
幡枝庄田公園を出て、街区を西へ横切って府道40号線、かつての鞍馬街道へ進みました。道に面して古い民家が散見されるとおり、近世まで京と鞍馬を結ぶ最短の街道として機能した道です。
現在も岩倉幡枝エリアと北山通をつなぐ最短連絡路として使われています。江戸期そのままの道幅で峠を越え、山林や住宅地の中を通りますが、車の往来もかなりあるので、歩行者も注意が必要です。
「けいおん」劇中のマラソン大会コースはこの鞍馬街道上賀茂越えの峠道を採用しており、実際に急坂が続くので、今回の巡礼では逆にたどって岩倉幡枝から降りていく形をとりました。

程なく、東側に円通寺旧境内地が広がり、石仏や石標が並びます。ここに、かつては後水尾天皇の山荘だった幡枝御殿がありましたが、修学院離宮の造営に伴って近衛家に譲渡され、その後の延宝六年(1678)に霊元天皇の乳母であった圓光院殿瑞雲文英尼大師が開基となって寺に改め、皇室の祈願所とした歴史をもちます。国名勝に指定される枯山水庭園は幡枝御殿時代の造営とされ、中世末期の作庭様相をよく示しているとされます。

街道を峠に向かってゆるやかに登ってゆくと、古びた石垣が左手に見えてきます。これも円通寺旧境内地に含まれており、何らかの付属施設もしくは坊などがあったと思われますが、遺跡の大半が未調査未解明のため、未だに詳しいことが分かっていません。
この場所も、劇中に登場します。

このシーンです。田井中律たちが、突然いなくなった平沢唯を探していて、駈けつけた山中さわ子先生に出会ったところです。景色はほぼそのままですね。

この石垣の上に、田井中律、琴吹紬、秋山澪が居たわけですね。

このシーンですが、さすがに石垣までは細かく再現されておらず、おおまかに描写されています。

峠にさしかかります。このあたりは上賀茂地区の北端にあたり、現地の字は「ケシ山」です。

峠を越えて南に降りて、振り返るとこういう景色です。このアングルで劇中に出てきます。

このシーンです。あえぎつつ登る鈴木純の場面です。左の電柱や走行注意の標識、右の切り通し面が一致します。

少し南に降りると分岐があります。右手が鞍馬街道になります。このアングルで劇中に出てきます。

このシーンです。琴吹紬の後ろに見える交通標識を含めて、民家群の描写も大体そのままです。

このあたりの鞍馬街道が、地元で「ケシ山の坂道」と呼ばれる長い急坂になっています。道幅が狭いため車での通行は、上図左に向かう道が推奨されています。

「ケシ山の坂道」を50メートルほど降りて、振り返った図です。歩いて登ってもキツいので、マラソンで走るとなおさらです。

劇中ではより距離と勾配が強調された描写になっています。マラソンコース中の最難関であったのは間違いなく、このあたりで平沢唯が落伍して行方不明になるわけです。
このエリアは、京都に詳しい方でもあまり知らない範囲の一つで、私自身も岩倉幡枝の円通寺までは庭園見学で行ったことがありますが、峠を越えて「ケシ山の坂道」をたどるのは今回が初めてでした。京都アニメーションの製作スタッフもよくこんなルートを選んだなあ、と思います。松ヶ崎や修学院や北白川もそうですが、おそらく現地を知悉している方がいたのではないかな、と推測されます。 (続く)