心はどこにあるのか

 昨日に続いて親愛なる神奈川新聞の記事がネタである。
 横須賀地方の記事ページに掲載されていた写真のキャンプションに「頭は冷静に心は熱くプレーする(後略)」と書かれていた。いや、別に神奈川新聞が悪いわけではない。頭と心の問題は、郷秋<Gauche>もいつも悩む問題なのである。郷秋<Gauche>は勿論、医師でも心理学者でもないから、まったくもって実に勝手な考えなのだが、頭は冷静に心は熱くって、頭と心は別のものなのかと思うのである。

 「頭」と云われてそれがどこにあるのか悩む人は多分いない。頭とは、首の上にあり目や耳、鼻や口が付いた部分の事である。じゃぁ、「心」は身体のどこの部分の事なのかと云うと、これがまったく判然としない。つまり、頭が物理的ものであるのに対して、心はそうではないからややこしいのである。

 「知情意」と云う言葉がある。知性と感情と意志と云う、人間がもつ三つの心の働きを指した言葉である。先に紹介した「頭は冷静」は、「知」の部分の事であろう。そして「心は熱く」は感情と意思の部分の事だと思うのだが、云い詰めればどちら同じ「心」の問題なのである。だから知の部分では冷静(熱くないの反対だとすれば冷たい)であり、情と意の部分では熱くって、一体全体心は冷たいのか熱いのか、間を取って摂氏50度くらいなのか、まったく訳が分からなくなってくるのであるが、これは言葉のお遊びである。

 私たちは「あの人はここが熱い人だ」と云って、胸に手を置く。「ここが良い人だ」と云いながら頭を指さす。どちらも心の作用、つまり脳と云えば良いのか脳味噌と云えば良いのか、いずれにしても頭蓋骨の中にある器官が成す技であるはずなのに、「心」は胸にあるかのようなしぐさをする。郷秋<Gauche>の記憶に間違いがなければ、胸にあるのは肺と心臓であり、多分、どちらにも物事を考えたり感じたりする機能はないはずだ。

 でもだ、少なくとも多くの日本人は知を司るものは頭にあり、情を司るものは胸にあると思っているにではないだろうか。じゃぁ、「意」を司るものはどこにあるのでしょうかねぇ。「意」は頭と胸の連携作用なんでしょうか。じゃあ「あの人は情に篤い人だ」と云う時には首辺りに手を置けば良いのかな?

 と、書いているうちに何が何だか分からなくなってきてしまいました。書きハンパ、オチのないままですが、本日の駄文はこれにて終了といたします。ごきげんよう。

「恩田の森Now」
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 このところ掲載が不定期になっておりますが、26日に酷暑の中で撮影した写真を掲載いたしておりますのでどうぞご覧ください。8月中旬以降は毎週末の撮影・掲載が出来そうな見通しですので、今しばらくご容赦くださいますようお願いいいたします。

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