グリフォンの日記

時事のニュースについて書いていきます

本当の友好とは

2007-05-20 19:30:38 | 韓国

 日本人として生まれ、”譲り合い”は美徳とされた時代があった。相手を重んじ、相手からも重んじられる。こうした考え方があり、日本の中の独自文化としてうまく機能していた。しかし、国際社会において、いくらこの精神が美しいと言っても、相手の国から見れば、日本が漬け込まれる要因にもなった。要は心理戦において、日本はお人よしなのである。

 --------------------------------------------------------

(以下NNNより抜粋)

琴浦町が日韓友好交流公園「風の丘」(同町別所)の説明碑から「東海」を削除した問題で、民団鳥取県本部から原状回復を求められている琴浦町は十八日、田中満雄町長らが鳥取市行徳二丁目の同本部を訪れて陳謝した。同町は同日、町議会全員協議会を開き、田中町長が議会に対して削除問題の経緯を説明。交流推進の方針を確認して、田中町長、福本宗敏議長ら七人が謝罪のため同本部に向かった。

 非公開の会談を終えた田中町長は、「軽率で配慮が足りなかったと正式に謝罪した。記念碑の原状回復については、いろいろな選択肢があり、碑の作り変えを視野に入れ、議会にも相談して考えたい。交流はこれまで以上に続けていこうという話をして、了解をいただいた」と善後策を講じる考えを語った。

http://www.nnn.co.jp/news/070519/20070519004.html

--------------------------------------------------------
 
上の記事を読んで頂ければ分かる通り、正直、友好とは名ばかりの記念碑を残すことで、結局日本側が譲歩しているではないか。譲歩しても何の見返りもないのに。この記念碑について言えば、1993年に韓国との友好を記念して建てられたものらしいが、「日本海」と韓国の主張する「東海」をW(ダブル)明記するという愚考をやってのけた。そして、それに気づいた善良なる鳥取市の琴浦町民の苦情を受けて、町が今年3月末に「東海」の明記を削除(削り取った)。そして、この記事だ。
 
 友好という言葉に弱い日本人(自分は善良な市民だと思っている)は、それが大事だと思い込んでいる。しかし、国と国の関係においては、互いの国益を優先で話を進めないと相手の意見に飲み込まれてしまう。個と個のレベルであれば友好も可能だが、国と国になった時は、相手に(こちら側の)利益無き譲歩をすることは国のレベルそのものを著しく下げる。

 変な話だが、真の友好が欲しいのなら、他の国と共存していますよとアピールするために、兵を出すしかない。自分のところだけ傷つかないで、金だけ出すという、湾岸戦争時のやり方は、国益を酷く損ない、周辺諸国にもヘタレ国家としての無様な姿を見せてしまった。(だから、イラク戦争の時は自衛隊派遣が当たり前に行われたのだが。)
 
考えてみればよい。あなたが友人と歩いていて、友人が喧嘩に巻き込まれて、殴られているのに、自分はいけしゃしゃっと逃げる、もしくは金をばら撒いて僕だけは殴らないでと懇願した場合、果たしてその友人はあなたのことを信頼してくれるだろうか?

 無論、喧嘩なんかしないとか、巻き込まれないようにすれば良い、といった戯言をいうかもしれない。しかし、現実に起こる想定すらできないようでは、それこそ、物事が起こった時には時既に遅しだ。国と国との間であれば尚更だ。色々な見方ができるが、ある程度の想定をし、準備に余念が無いようにすることは、決して悪いことではないだろう。
 
 結論として、鳥取の琴浦町長は、相手の国に譲歩し続けることで、自分達の子孫に、”残す必要の無い遺恨”を残すことに早く気づくべきだ。 個人的には記念碑そのものを撤去した方が良いと思うが。