空蝉とは、蝉の抜け殻のことであり同時にこの世に生きている人間、そしてその人間の世界のこと。蝉の抜け殻と現世に生きている人間もしくはその世界とは本来何の関係もないはずなのだが、この哀しくも美しい抜け殻を見ているとこの世に生きる人間、そしてその世界までもが儚くそして哀しいものに思えてきて仕方がない。あたかもこのコロナ禍を引き起こしたのが人間であり、その人間が大いなる力により罰せられ生ける実態のない抜け殻そのものにされてしまった、あるいはその抜け殻の中に閉じこめられしまったかのような錯覚を起こすのである。しかし一方ではそれは決して好ましからぬことではなく、蝉の抜け殻になることが、あるいはその抜け殻の中に閉じ込められてしまうことがむしろ自らが望む好ましいことでもあるかのような錯覚に陥るのもまた事実である。空蝉を見ているとそんな取り留めもない堂々巡りが始まり、果たしていつどうやってこの堂々巡りを止めることができるか思案に余る夏の夜である。
横浜の住宅地に残された里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」。ただいまは8月15日に撮影した写真を5点掲載いたしております。酷暑に見舞われた森の様子をご覧いだけたら嬉しいです。
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