気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

「倉野川」の倉吉をゆく シーズン6の5 「ひなビタ♪のキャラクターパネル」

2016年09月15日 | 倉吉巡礼記

 「ダイアナ」での昼食を終え、町並み散歩に移りました。この日の午後1時からTさんと市役所に行き、観光交流課担当者との意見交換会にのぞむ予定でしたから、あまりのんびりしてもいられませんでした。
 とりあえず、約一時間の余裕があるのを確かめ、打吹まつりにて新たに加わった5枚のパネルの行方を追ってみることにしました。


 手始めに本町通りを東へ進んでみたところ、前方右にパネルが見えてきました。以前には無かった位置でした。


 近づいて、ここなつの東雲夏陽であることを確認しました。お店は土産雑貨屋の「鳥っと屋」さんです。


 お店の方が愛想よく挨拶して下さいましたので、こちらも頭を下げて一礼し、パネルのことを尋ねました。すると嬉しそうに話してくれました。
「やっと、うちにもねえ、パネルが置けることになったんですよ」
「お客さんの反応とかは、いかがですか?」
「それがねえ、もう、全然違いますのよ。おおかたは写真撮ってるだけなんだけどねえ、でもウチの前で立ち止まって品物見ていってくれるし、時には買って下さるんで、これもう、ねえ、今までとは違いますんで。パネルを置いたらこんなに違うのか、ってねえ、びっくりしてますの」

 それはそうだろうな、と思いました。ガルパンの大洗でも同じ反応を示してパネル設置の効果を実感された店主さんが殆どでした。それでお店ごとにノベルティのガルパン缶バッジやガルパンオリジナルグッズも展開され、さらに人気を呼んでいったところが多かったのです。

 倉吉でも、同じようにグッズ展開をやれば、似たような効果が見込まれると思うのですが、どうもそのあたりは積極的な動きが感じられませんでした。ロイヤルティの問題で観光交流課が慎重になっているのだろうと思いましたが、慎重に構えていてはチャンスを逃しがちになるのが、カルチャーポップコンテンツ特有の現象でもあります。
 大洗のように、地元がノリノリで楽しみつつ、それ行けっ、と積極的に仕掛けていくのでないと、ファンや巡礼者がくいついて来ませんし、リピーターも定着しません。


 続いて、大岳院に行きました。


 山形まり花が居ました。もうこの場所が定位置のようです。寺の住職の娘さんがこういう試みに大賛成で積極的でノリノリだと聞きましたが、そうでなければ、厳粛な禅林の境内地にこのようなパネルが置かれないと思います。


 北の玉川沿いに、見慣れた景色をみながら進みました。打吹山城の探査を秋以降に予定しているため、とりあえずは関連資料を探していますが、そういったものは倉吉市立図書館には余り無くて、三朝町立図書館の方に全部揃っているのでした。倉吉市立図書館は、どうも郷土資料への認識が薄いようです。


 例えば、重伝建に関する資料ならば、基本的には文化庁所管の基本概要や調査報告書、文化財指定建築のそれぞれの修理報告書などが地元自治体には網羅されていてしかるべきです。
 たとえば、奈良県橿原市や岐阜県高山市の図書館のように、古い町並み関連の資料だけで数十冊から百冊ぐらいがあってコーナーが設けられる、というのがあるべき姿です。そういうのが、倉吉市立図書館には全然見当たらず、所蔵数も郷土資料書庫のほんの一部にとどまっています。

 以前に観光交流課にて同様の問い合わせをしたことがあります。重伝建に関する資料はありませんか、と。返事は「ありません」でした。観光用のマップ程度しか置いていないのです。
 それで次は教育委員会へ行って文化財担当者に同じ問い合わせをしましたが、「国の調査報告書というのは確かにありますが、ウチには置いてないんです」という返事でした。ここ数年の整備事業の基本となる計画書すら無い、という有様でした。計画書も揃えずに町並み保存整備の実務を進めているのか、と思ってしまいました。
 ところが、そういう計画書や調査報告書の類が三朝町立図書館にはきちんと揃っているのでした。今回借り出した本もその一部でありました。


 なので、たとえば上図の古民家の概要を調べるべく、関連の状況調査書や修理所見資料、整備計画概要などを倉吉市立図書館に探しに行っても、一冊も見つからない、という結果になるのが珍しくありません。

 どうにもならないので、後日に奈良県立図書情報館へ行って調べたら、ちゃんと数冊が閲覧出来ました。奈良はさすがに町並み保存の先進地です。関連資料の豊富さは他の追随を許さず、倉吉関連の資料も幾つか揃っていて見事なものでした。
 さらにガルパンの西住邸の元ネタになっている、奈良国立博物館の仏教美術資料センターでも、建築関連の書庫に倉吉打吹玉川重伝建地区の総合報告書がありました。さすがですね。倉吉市は、そこのところをもう少し見習った方がいいと思います。


 唐揚げのお店「集」は、この日は休業日でした。


 その店内には、和泉一舞の新パネルがありました。これも定位置におさまっているようです。


 山形まり花の新パネルは、久楽さんの店内にありました。これも定位置におさまっているようです。霜月凛の新パネルは前回見たブライダル店のウインドー内におさまっていますから、残るは東雲心菜でした。
 そのことを話したところ、お店の方は「じゃあ、まんばやさんが置いた、ってのがそれでしょうかねえ」と首を傾げていました。
「まんばや、ってここから北へ行ったところにある土蔵造の和菓子屋さんでしたか」
「ええ、そうですそうです」

 これで位置が判明しましたが、そこまで行って撮影するには、時間が足りませんでした。また今度にしよう、と決めました。 (続く)

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サンダース大学付属高校 シャーマンファイアフライ(劇場版仕様) 作ります!! その6

2016年09月14日 | ガルパン模型制作記

 ステップ21では、主砲を組み立てます。マズルブレーキは二種類があり、劇中車は丸穴のタイプですので、パーツはF8およびF9を選びます。
 ステップ22では、各種の砲塔部品を組み立てます。無線機収納ボックスはAタイプを選びます。サーチライトは劇中車ではセットされていませんので、D13とG15は不要です。


 主砲関連のパーツを切り出しました。


 組み立てが完了しました。


 続いてコマンダーズハッチ、無線機収納ボックスのパーツを切り出しました。無線機収納ボックスはAタイプで作ります。


 コマンダーズハッチのパーツC8にモールドされるペリスコープは、劇中車と違って横に向けられた状態でモールドされていますが、回転式なのでどの方向に向いていても構いません。よって、モールドを修正して劇中車と同じ前向きにする必要は無いと判断しました。
 また、C8の上面には、劇中車にない突起がありますので、これはカットします。


 C8の上面の突起をカットしました。


 ステップ23、24にて砲塔を組み立てます。劇中車では砲塔右前面の増加装甲が装備されていませんので、C5は不要です。砲塔左側のベルトループの模様もありませんので、エッチング10は不要です。他にC39、F22も不要ですので、ダボ穴は埋めます。
 また、砲塔本体H4にも不要のモールドが幾つかありますので、削り取ります。


 砲塔本体の上下のパーツです。


 砲塔本体パーツH4のオリジナルの状態です。


 劇中車の砲塔は、パーツH4よりもシンプルな形状になっています。


 赤円内の突起やモールドなどが劇中車にはありません。またアンテナは黄色円内の位置につける指示がガイドにありますが、劇中車では別の位置に付くので、ダボ穴は埋める必要があります。


 修正後の状態です。


 各パーツを取り付けてゆきました。砲塔上面のペリスコープは、劇中車では二つとも開状態ですが、動きを表して変化を持たせるために右側のみ閉状態でセットしました。


 コマンダーズハッチの各パーツです。


 このうち、キューボラ部のパーツC14においてガルパン仕様への改造が必要です。


 劇中車では、御覧のように機銃支持架の基部が前後2ヶ所についています。


 パーツC14では片方だけなので、もう片方をプラ材等で適当に再現しました。


 以上で、砲塔部分の組み立てが全て完了しました。この範囲もガルパン仕様への修正および改造が幾つか集中していますが、いずれも簡単なものばかりでした。 (続く)

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン6の4 「里の観音堂とダイアナランチ」

2016年09月13日 | 倉吉巡礼記

 大原神社は、大原集落のやや北側に位置しています。集落は南に長く伸びているので、神社の旧位置や神宮寺の跡地もおそらくは南にあったのではないかと考えました。
 そこで道なりに南へ行くと、大原廃寺遺跡へも通じる道の途中に公民館があり、その近くに「大原観音堂」なる一堂宇があることを知りました。20年前に大原廃寺遺跡へは行きましたが、「大原観音堂」のことは記憶に無かったので、見落としたのでしょう。
 観音堂への参道石段の脇に、立派な石碑がありました。観音堂が平成四年に再興された際の記念に建てられたもののようですが、再興とあるのは、江戸期のお堂が痛んできたので建て直した、という意味だろうな、と考えました。


 この「大原観音堂」は、集落の中央に横たわる低丘陵の南端に位置していますが、下から見るとかなりの高さがあります。仏教の寺院や堂宇を山地に配置するケースは全国的にみられますが、このような急な地形の上に建てる事例はそんなに多くありません。


 思った通り、お堂の前庭からは、大原の里の南側全域を見渡せました。ただ、里の観音堂の立地にしては高すぎるので、堂の背後に回って地形を確かめてみました。
 すると、驚いたことに、お堂の背後にはさらに高い尾根があり、その斜面は人為的に均して造成されたような雰囲気がありました。これは、切岸だな、と直感しました。

 切岸とは、中世戦国期の城郭にみられる人工的な急斜面のことです。つまり、「大原観音堂」の建つ丘には、城砦が構えられていたようなのです。
 そこで、斜面を登って上の様子を見ると、木立や藪のかぶさる暗い中に、土塁とおぼしき構築物が見えました。草が繁っていて入れないので、細かく把握出来ませんでしたが、間違いなく城砦であると分かりました。かつては城砦であった場所に、江戸期に「大原観音堂」が建てられた、というイメージがまず浮かびましたが、城砦の最高所がかつての大原神社の旧位置であった可能性もあります。

 つまり、大原の里の中央にある丘を最初は神奈備と崇めて神社を祀り、その神宮寺も配置していたのが、中世戦国期に城砦化され、尼子氏の攻撃を受けて被災し神宮寺は焼失した、という歴史的変遷が想定出来ます。そして神社は、戦闘で穢れた丘を避けて麓の現在地に移された、という成り行きかもしれません。

 後日資料をあさってみたところ、大原城という中世期の城郭遺跡の記載を見つけました。南北約140メートルと、思ったよりも規模が大きいので、葉が落ち草が枯れた時期に再度中に入って見学してみたくなりました。夏場はどうも城跡見学に向いていません。


 時間が無くなってきたので大原での見学を打ち切り、三朝町立図書館に行って本を返却し、倉吉市街に引き返して「ダイアナ」に行きました。


 この日の昼食は、このお店の日替わりランチである「ダイアナランチ」と決めていました。オムカレーも「とってもとってもいいと思います」が、次の楽しみにとっておくことにしました。


 なんか色々置いてありますねー。倉野川珈琲ですか・・・。


 お店オリジナルの「ひなビタ」スタンプ、というのはこれですか・・・。芽兎めうの実家が判子屋なので、それに因んだネタとして実現させたもののようです。


 春日咲子の原画イラストです。アコースティックギターを優雅に構えて温かな旋律を紡ぎだすかのような雰囲気が、「とってもとってもいいと思います」。


 ひなビタの七人、日向美ビタースイーツとここなつが全員揃った公式画像です。ファンはこういうのを欲しがるでしょうね。


 ファンからの寄贈品とみられる、芽兎めうのアクリル製スタンドです。足元のひなち君がケロロ軍曹みたいなタッチであるのが笑えます。


 今回の「ダイアナランチ」はこういう組み合わせです。


 けっこうボリュームがあるので、楽しく食べられます。毎回メニューが違いますから、同じ組み合わせを二度食べることはまず無いと思います。 (続く)

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サンダース大学付属高校 シャーマンファイアフライ(劇場版仕様) 作ります!! その5

2016年09月12日 | ガルパン模型制作記

 ステップ17では、車体後部右側の各種の装備品、背面の道具箱などを取り付けます。道具箱は大小二種のパーツがありますが、小さいほうのF45は劇中車にはありませんので不要です。
 ステップ18では、車輪類と履帯を取り付けますが、起動輪および誘導輪は塗装後に履帯と共に取り付ける予定なので、ここではサスペンションの転輪だけを取り付けます。

 劇中車はサンドシールド(俗にスカートと呼ばれる)を装着していますので、ここで足回りのパーツを全部取り付けてしまうと、サンドシールドに隠れる部分の塗装がほとんど不可能になります。今回の制作ではサンドシールドも塗装後、履帯の装着後に取り付ける予定です。


 車体後部右側の各種の装備品、背面の道具箱などのパーツです。


 劇中車の画像を参考にしつつ、取り付け位置が比較的分かり易いパーツから順に取り付けてゆきました。消火器のG8も向きを逆にしてセットしました。
 パーツの大部分が、ガイド指示の位置とはずれますので、車体にモールドされている金具やダボ穴は全て無用となります。削るか埋めるかして均しておく必要があります。


 車体にモールドされている金具やダボ穴を消しました。


 残りのパーツを全て取り付けました。いずれも位置が微妙にずれていますので、劇中車の画像と照らし合わせながら調整し取り付けました。斧のパーツC21は柄が2ミリ短いので、プラ板で延長しました。


 サスペンションの転輪を全て取り付けました。その後、第一転輪および第六転輪のサスペンションアームだけを流し込み接着剤で固定しました。


 ステップ19では、ハウスポートを取り付けます。車体側面の三ヵ所については基部のパーツのみです。
 ステップ20では、サンドシールドを取り付けます。増加装甲およびエッチングの各パーツは全て不要です。予備履帯も取り付けません。


 サンドシールドの各パーツを切り出して、仮組みしてチェックしました。取り付けは塗装後にします。


 ハウスポートを取り付けました。車体側面の三ヵ所の基部パーツG9は、ガイドの最後の項にある「車体側面原寸図」を使用して計測した位置に取り付けました。


 劇中車には、御覧のようにさらにアーム部が付きますが、該当するパーツは無く、他キットにも見当たりませんので、自作するしかありません。その作業は組み立て工程のラストに行なうことにしました。


 最前列のハウスポートアームF50、F51の取り付け位置は、ガイドには具体的に示されていませんので、劇中車の図を参考にして取り付けました。その際に、上端のブラケットG10が水平になるようにしました。


 車体前面左右のハウスポートF3、F6の位置は、ガイドの指示位置と劇中車での位置が異なります。赤円内に示すように、やや上についています。


 キットの指示では、D1と同じ高さに並べてつけますが、劇中車の位置に合わせると、上図のようにやや上に位置します。あらかじめ開けておいたダボ穴が無用となりましたが、パーツの下に隠れましたので、埋める手間が省けました。 (続く)

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン6の3 「グッスマと牛骨ラーメンと」

2016年09月11日 | 倉吉巡礼記

 赤碕から倉吉市街に戻りました。行きのルートとは別に国道9号線、山陰道の県道320号線を東上、天神橋を渡って国道179号線に進みました。途中でTさんが「しまむら」倉吉店に立ち寄ろうとしましたが、休業日でした。なんでもTさんはその店でガルパンシャツを買ったのだそうです。何のデザインですか、と訊ねたら「レオポン」と答えてきました。どうやら、各チームのマークがそれぞれデザインされているようです。

 それから、Tさんお気に入りのドライブルートである、天神川の西堤上の県道161号線を南下して田内の城山の裾をぐるりと進みました。Tさんは「ここらの景色がいいんですよ」と楽しげに話していましたが、私も20年前に鳥取への行き来でよく走った道なので、懐かしい気分でした。
 若い頃は、その道を「リバーサイドドライブ」の気分でBGMに浜田省吾などをかけ、ロンサムボーイのムードに浸りつつ走ったものです。当時の車は三菱エテルナZR-4でしたね・・・。

 途中でTさんが倉吉西工業団地内のグッドスマイルカンパニー楽月工場へ寄って下さいました。


 ここがグッスマのラッキーファクトリーか、と感動し、思わず「素晴らしい」と呟いて手を叩きました。Tさんは呆れ気味に笑っていましたが、私にとっては聖地の一つです。拍手せずにはいられませんでした。いつも買っているガルパンのフィギュアの大部分はこのメーカーの製品だからです。


 ところが、Tさんは「この工場で作ってるのは「桜ミク」と馬だけらしいですよ」と言いました。
「えっ、そうなんですか?・・・確かガルパンのねんどろいどの五十鈴華と冷泉麻子はここで作ってるってテレビの何かの番組でやってたんですが・・」
「あ、そうなんですか・・・」

 オンキョーさんの施設内に間借りの形とはいえ、規模の上では中小のメーカーの工場群を遥かに上回ります。これだけの施設で生産するのがミクと馬だけ、というのは不思議な気がしました。オープンしてまだ間もないですから、これから徐々に増やしていくのでしょう。
 そうでないと、生産拠点のメインを国内に回帰させる、と発表しているグッドスマイルカンパニーの基本方針とも矛盾します。私の知る限りでは、国内の工場はまだここだけらしいので、サイト情報やパッケージに倉吉のくらすけ君マークがあるか、メイドインジャパンの表記があれば、それらは全てこのラッキーファクトリーで生産されたことになります。


 Tさんとは、翌日の昼から倉吉市役所観光交流課との意見交換会に共にのぞむ予定でした。それで予定を確認し合った後、別れて私はこの日の宿である、パープルタウンの隣の「倉吉タウンホテル」に移動しました。周囲に牛骨ラーメンの店や食事処がたくさんあるので素泊まりで充分です。料金も4980円とリーズナブルです。

 シャワーを浴びてさっぱりし、朝に三朝町立図書館で借りてきた本を読んで小一時間ほど過ごしました。


 この日の夕食も、牛骨ラーメンでいくことにして、北街区の国道179号線沿いにある「大香房」へ行きました。今回初めて行ったお店です。


 このお店は、一般的には牛骨ラーメンの店として知られますが、お店ではメインをむしろ「倉吉みそラーメン」に置いて売り込んでおられるようです。味噌系のラーメンは好きなので、ものすごく迷いましたが、まずは倉吉の牛骨ラーメンの味の一つを知っておこう、と思いました。


 そして注文したのが、上図の「牛骨らーめん」630円でした。


 その味は、お店オリジナルの海鮮風味にいろどられ、なかなかに個性的でした。普通のラーメンでいただいてもイケるんじゃないか、と感じました。


 翌朝は7時に起きて、近くの「すき家」で朝食をとり、天神川東岸の大原地区へ行きました。その中心的な祭祀拠点の大原神社へまだ行ったことが無かったので、この機会に訪ねました。


 鳥居前に立つ案内板です。古代の大化三年という創祀年はともかく、中世期には既に存在した里の惣鎮守であったようです。南に神宮寺があったというのは、要するに神仏混交の形態であったことを示しています。その神宮寺のルーツは、おそらく古代寺院のひとつ「大原廃寺」に関連すると推定されます。「大原廃寺」は神社と丘をはさんだ反対側の谷間にいまも立派な塔心礎を残しており、昔に三度ほど行ったことがあります。

 ですが、個人的に興味をひいたのは、大永四年に尼子経久の侵攻を受けて神宮寺が焼失した、とある記述でした。中世戦国期の寺社は武装しているのが普通でしたから、政治的には「武装勢力」の一種にあたります。尼子氏に敵対したから攻撃を受けたのであり、したがってその所属元は伯耆山名氏または南条氏を軸とする国人連合軍であったと思われます。
 すると、かつてはこの辺りに城砦があったはずだ、寺社が城砦を構えるのは全国的にみられた現象でしたから、神社の横にある丘陵上に城があってもおかしくない、と考えました。


 現在の境内地は、丘裾の窮屈なスペースに造成段を設けて確保されています。建物も江戸後期以降の新しいもののようで、とても古代から続くような古社の風情ではありませんでした。
 たぶん、中世期に存在したという神社も、現在地ではなくて、もっと高い場所、大原の里全体を見渡せるような、一種の神奈備のような場所にあったのでしょう。その位置は、焼失して廃れたという神宮寺の場所がヒントになるのではないか、と考えました。その付近に、城砦もあったかもしれません。


 本殿を見学した後、三朝町立図書館から借りてきた本についている古絵図と対比地図とを開いて見比べました。あまり知られていないことですが、大原地区は、伯耆国守護代南条氏の本拠羽衣石城の南東麓続きの低丘陵地域にあたります。

 尼子氏が羽衣石城に圧迫をかけるとすれば、北の大手方面は避けるはずですから、東の佐美から山裾をたどるか、南東の大原の谷間から城の南東尾根に連絡して搦め手を突く、のいずれかになります。大原が攻撃されたのであれば、尼子氏はここから羽衣石城を牽制、既に制圧した打吹山城を後詰として、伯耆国を一気に支配下に置こうとしたのかもしれません。

 色々考えながら、とりあえず約一時間の余裕があるのを確かめ、焼失して廃れたという神宮寺の場所を探してみることにしました。20年ぶりの「倉吉歴史探検」の再開でした。 (続く)

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サンダース大学付属高校 シャーマンファイアフライ(劇場版仕様) 作ります!! その4

2016年09月10日 | ガルパン模型制作記

 ステップ14では、車体上部の様々なパーツを取り付けます。前のステップ13の工程もまとめて実施し、ドライバーズハッチも組み立てました。
 ここでは、エッチング13をプラ板に交換し、取り付け位置も劇中車に合わせて変更します。また前部機銃跡の増加装甲パーツは、劇中車の形状に同じF27を使用します。また、前照灯ガードのD9につけるD5は、劇中車にはありませんので不要です。


 パーツを切り出して準備しました。ドライバーズハッチのペリスコープは、劇中車に合わせて右側を閉状態にし、左側は開状態にしました。上図にみえる白く細長い2枚のプラ板は、エッチング13の代替パーツです。


 ワンシーンにて劇中車の様子を見ましょう。ガルパン仕様へのポイントは二つあります。赤円に示すのはエッチング13に相当するパーツで、これをプラ材に交換したうえ、取り付け位置もガイドの「溶接模様から約3.6mm」ではなく、6.5mmに変更します。
 黄色円に示すのは、前部機銃跡の増加装甲パーツです。キットには二種類のパーツが用意されていますが、劇中車の形状に一致するのはF27です。


 全てのパーツを取り付け終わりました。


 ステップ15では、エンジンデッキの各パーツを組み立てます。ステップ16では、エンジンデッキの各パーツおよび車体後部左側の装備品などを車体に取り付けます。いずれもガルパン仕様への幾つかの修正または工作を含みます。


 ステップ15で組み立てるパーツ類です。


 そのうちのパーツE32は、劇中車のと形状が異なるうえ、リベットも多いです。


 劇中車の該当部分は、タンクの形状が台形ではなくて長方形であるうえ、パネル両端のリベットが2個ずつしかありません。


 そこでパーツE32のタンク部分をプラ材の貼り増しなどで長方形に作り直し、パネル両端のリベットも2個ずつ残してあとはカットしました。


 続いて、劇場版では数少ない、上からの俯瞰アングルの図を御覧下さい。トラベリングクランプがTV版仕様と異なって史実通りの位置にあるうえ、その取り付け金具が見えません。
 したがって、取り付け金具のG4は4個とも不要となり、ガイドでのE10における開口指示も必要なくなります。またE31における開口は、ハンマーC24の取り付け穴二ヶ所のみになります。そしてE31の前端にある三個のリベットも劇中車では省略されていますので、全てカットします。
 なお、トラベリングクランプ本体は先端も閉じて収納状態になっています。


 キットのトラベリングクランプのパーツF25は、先端が左右に開いた状態で成型されています。


 そこで、ヒンジ部でカットして、閉じた状態につけ直しました。


 車体後部左側の各種の装備品パーツです。このうち、消火器のG8は向きが逆になるうえ、取り付け位置がややずれます。クリーニングロッドのF15は、三本を並列で束ねる形に成形されていますが、劇中車のそれとは異なります。


 劇中車のクリーニングロッドは、御覧のように二本の上に一本を積んで三角状になっています。


 そこでF15の一本分を切り離して上につけ直して車体に取り付けました。三角にカットしたプラ材を側に仮付けして、形を合わせ、後端は細くなるように削ってF14に収まるように調整しました。上図では側に三角プラ材がついたままですが、これは後で除去しました。


 トラベリングクランプのパーツF25を劇中車に合わせて貼り付けました。その基部には取り付け金具があるべきなのですが、劇中車では省略されています。


 全てのパーツの取り付けが完了しました。消火器のG8も劇中車に合わせて向きを逆にしてあります。


 今回の制作においては、この範囲が最も修正および改造が多いです。と言っても手間があまりかからないものばかりですので、全体的にみてもこのキットの組み立ては楽だと思います。 (続く)
コメント (2)
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン6の2 「塩谷定好写真記念館のひととき」

2016年09月09日 | 倉吉巡礼記

 赤碕の「菊港」で潮風に吹かれた後、Tさんお気に入りの観光スポットである「塩谷定好写真記念館」へ行きました。写真記念館というから近代的な建物を想像していたのですが、実際には塩谷家の旧宅をそのままギャラリー施設に使用している感じでした。
 建物自体は明治初期ぐらいの遺構のように感じられましたが、目立った改変は見当たらず、歴史遺産としても価値が高いです。国の登録文化財に指定されています。

 現在の状態に改修されたのが今年2016年の4月で、現在は特定非営利活動法人「塩谷定好フォトプロジェクト」が所有し保全管理にあたっています。


 施設内に新たに設けられたカフェです。Tさんお気に入りの「隠れ家」だそうです。とりあえず腰かけてコーヒーをいただきました。


 窓の外には、4棟の土蔵の1つが見えます。もちろん、国の登録文化財に指定されています。


 別の土蔵は、主屋に隣接してギャラリー棟に改装されていて、外見も板張りに換えられています。塩谷家の出身で写真家として活躍した塩谷定好が、この土蔵の1階を写真店兼喫茶室、2階を写真スタジオに改造しました。
 現在はカフェの土蔵スペースとして使用されていますが、建物自体は傾いていて、屋根端が隣の土蔵の軒にくっついていました。


 その内部はこんな感じです。土蔵の内装をそのままレトロチックな風情に生かして、独特のムードを演出しています。


 2階の写真スタジオ部分は改修で大半の床を撤去され、釣り式の掛け材と、階段とが残されています。


 塩谷定好が使用していたであろう、電話機です。配線が照明のそれに繋がって残されているようなのですが、いまも現役で使える、というのではなさそうです。


 昔の蓄音機です。子供の頃はレコードで音楽を聴いたりしましたから、こういう遺品に出会うと懐かしい気分になります。


 昔の糸車も置いてあります。アンティークのインテリアとしては珍しい部類に属しますが、独特の存在感があって良いです。かつては養蚕も盛んであった赤碕なので、こうした糸車はどの家にもあったものと思われます。


 庭園からみた、主屋の外観です。街道に直面する商家建築としては古例に属し、棟を東西に伸ばして二階建とし、屋根は、切妻造の桟瓦葺とします。外壁は漆喰塗で、上下階に広く繊細な格子をたてています。


 庭園にて何かを見上げるTさん。


 庭園の横には石積みで構築された園池がありますが、水は流れていませんでした。築山の上に小さな祠があるので、かつては水が流されていたと思われますが、導水施設も流水の痕跡も見当たらないので、かなり改変されているようです。


 街道に面した続きの覆屋には、昔ながらの円筒形ポストがいまも現役で頑張っていました。 (続く)

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サンダース大学付属高校 シャーマンファイアフライ(劇場版仕様) 作ります!! その3

2016年09月08日 | ガルパン模型制作記

 ステップ9では、車体のノーズ部にあたるデファレンシャルカバーを組み立てます。牽引ホールドにつけるリングのD8は劇中車にありませんので不要です。
 ステップ10では、車体後部につくディフレクターを組み立てます。


 デファレンシャルカバーの各パーツです。このうちのC50の上部には、キット型式番号とみられる数字が刻まれていますが、劇中車にはありませんので、組み立て前に削り取っておきます。


 デファレンシャルカバーが組み上がりました。パーツの合わせが楽で、しっかりと組み合わさるので、まったくストレスを感じません。


 ディフレクターの各パーツです。ガイドの指示通りに組んでゆきます。


 ディフレクターが組み上がりました。


 ディフレクターの車体への取り付けは、後のステップ12にて行うのですが、ここでは前倒ししてそのまま取り付けました。


 ステップ11では、車体上部の各部品を取り付けます。車体パーツのH2および背面部パーツのE15にドリルで穴を開ける旨の指示がありますが、劇中車の特徴にしたがって、H2では塗装例1の1mm二ヶ所のみ、E15では1.2mmの二ヶ所のみを開口します。車外装備品の多くは、キットの指示位置と劇中車の装備位置とが異なるからです。
 また、キャップD7の向きを劇中車に合わせて斜めにセットします。E27とE28は劇中車にありませんので不要です。
 さらに、グローサーボックスカバーのC30、C31にはエッチング9を付けないままにしました。劇中車では、ケイ搭乗車やアリサ搭乗車と同様にボックス内のメッシュが見えず黒一色の表現になっているからです。

 ステップ12では、車体の各パーツを組み合わせます。このうちディフレクターは、既に取り付け済みです。ステップ13のドライバーズハッチの組み立ては、ガイドの指示通りに次のステップ14にてまとめて行ないます。


 各パーツを切り出して車体の周囲に置き、順に取り付けてゆきました。


 背面部パーツのE15にて、1.2mmの二ヶ所のみを開口しました。劇中車はキットの車輌よりも装備品が少ないため、ダボ穴の幾つかは開口する必要がありません。


 全てのパーツを取り付け終わりました。


 キャップのD7は、ガイドの指示と劇中車とで向きが異なります。劇中車に合わせて取り付けました。


 車体の各パーツを組み合わせました。隙間なくピッタリと組み合わさりました。さすがはアスカモデルだなあ、とタミヤに劣らぬその組み易さに感心しました。
 この状態で、ケイ搭乗車の無印M4と比較してみました。僅かに車長が長いので、まさしくVCファイアフライだな、と思ったことでした。 (続く)

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン6の1 「ラーメンと赤碕港」

2016年09月07日 | 倉吉巡礼記

 8月17日、倉吉へ一泊二日の行程で出かけました。ネット上でのコメントのやり取りが契機となって知り合った、倉吉在住のTさんと初めて会うことになり、あわせて倉吉市役所での観光交流課との意見交換会に誘われたためでした。
 今回は三朝町の三仏寺関連の資料なども欲しかったので、朝9時半に三朝町立図書館に立ち寄って図書カードの手続きを行ない、三冊の資料を借り出しました。

 鳥取県内の各自治体の図書館は、蔵書数やサービスレベルに差があるものの、歴史や文化関連の専門書が他県よりも充実していることで知られます。私自身は県内の大半の図書館を利用しましたが、文化財関連の蔵書が充実しているな、と思うのは、鳥取県立図書館を別にすれば、鳥取市立図書館と三朝町立図書館の二ヶ所です。
 倉吉市立図書館は、古い町並みに関連する専門書すらあまり置いておらず、考古関連資料はかなりありますが、美術工芸や歴史民俗の分野では不足が目立ちます。むしろ三朝町立図書館のほうに、その関係の本が多く収蔵されているため、時々利用するならば三朝町立図書館にしよう、と以前から決めておりました。今回のような泊りがけの倉吉行きの際に本を借りて、宿で読んで楽しむのも有意義だな、と考えたのでした。

 それからTさんに連絡して合流場所へ移動、ほどなく初対面の挨拶を交わしてTさんの自宅にも案内していただきました。その後、Tさんのお気に入りの場所であるという赤碕へ連れていってもらいました。

 赤碕とは、中世から近世にかけて伯耆国の主要港であった八橋湊(やばせみなと)のある地域を指します。中世戦国期には守護職山名氏の、江戸期には鳥取藩の、外港として大いに栄えた歴史を持ちます。
 その赤碕へ倉吉から続く街道がいわゆる「八橋往還」と呼ばれたルートで、古代以来の因幡街道の一部を取り込んでいた経緯はよく知られるところです。

 上図は、その「八橋往還」ルートです。現在の県道151号線にあたります。


 30分ほどで、赤碕の国道9号線沿いの道の駅「ポート赤碕」に着きました。20年前に鳥取市から皆生温泉まで湯治に行った際に延々と9号線を走り、途中で唯一休憩で立ち寄った場所でした。そのときの記憶のイメージが全く合わないので、おそらく建物もかなり変わったのだろうな、と思いました。


 まずは、施設内にある牛骨ラーメンの「べんけい」2号店に立ち寄りました。Tさんも、私と同じく牛骨ラーメンが好物だそうです。
 「べんけい」は倉吉駅の近くに本店があり、二度ほど行きましたが、こちらの2号店は初めて知りました。時々、本店が臨時休業になっているときがあり、戸口に決まって「赤碕へ出張しております云々」の貼り紙がしてあって、何のことだろうと疑問に思っていましたが、2号店のことだったんですね・・・。


 店内は満席でしたのでしばらく待ちましたが、その際に店内の「べんけいラーメン」の案内ポスターが目に入り、あれを食べようかということになって、入店時に「牛骨ラーメン」で買ったチケットを変更してもらいました。


 これが、今回いただいた「べんけいラーメン」です。牛骨ラーメンの新メニューかと思ったのですが、そうではなく、普通のラーメンでした。倉吉の本店で食べた牛骨ラーメンとは味が全然違いました。


 食後に施設内でTさんに教えられた、アニメ「琴浦さん」の案内ポスターです。地元琴浦町のご当地アニメ、というように伺ったのですが、後日調べてみると、琴浦町とのコラボは後から追加されたもののようです。
 つまり、2013年1月に原作コミックのTVアニメ化シリーズが全12話で放映された後、主人公の名前が「琴浦春香」であるのに目を付けた琴浦町が連携をもちかけて6月に特別展示を実現、あわせて新連載コミック「とっても琴浦さん」を琴浦町公式ホームページ上に掲載開始し、現在に至っている、ということです。
 私自身は、今回初めてこのアニメを知りましたが、キャラクターやストーリーをとりあえず追いかけてみたところ、広島県尾道市が舞台の「かみちゅ」に似ている感じでした。
 しかも、「琴浦春香」の声が、どこかで聞いたような声でしたので、担当声優さんをチェックしてみたところ、カルバンのカチューシャやホシノを演じている金元寿子さんだと分かりました。

 「琴浦さん」の公式サイトはこちら。琴浦町公式ホームページの「とっても琴浦さん」の記事はこちら


 赤碕港に行きました。久しぶりに日本海のコバルトブルーの水平線を眺めました。付近の海面に洗われていた古そうな石積みは、江戸期の築堤の遺跡の一部だそうです。

 赤碕港は、現在は西側に漁港施設が増設されてそちらが港湾機能を担っています。こちらの古い築堤を伴う港は、かつては「菊港(きくみなと)」と呼ばれ、江戸期には鳥取藩の廻米の積出港として賑わったそうです。すでに中世期に日本海航路の廻船の出入りがあったといい、尼子氏や毛利氏の水軍の拠点になったこともしばしばだそうです。


 「菊港」の石積み築堤は東西に築かれましたが、いずれも現存しており、日本海側に現存する数少ない江戸期の石造波止の遺構として、現在は土木学会選奨による「土木遺産」に指定されています。波止とは、防波堤と船の接岸場とを兼ねたものを指します。

 東の築堤は最近に公園整備が行われ、先端近くには昔の旅姿をあらわした石像「波しぐれ三度笠」が立っていました。


 東の築堤上より、西の築堤を見ました。江戸期の修造ですが、いまも現役で港湾の外郭を成しています。


 東の築堤の先端です。石積みの常態のままですが、公園化の際に修築し直したのか、新しい感じの石がかなり混じっていました。


 石造の上にウミネコが停まっていました。最初はユリカモメかと思ったのですが、それにしては嘴が精悍で羽根の色も濃いので、ウミネコだな、と考え直しました。
 カメラを向けると、どういうわけか動きを停めてしばらく微動だにしませんでした。まさか、カメラを意識してポーズをとったんじゃないでしょうね・・・。 (続く)

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サンダース大学付属高校 シャーマンファイアフライ(劇場版仕様) 作ります!! その2

2016年09月06日 | ガルパン模型制作記

 ステップ5ではボギーを組み立てます。ガイド指示の通りに進めますが、内部に入れる三枚の発砲ゴムシートは、キットに入っているVVSSサスペンションスペーサーに交換します。VVSSサスペンションスペーサーにはA、B、Cの3種がありますが、今回の車輌には初期型サスペンション用のAを使います。パーツ表面にAの字がモールドされているものです。

 ステップ6では、車体下部を組み立てます。タミヤ等のキットでは一体成型で箱型パーツになっていることが多い部分ですが、今回のアスカのキットでは分割されていて箱組みで作ります。一見して難しそうに見えますが、実際にはパーツの合いがしっかりしているので、一つ一つきちんと接着してしけば、難なく仕上がります。
 また、リヤパネルのE24にて穴開けの指示がありますが、劇中車には無い部分ですので開ける必要はありません。


 ボギーの組み立てに使用するパーツを切り出して並べました。左上隅にかたまっている長円形のパーツが、VVSSサスペンションスペーサーのAです。


 改めて、VVSSサスペンションスペーサー取付説明書とパーツを図示しておきます。これを使うと、サスペンションの高さを固定出来るので、三枚の発砲ゴムシートを使う場合よりも足回りの揺れが小さくなります。
 また、私の制作においては、第一および第六転輪のサスペンションアームも接着して固定する予定です。固定しておかないと、ベルト式履帯を装着した際に、その張力に第一および第六転輪が引っ張られてしまい、転輪全体の並びが前後で浮き上がるという不自然な状態になるからです。


 組み立てが完了しました。アスカのこの部分のパーツは精度も出来栄えも群を抜いています。上部のスキッドの接合ボルトまできちんと再現してあるのは、アスカの製品だけです。このメーカーのシャーマン愛がよく伝わってきます。


 車体下部の組み立てにかかりました。各面が別パーツとなっているので、箱組みの面白さが味わえます。


 難なく組み上がりました。タミヤのキットよりも組み立て易い、との評判は正鵠を得ています。


 ステップ7および8では、リヤパネルを組み立てます。細かいパーツが色々とありますが、劇中車には無いものも少なくありません。パーツの幾つかは不要となります。
 ステップ7においては、E22、エッチング18、D8が不要で、ステップ8では牽引フック関連のパーツF24、F28、F46、F47、F49、エッチング3、そしてE20、E26が不要です。またE19、E25も完成すれば見えなくなる位置につくので、不要パーツに入れてもよいかと思います。
 また、ステップ7においてエンジン点検ハッチのE35に穴開けの指示がありますが、下端の1mmの二ヶ所だけを開口します。


 改めて公式設定資料図の劇中車の背面を見てみましょう。御覧のように牽引フックが無く、ホールドに牽引リングがありません。スモークエミッター電源部に相当するE22、エッチング18のパーツもありません。
 総じて、ケイ搭乗車やアリサ搭乗車のリヤパネル部になるべく合わせてシンプルになっているという印象を受けます。連結器形の牽引フックが無い代わりに、スモークエミッターが付けられています。


 スモークエミッターのパーツはエッチングパーツも含めますので、瞬間接着剤が必要です。


 組み立てが終わりました。


 各パーツをドンドン切り出して、取り付けてゆきました。


 途中で、リアパネルE24の下端にある二つの不要モールドを削り取ります。


 二つの不要モールドを削り取りました。牽引フックの基部と点検用ステップの取付位置、でした。


 ステップ7の工程が完了しました。後でハンドルC13を付け忘れたことに気付きましたので、後のステップにて取り付けました。


 誘導輪の軸部のパーツC25は、ガイドの指示通りに接着していません。ベルト式履帯の装着時に誘導輪の位置を自在に決められるからです。


 ステップ8の工程が完了しました。エッチング11は一応取り付けましたが、完成すれば、外からは全く見えない部分です。 (続く)

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の10 「倉吉線跡と安房里見氏史跡」

2016年09月05日 | 倉吉巡礼記

 町並み散策を終えて帰路につくべく関金に移動しましたが、まだ日は高かったので、一時間ほど延長して関金エリアを適当に回ってみようと思いつきました。
 それで、20年前に一度だけ行ったことがある「関金町資料館」に立ち寄ってみました。初めて見る、真新しい石標が路傍に立っていました。


 しかし、資料館の建物や屋外展示品があった場所は、更地になっていました。本館は古民家調に造られた雰囲気の良い建物で、内部には当地でかつて盛んであったタタラ製鉄や木地師に関する資料をはじめ、多くの民俗資料があったと記憶していますが、全てが跡形もありませんでした。しばらく、入口付近にて立ちつくし、遠い20年前の景色を想いました。

 後日調べたところ、資料館は二年前の平成26年3月31日に閉館し、展示資料の一部は倉吉市役所関金庁舎のロビーにて展示されている、ということでした。いずれ機会をみて関金庁舎を訪ねてみます。


 「関金町資料館」跡地のすぐ向かいには、かつての国鉄倉吉線の廃線跡が残されています。こちらは20年前に見た状態のままだろうな、と思いつつ近づきました。


 線路へ登る階段も、生い茂る夏草に覆われつつありました。


 思った通り、線路上には草が繁り広がっていました。


 レールは、今もなお残されていることが、足元を見て分かりました。秋から春にかけての、草の無い時期に行けば、残存レールの全容が見渡せることでしょう。

 国鉄倉吉線の廃線跡は、いまも一部に駅のホームやレールが残り、ハイキングコースになっているところもあります。廃線跡トレッキング等、倉吉市の歴史散策イベントも定期的に開催されているそうです。
 私は近代産業遺産に関心がありますので、その一種である鉄道廃線跡巡りにも興味があります。機会があれば廃線跡トレッキングイベントにも参加してみたいです。


 続いて、堀地区にある山郷神社を訪ねました。元は堀神社と称して当地の鎮守であったものです。山郷はヤマノサトと読みます。


 この山郷神社の境内地に接して、安房里見氏の終焉の地があり、一帯は廟所として扱われています。神社の鳥居前を過ぎて少し行くと、辻があって上図の標識があります。上へ登る道の入口に駐車スペースがありますので、そこに車を置いて、道を登りました。


 道を登ってゆくと、山郷神社の境内地の横に出ます。道はそこで終わって細くなりますので、車で上がってもそれ以上は進めません。


 道を折り返して細い参道に進み、道なりに進んで段々畑の上にゆくと、やがて向こうの木立の下に祠が見えてきました。


 安房里見氏の終焉の地です。戦国の乱離を切り抜けて安房国に里見の家名を保ったのもつかの間、徳川将軍家の権力闘争と陰謀の標的にされて領地は没収の憂き目となりました。転封とは名ばかりの倉吉行きとなって、謹慎蟄居同然の身となった、最後の当主里見忠義は、この地の屋敷にて、跡継ぎも無いままに29歳の若さで亡くなりました。従ってきた八人の家来も、三ヶ月後に殉死して後を追いました。


 涙無しには語れない、戦国終焉に伴う悲話の一つがここに静寂を引き寄せています。祠の背後にそびえる椎の大樹は樹齢400年を数えるそうですので、里見氏主従がここに蟄居した時期に屋敷の庭木として植えられたものかもしれません。
 主従の墓は、倉吉打吹地区の大岳院にありますが、魂はおそらくここに鎮まって居るものと思われます。そう感じずにはいられないほどの厳粛な雰囲気が、祠の建つ空間にのみ、漂っていたからです。


 主従が日々眺めていたであろう景色は、いまと余り変わっていないのではないか、と思いました。山並みの上の空の彼方に、彼らは常に、故郷安房国館山城の風景を思い浮かべていたことでしょう。

 以上にて「「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5」のレポートを終わります。

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サンダース大学付属高校 シャーマンファイアフライ(劇場版仕様) 作ります!! その1

2016年09月04日 | ガルパン模型制作記

 サンダース大学付属高校のナオミと言えば、プラウダ高校チームのノンナと共に、ガルパンを代表するスナイパーの一人として有名です。命中率の高い砲手は何人か居るのでしょうが、行進間射撃で平然と的を射抜く、という練度に達している人はなかなか居ません。
 上図も、射撃直前の姿ですが、特に気負った様子もなく、平常時の挙動のままにさりげなく照準を合わせています。やや強く結ばれた口元のみが、命中への確信をただよわせます。


 その搭乗車、シャーマンファイアフライは、自チームはおろか、ガルパンの登場車輌のなかでも上位に属する強力な17ポンド対戦車砲を備えています。史実では、ミハエル・ヴィットマンのティーガーⅠをも遠距離から仕留めたほどです。その打撃力は、ガルパンにおいても常に発揮されており、頼もしい存在であり続けました。


 対大学選抜戦では、戦車の撃破こそ1輌にとどまりましたが、廃遊園地内のYO地点では観覧車に制御の一撃を当てて味方の活路を開き、終盤でのダージリン達によるT28撃破ではアシストを務めるなど、重要な活躍を重ねています。サンダース大学付属高校チームにおいては、最も勝利に貢献したメンバーです。


 そのナオミのシャーマンファイアフライを、上図のアスカモデルのキットにて再現してみることにしました。TVシリーズの段階では、劇中車の車体寸法はICファイアフライに近いのに形状はVCファイアフライに通ずるという謎仕様でしたが、劇場版の劇中車は色々と各所が修正されて車体寸法も形状もVCファイアフライに限りなく近づきました。
 アスカモデルのキットはVCファイアフライなので、ストレートに組んでも、劇場版の劇中車がほぼ再現出来ることになります。

 ですが、劇場版の劇中車は装備品の一部を外しているうえ、キットにある幾つかのパーツを付けない状態で描写されています。それに合わせて不要パーツを抽出してゆくと、キットのガイドの指示よりも少ない工程で組み立てられることが分かりました。改造箇所も少ないです。
 したがって、ガルパン戦車の適応キットの中では、割合楽に取り組めるだろう、と予想しました。


 中身はこんな感じです。ランナーやパーツは効率よく分割配置されていますが、タミヤだと一体成型になるであろう部分も複数のパーツで構成されているため、パーツ数は多めです。しかし、不要パーツも相当ありますから、制作で使用するパーツの量は全体の三分の二程度になります。


 日本のメーカーらしく、説明書類も行き届いています。組み立て説明書と塗装説明書があり、実車の解説文も詳しく載せられています。
 これに加えて、ベルト式履帯パーツの材質変更に伴う各種のお知らせ、VVSSサスペンションスペーサーの取付説明、があります。後者のVVSSサスペンションスペーサーは、今回の製作では必要と考えたので、組み立てガイドで指示されている発泡ゴムシートと交換して使用しました。


 組み立てに入る前に、上部車体パーツのH2の表面のモールドをチェックしました。実車同様の溶接跡の線などが各所に忠実に再現されています。また、車体上部前面の二つのハッチの間には、キット番号らしき数字もモールドされていますので、これは削っておく必要があります。


 ガルパンに登場するシャーマン系の車輌は、ケイ搭乗車もアリサ搭乗車もそうですが、溶接跡の線の大部分が省略されています。今回のナオミの搭乗車においても、上掲画像のように、車体前面上部にしか溶接跡の線がありません。


 したがって、車体の上面や側面にある溶接跡の線のモールドは、削り取りました。


 残すモールドの範囲は、上図のような状態になります。


 車体上面左側にはワイヤー留め具が二ヶ所にモールドされていますが、劇中車はワイヤーを装備していませんので、これらも削り取りました。
 以上が、組み立て前の作業でした。


 ステップ1ではベルト式の履帯パーツ、ステップ2ではドライブスプロケットつまり起動輪をCタイプにて組み立てます。ステップ3では、アイドラーホイールを組み立てますが、ロードホイールではB20を使用するので組み立てはありません。
 ステップ4では、サスペンションアームを取り付けます。


 今回のキットの履帯パーツは、珍しく四分割です。二ヶ所で貼り合わせて組み立てます。


 ガイドの指示では接着にプラモデル用接着剤を使用するとありますが、添付のお知らせにあるように、瞬間接着剤を使うのが正しいです。
 私のガルパン戦車製作においては、もともとベルト式履帯パーツの貼り合わせは全て瞬間接着剤で実施しています。古い時期のキットでは昔ながらの焼き止め法が紹介されていますが、失敗する確率が高いので、常に瞬間接着剤でくっつけています。薄く塗り伸ばしておいて、ピタリと合わせて押さえて密着させれば事足ります。


 ドライブスプロケットつまり起動輪は、キットでは三種類が選べます。ガルパンの劇中車はCタイプにて作ります。


 アイドラーホイールつまり誘導輪を組み立てます。上図の上が組み立て後、下の三つのパーツが組み立て前の状態です。


 組み立てを完了した、ドライブスプロケットとアイドラーホイールです。


 ロードホイールつまり転輪は、B20を使用します。グリスニップルが表されている面が外側になります。


 ロードホイールの全てに、サスペンションアームを取り付けました。今回のキットはVVSSも劇中車と同じ初期型ですので、パーツをそのまま組んでゆけばOKです。 (続く)

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の9 「コンチェルトとダイアナ」

2016年09月03日 | 倉吉巡礼記

 少し時間が余ったので、重伝建エリアの防火システムやインフラ整備状況などをあちこち観察しながらあちこち移動しました。途中で、和泉一舞のパネルが立つ土蔵ギャラリーの前を通りました。


 「くら用心」内の原画パネル群も、もう一度見ておきました。イベント時にしか展示されないと聞きましたので、春の桜まつりの際にも出されていたようです。

 これは、今回新たに加わった山形まり花のパネルの原画です。「ひなビタ」シーズン4の8月19日に「倉野川観光課だより」で発表された新曲「neko★neko」のイメージ画であり、山形まり花の恰好は、6月に吹奏楽部にマーチングバンドのキーボード演奏を頼まれた際のものです。


 これも、今回新たに加わった和泉一舞のパネルの原画です。「ひなビタ」シーズン4の6月23日に日向美高校のチアリーディング部に頼まれて高校野球地方大会の応援を手伝った際の格好です。


 この春日咲子の原画は、ドラマCD「SWEET SMILE COLLECTION」シリーズの「カップリングC」のカバーイラストです。横にいる妖精みたいなのは、誰でしょうか・・・。


 芽兎めうの原画です。自爆ボタンまで装備されているという、愛車の「もちゃちゃ」に乗っています。これが戦車だったら「せんちゃちゃ」になるんでしょうか・・・。ウサギのマークやデザインが各所にあしらってありますので、ガルパンで言うとウサギさんチームのM3中戦車リーに相当するんですかね・・・。


 この霜月凛の原画は、ドラマCD「SWEET SMILE COLLECTION」シリーズの「カップリングB」のカバーイラストです。左横にいるのは芽兎めう、右横には星見日向です。


 喉が渇いてきたので、市役所下の喫茶店「コンチェルト」に行きました。漢字をうまく当てて店名にしてありますが、昔からこの名前だったかな、と首を傾げました。


 この日は営業していました。営業しているのを見たのは20年ぶりでした。内部には手作りの小物や調度品が多く並び、こんなお店だったかなー、という気分でした。20年前とはどこかが何かが違っているような感じがしたのでした。改装したのか、経営者が変わったのかもしれないな、と思いましたが、実際にはどうなのでしょうか。いずれ機会をみて聞いてみたいと思います。


 メニューには、「ちくわチップクッキー」というのもありましたが、「何だそれは」感が強くて、コーヒーだけをいただきました。


 ちくわ関係ならば、やっぱり「ちくわパフェ」だと思うので、迷わず「ダイアナ」に向かいました。


 ところが、店内は巡礼者で満席でした。打吹まつりの二日目ですから無理もありません。帰る前に「ちくわパフェ」だけは絶対食べておきたい、という雰囲気の客ばかりでした。この日も大繁盛の「ダイアナ」でした。
 春日咲子的には「とってもとっても、いいと思います」ですね。 (続く)
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逸見エリカの笑顔

2016年09月02日 | ガールズ&パンツァー

 ガルパン劇場版を通じて、最も印象に残ったのが逸見エリカのこの笑顔。エンディングのアンツィオチームの楽しそうな笑顔も良かったけれど、そちらは他にも笑顔のシーンが幾つかあります。
 対して、この逸見エリカの、こんな嬉しそうな表情は、初めて見ましたよ・・・。

 大学選抜チームとの対戦前の作戦会議で、西住みほの挙げた作戦名への突っ込みを西住まほに遮られてシュンとなっていましたが、あれが、ものすごく哀れに見えて仕方がなかったのです・・・。ですから、西住まほがいざとなったら逸見エリカを頼りにする、ということが分かった時点で、こちらも嬉しくて同じような笑顔になったかもしれません・・・。

 そろそろ、ガルパン戦車プラモデルの方でもティーガーⅡを早く作ってあげないといけませんね・・・。
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の8 「パネルのある街角」

2016年09月01日 | 倉吉巡礼記

 再び観光駐車場に車を置いて、琴桜口からの散歩を楽しみました。上図は「りんりん屋」です。一見して何のお店が分からないぐらい、色々な商品を扱っておられますが、基本的には土産物屋であるそうです。


 「元帥酒造」さんの木戸口越しに、山形まり花を見ました。このキャラのアホ毛は、ガルパンの五十鈴華のよりも弾力があるようで、頭上に大きく円をえがいています。


 向かいの店のウインドー内には、相変わらず春日咲子が居ます。「ひなビタ」のパネルも、ガルパンの大洗のように位置が固定されているものが多くなってきました。


 ひなビタギャラリーの置かれた「くら用心」です。復興建築であるために文化財保護法等の制約がかからず、内部空間はフリー展示室としても機能します。イベントのたびにパネルなどが展示されているのもそのためでしょうが、もう少し工夫して色々と盛り込んでいただければ、見学の楽しみも増えることでしょう。


 玉川にかかる橋の横に、ここなつの双子姉妹がたたずんでいます。こういう風景も、倉吉では見慣れたものになってきつつあります。パネルがあっても違和感を感じなくなっています。

 問題は、そうして風景に溶け込んでいった時点で、それらのパネルをどう活用して観光振興に繋げるか、ということに尽きると思いますが、行政側にも地元住民においても確かなビジョンが構築されていないような、一種の空虚感すらただよっています。
 ガルパンの大洗が、思いつくままに次々と仕掛けていってイベントを盛り上げ、巡礼者を絶え間なく呼び込んでいたのとは対照的です。


 ここなつの双子姉妹は、打吹まつりの終了後は、たぶんどこかのお店に貸し出されるのでしょうが、二人揃って貸し出されるのか、バラバラに配置されるのかは、分かりませんでした。予想では、バラバラになる可能性が高い、と思いました。パネルを置きたがっているお店がかなりある、と聞いていたからです。
 しかし、倉吉ではまだどこでもパネルを置くだけに終始しているようなのでした。せっかくパネルを借りたのだから、これを資本として何か仕掛けよう、投資してみよう、という発想に至らないようです。


 山形まり花の居る「久楽」です。二階が喫茶店になっており、観光客の大半が利用しているそうです。考えてみれば、古い町並みエリアに所在する喫茶店は数えるほどしかありません。街並みの中でゆったりと時を過ごしたい、というようなニーズにはいまひとつ対応出来ていないのが、倉吉の課題の一つです。


 パネルの位置が、午前中よりも、少し外に出ていました。


 バンドではキーボード担当ですが、よく考えると、ガールズバンドのリーダーがキーボード担当であるケースは珍しいのではないでしょうか。


 向かい合って立つ霜月凛です。


 パネルの立つ街中には、昼過ぎにもかかわらず閑散としていました。どうやら、打吹まつりに参加した「ひなビタ」巡礼者はそんなに居なかったようでした。春の桜まつりの時の6000人は延べ人数であるので、実数はもっと少なかった筈です。その数よりも少なくなっているような気がしました。 (続く)

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