後藤哲朗氏曰く「D900をやってみたい。」

 AERAdot.に後藤哲朗氏のインタービュー記事が掲載されておりました。https://dot.asahi.com/dot/2022072200069.html?page=1
 14日にも書きましたが、12日に日本経済新聞が「ニコン、一眼レフカメラ開発から撤退 60年超の歴史に幕」と題した、事実に基づかない記事を配信したことを受けての記事であることは明白です。
注:後藤哲朗氏略歴:千葉大学工学部電気工学科卒業。1973年に日本光学工業(現ニコン)に入社し、F3の電気回路設計、F4の電気系リーダー、F5のプロダクトリーダーを務め、D3シリーズまでの一眼レフカメラや交換レンズの開発を指揮。2009年に設立したニコン内「後藤研究室」でニコンDfを企画。2019年6月25日をもってニコンを退職。

その後藤氏曰く。
 「一眼レフの『歴史的』な役割はもうとっくに終えているのではないでしょうか。というのも一眼レフの性能はもう行き着くところまで行きましたから、もうこれで十分だと思うのです。ですから、今後はミラーレスのZシリーズがそれを受け継げばよいのです」

 そしてインタビュアー最後の「もし、いまカメラ開発に携われるのであれば、何をやりたいか」との問いに対しての答えは・・・
 「一眼レフシリーズのなかでは『D900』という名称が空白なのですよ。100番台の製品はD100からD850まで埋まっています。ですから、例えばD850をリファインし、D900としてシリーズを終える。『長い間有難うございました。これが最後のニコン一眼レフです。今後はZシリーズで!』と力強く宣言して花道に送り出したいですね」。
注:より正確には、D400番台も欠番になっている。


 ニコンのDSLRの集大成として、もしD900が登場するならば、それは2001年にMF一眼レフの歴史の最後にニコンが持つMF SLR技術の全てを投入して世に出したFM3A、プロ用SLRも完全にデジタルの時代となっていた2004年にニコンのAF SLRのノウハウの全てをつぎ込んで世に送り出したF6と同様のマイルストーンと云うことになる。

 ニコンが持てるデジタル一眼レフの技術の全てをつぎ込んだDSLRの完成型としてのD900が本当に登場するのだとすれば、郷秋<Gauche>はきっと手に入れることになるでしょうね。でも、今のニコンの経営状況がD900の開発を許せる状況なのかどうか。FM3AやF6が登場した時代とは違うことを考えると、それは「夢」でしかないのかなぁ・・・

 と云う訳で今日の一枚は、ニコンが持てるMF SLR技術の全てを投入したMF一眼レフの最後にして最高峰、Nikon FM3A。レンズはFM3A用に新たに設計されたNikkor 45mm F2.8P(MFでありながらCPU内蔵。最新のDSLRでも各種AEを利用できる)。いずれも郷秋<Gauche>のコレクションより。

 横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは7月17日に撮影した写真を6点掲載しております。雨が続いた後の森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
https://blog.goo.ne.jp/ondanomori/e/ca43b5e624ee2fbe08dee7669faaeca6

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