気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

けいおん!の聖地をゆく9 その1 今宮神社

2017年06月27日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2017年5月18日、数えて九回目の「けいおん!」巡礼を楽しみました。対象範囲は紫野、北山、北野としました。1期第7話「クリスマス!」の舞台である今宮神社、1期番外編(第14話)「ライブハウス!」に登場する船岡山、2期第4話「修学旅行!」に出てくる金閣寺と北野天満宮などがこのエリアに集まっているため、これらを半日で回ってみることにしました。

 朝7時半前に西大路の下宿を出発、近くのバス停から京都市バス202系統に乗り、千本丸太町バス停で降りて46系統上賀茂行きに乗り換え、今宮神社前バス停で降りました。時刻は8時13分でした。


 今宮神社の正門にあたる、朱塗りの楼門です。このような仏教系の建築を門に据える神社は、殆どが神仏習合期において仏教的色彩が濃かったのですが、この今宮神社も例外ではありません。平安時代の線刻四面石仏を伝えており、国の重要文化財に指定されています。


 楼門をくぐる際に、境内からの風が吹き抜けてきて、若葉の香りが鼻腔をくすぐりました。空には雲一つなく、爽やかな気分につつまれました。社寺参詣は早朝がベスト、といわれるのは正しいですね。


 拝殿は、神楽殿を兼ねており、例祭の舞楽奉納の舞台としても機能します。私はこの今宮神社にはあまり縁が無く、参拝も今回で二度目で、祭事の見物にすら行ったことがありません。なので、この神社の祭事の舞楽がどういうものかも知りません。

 俗に「京都の三大奇祭」というのがあり、 鞍馬寺の鞍馬の火祭、広隆寺の太秦の牛祭、今宮神社の夜須礼(やすらい}祭が相当します。私は学生時代から鞍馬寺の鞍馬の火祭と広隆寺の太秦の牛祭には何度か行っているのですが、どういうわけか今宮神社の夜須礼祭には行く機会を得ないままです。国の重要無形民俗文化財に指定される有名な祭礼ですので、これをまだ見ていないというのは京都の歴史文化に関心を持ち学んできた身としては迂闊、と言わざるを得ません。


 本社の幣門です。唐破風屋根に最も高い格式が示されます。既に鎌倉時代の弘安七年(1284)に神階は正一位に達しています。本来は疫神として崇められた歴史を持ちますが、疫神は仏教化して護法神としての性格を帯びたため、中世期には戦闘神の一種として武家の信仰を集めたようです。

 応仁文明の乱の際に西軍の総帥となった、山名右衛門督持豊(山名宗全)は、西陣に戦旗を掲げつつも、味方が近くの船岡山に城を築いて立て籠もる作戦に最初は反対したそうです。船岡山が今宮神社の結界の一角を占め、疫病を鎮めるための御霊会の場となった経緯があるため、今宮の疫神のたたりを恐れた、というのが反対の理由だったとされています。それどころか、今宮神社方面への発向も禁じたそうです。
 ところが、一族の備前守護職の山名相模守教之が船岡山方面での緒戦にて東軍と激突、船岡山城を圧迫されて軍勢の一部が今宮社に退却したため、これを追う東軍の展開を受けて神社も戦場となってしまい、本殿以下の主要施設が被害を受けてしまいました。これを知った山名右衛門督持豊は激怒し、また祟りに恐れおののいたそうです。
 山名宗全ほどの大物が恐れたぐらいですから、当時の今宮神社の神威というのは、相当なものだったのでしょう。正一位の神階は、それなりの宗教的威力および信仰の深さを反映しているわけです。


 さて、その今宮神社ですが、上図のようなアングルで1期第7話「クリスマス!」の初詣の場面に登場します。


 このシーンですが、細部があまり似ていません。現地で取材ロケをせずに、写真または資料図版からの引用で済ませたような形跡すら感じられます。


 似ているのは屋根の形ぐらいなものです。劇中では白壁になっている部分が、実際の建築では透塀となっており、重厚な造りの連子窓を連ねた形で本殿の結界を区画しています。


 唐破風の幣門を東横から見ました。


 ほぼ同じアングルでのシーンです。透塀の部分が対面所もしくは受付のような造りに変わっています。どうみてもかなりのアレンジがなされているようで、神社の建物が忠実に描写されていません。


 なので、HTTのメンバーが参拝の際に鳴らした本坪鈴も、実際の唐破風幣門のそれとは異なるようです。


 しかし、本社の西側に鎮座して同じ透塀に囲まれる疫神社の幣門のそれが、劇中のによく似ています。ひょっとして、こちらがモデルになったのかもしれませんね・・・。 (続く)

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