唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
人生最後に聴く音楽
今日、義母が長い間世話になった施設で預かっていただいたままになっていた荷物を引き取りに行って来た。8年間施設から外に出ることもなかった義母であったのに、衣類を中心にかなりの荷物があったのには驚いたのだが、その荷物の中に、施設にお世話になって間もない頃、せめて好きなクラシック音楽でも聴くことが出来るようにと買ってあげたCDラジオと幾枚かのCDを見つけた。CDラジオは自分の枕元に置いて使おうかと思い、試しにCDを入れてみようかとイジェクトボタンを押したところ、中には一枚のCDが入ったままになっていた。
戦後間もない頃に三井グループの社内合唱団である三友合唱団で歌い、第九の演奏会にも出演していたらしい義母はクラシックの中でも特に声楽が好きであった。晩年にはどうやら錦織健氏のファンであったらしく、妻が氏のアルバムを買って届けたりしていたので氏のものかと思えば、それはなんとリムスキー・コルサコフのシエラザード(Vn Solo:スティーヴン・スタリック、トーマス・ビーチャム指揮ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団。かなり古い録音だ)であった。自分で望んで聴いたとは思えないのだが、彼女が人生の最後に聴いた音楽がシエラザードであったことは間違いない。
「無人島に一枚のCDを持て行くとしたら」とは20年前に流行った音楽愛好家に向けての「質問」であったが、今ではいつもポケット入っているiPhoneにCD数百枚分の音楽が入っている訳だから「一枚」と云う質問もまったくナンセンスと云える。そうは云っても人生の最後に聴きたい音楽はと問われれば、その中から究極の一曲を選択しなければならなのだろう。最後なのだから、それはどうしたって一曲なのだ。
果てさて郷秋<Gauche>の場合には何を選べば良やら。学生時代に多くのエネルギーを注いだベートーヴェンの荘厳ミサ曲か、毎年歌ってきた第九か、あるいはバッハの無伴奏チェロ組曲か、この三曲の中から選ぶことになりそうだが、バッハの無伴奏は6曲の中から一曲を選ぶとなるとこれはまた難しい選曲になりそうだ。しかし考えてもみれば、そんな事よりも何よりも、最後の一曲を自分の意志で選ぶことが出来るかどうか、そちらの方が大きな問題かも知れないな。
「恩田の森Now」
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このところ掲載が不定期になっておりますが、26日に酷暑の中で撮影した写真を掲載いたしておりますのでどうぞご覧ください。8月中旬以降は毎週末の撮影・掲載が出来そうな見通しですので、今しばらくご容赦くださいますようお願いいいたします。