慰霊碑(続々、超ローカルネタ)

住吉神社の直下にある慰霊碑

 旧横浜第二中学校(現神奈川県立横浜翠嵐高等学校)の生徒六名の遭難を悼む慰霊碑です。

  太平洋戦争末期になると、全国の中学生・女学生(いずれも現在の中学1年から高校2年に相当)が学業を中断し軍需工場などに通年動員され各種の作業に従事していました。

 12月22日にご紹介いたしました住吉神社に隣接し、現在は「こどもの国」となっている場所に、戦前は旧日本軍最大規模の弾薬製造と貯蔵を目的とした陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所があり、ここでも通年動員された中学生たちが働いておりました。

 1944(昭和19)年5月某日の朝、横浜第二中学校の生徒らが作業のために、おそらくはトラックの荷台に載せられこの田奈部隊填薬所に向かう折り、車の転覆により命を落としました。その慰霊碑には「はからざりきこの川渡りに自動車が覆りて、束の間に若き六名の生徒の生命を奪う」と記されております。

 すでにご覧いただいた住吉神社前交差点付近の奈良川は、さすがに橋がなければ人も車も通ることができないほどの「川」となっておりますが、あるいは当時は橋もなくトラックならば勢いで突っ切れるほどの小川であったのかも知れません。その川を渡る折りに車が転覆して、六名が命を落としたのではないかと推察するところです。

 戦争がなければ六名の中学生が命を落とすことはありませんでした。今でも穏やかで平和な自然、雑木林が広がる青葉区に、かつては日本有数の弾薬製造工場と貯蔵庫があり、そこで起きた悲しい出来事です。その跡地が「こどもの国」となっていることはせめてもの慰めとなっているでしょうか。

 遠くなる戦争と犠牲になった人たちに想いを馳せ身近に感じることができる貴重な記念碑、遺跡です。

 横浜の住宅地に残された小さな湯の里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」。ただいまは12月19日に撮影した写真を7点掲載いたしております。冬到来となった森の様子をご覧いただければ嬉しいです。
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