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歴史街道を歩く会 9月例会  北国街道と北国脇往還を歩く

2015年09月26日 23時01分00秒 | 歴史街道を歩く会


「歴史街道を歩く会」の9月例会に参加しました。今月もJRで現地に向かうものです。JR高月駅で下車して高月観音堂である大円寺を訪ね、その次は十一面観音が安置されている渡岸寺観音堂を訪ねました。そして雨森芳州庵へ。北国脇往還を歩き木之本の街へ。木之本は北国街道の宿場であったところです。木之本宿で牛や馬の市が開かれていたことを知りました。
木之本の街中を歩き、最後はJR木之本駅から乗車しました。好天の秋の日。金木犀の香。黄金色に実った稲穂。季節感を感じることが出来ました。



きのもとまちあんない。 北国脇往還から引用。



JR高月駅に着きました。



JR高月駅。
駅舎からコチラに来ました。
高月総合案内所となっています。淡海ツーリストとかトラベルメイトが入っていて旅行の斡旋をしているのでしょう。物品の販売もしていて、道の駅のような雰囲気です。



観光案内所の女性が私たちを外まで見送ってくれました。



これから高月の町を歩きます。



高月観音堂。大円寺へ来ました。
杉の巨木を見上げています。
まだ、新しい木の板には「おしどり杉」と書かれています。


高月観音堂の本堂です。
内部の千手観音が見えました。



観音堂の境内に咲いていたキンモクセイです。
そして歩いている途中にギンモクセイを見かけました。
馥郁とした香りを放っています。キンモクセイは知っていましたが、ギンモクセイを見たのは初めてです。



北国脇往還を歩きます。



渡岸寺観音堂に来ました。
これから仁王門をくぐります。



広い境内を進み、本堂へ向かいます。



本堂へ。
そして、宝物蔵に行きます。



宝物蔵。
コチラに十一面観音が安置して有ります。
この先は撮影禁止です。



十一観音を拝観して、出てきました。



高月観音の里 歴史民俗資料館です。



資料館の前に設置してあった観音の里の案内板。



高時川に向かって歩きます。



高時川の堤防を歩きます。
足元のヒガンバナ。秋を感じさせます。




雨森の里に来ました。
水路を綺麗な水が流れています。
真鯉が泳いでいました。



ここが芳州庵です。



雨森芳州の説明です。



芳州庵の館長が、教科書を手に取り、説明してくれました。



館内に朝鮮通信使の説明があり、当時たどったコースが書かれています。
右は12回渡来した時期が書かれています。
隣国からの使者とはいえ、莫大な費用と労力、時間をかけて、江戸に向かっています。
大坂から陸路となる訳ですが、その前は瀬戸内を通って来てきてます。上関、鞆の浦、牛窓などの字が読めます。風を便りの航行です。大変な苦労があったと想像します。

今、当時朝鮮通信使が通った道を日韓の人々が自転車で辿り、東京に向かっています。この事業の成功を願うと共に、隣国の関係。かつて、朝鮮通信使が辿った事を振り返っても良いのではないかと考えます。



色々の資料が展示して有ります。
中央に芳州の坐像が安置して有ります。




部屋の周囲に朝鮮通信使の巻物が展示して有ります。
それに、通信使の姿のマネキンが展示して有りました。



雨森の集落。
水路に綺麗な水が流れ水車が廻っています。



集落の中の道と水路。
水路沿いにベゴニヤのプランターが置かれています。



北国脇往還を歩いてきました。
T字の交差点に標柱が立てられています。



稲が実り黄金色となっています。
もう、稲刈りをするばかりの時期となりました。



木之本の町に入ってきました。
弘法水のところで立ち止まりました。



木之本の町を歩いていて、あちこちで見かけたのが、赤い消防水利の板です。
水路で水が流れています。
水の豊富な木之本ならではの事でしょう。


北国街道と北国脇往還の分岐点です。
南に向かい、右に行けば京へ、左に行けば関が原。中山道へとなります。


長浜北商工会女性部発行
「きのもと まちあるきまっぷ」より


これから木之本を歩きます。
北国街道が木之本の町を南北に貫きます。
道路の中心部に融雪用の噴水口が並んでいます。



きのもと交流館の外部と内部。




きのもと交流館は問屋跡地に滋賀銀行が建てられました。右の説明板には湖北銀行木之本支店となっています。湖北銀行でスタートして合併で滋賀銀行となったのでしょうか。



交流館の内部に展示して有った写真。これらの写真、木之本の歴史そのものです。
右上は街の中に川が流れています。左中は牛馬市。セリで賑わっています。


明楽寺に来ました。



きのもと交流館の看板に田上山の地下水で、醸造業や酒造業が盛んと書かれています。
左は白木屋醤油店。右は冨田酒造です。
通りに醤油屋が3軒、酒屋が2軒並んでいます。



こちらは本陣薬局で古い薬の看板が下がっています。
本陣と表示が有るように、かつて本陣だった場所です。



つるやパン。
ここのサラダパンが、テレビで取上げられたりして有名になりました。
木之本へ来たのであり、買って帰りました。


角が石垣の所に来ました。
ここが木之本地蔵です。





木之本地蔵です。



カラフルな幕が垂れ下がっています。



木之本地蔵の前の角屋。
何人かの人がソフトクリームを買いました。



私もソフトクリームを買いました。
そして、この店では丁稚羊羹も買いました。


コチラも酒屋さんです。
ガラス越しに大きな瓶が見えます。
桑酒の蔵元、山路酒造です。





馬宿、平四郎です。



牛馬市について詳しく解説しています。
年に2回開かれたと有ります。春と秋なのでしょう。
地元は勿論、但馬や丹波。伊勢や美濃から集まったと有ります。交流館の写真に有りましたように、当時は相当賑わったことでしょう。今日のように鉄道が発達していない時代。歩いて木之本まで来たのでしょう。と言う事は宿に泊まったと思います。それで、金のやり取りが盛んだったのでしょう。



牛馬市の説明。このあたりで市が立っていました。



JR木ノ本駅に来ました。
この駅も高月駅と同じように観光案内所を兼ねていました。




しばらく列車を待ちましたら、播州赤穂行きの列車が入線してきました。
15時14分発の列車です。

 

今回は、JR高月駅からJR木ノ本駅まで歩きました。
国道365号線を走っていると雨森芳州庵のロードサインを見かけますが、芳州が日本と朝鮮の橋渡しに活躍した人だとは知りませんでした。芳州庵を訪ねて、どのような人物なのか知る事が出来ました。芳州庵に朝鮮語の表記が有りました。雨森芳州の事を日本人よりも韓国人の方が良く知っているのかも知れません。

木之本の町を歩きました。北国街道の宿場で有るだけでなく、牛馬市で各地から人が集まりました。当時の賑わいを想像してみる事が面白いです。

高時川の堤防を歩いていて、足元にヒガンバナを見かけました。木之本の街の手前では稲穂が実り、直ぐにでも稲刈りと言う時期を迎えていました。
歩いていて、季節を感じる事が出来ました。

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