした。
記事本文とは直接の関係のない今日の一枚は「事実として存在するなるせの森の尾根道を基にした郷秋の自由な視点による創作物」。