ブログ人Ginga

JR線全線完乗を目指してたまに旅に出たりしています。

新川原湯温泉 王湯の旅

2015年03月23日 | 旅行
こんにちは。王湯の移転開業と吾妻線の岩島~長野原草津口間が新線に移行して半年ほど経ち、ようやく今回移転した新川原湯温泉の王湯に行ってきました。

今回も高崎駅9時13分発吾妻線長野原草津口行きに乗車し、川原湯温泉へ向かいます。

新線切り替え後初めて降りました。川原湯温泉駅。

新川原湯温泉駅は島式ホームとなり、エレベーターもあります。

改札内にはベンチもあり、新築でとても綺麗です。

川原湯温泉駅舎。現代的な駅舎です。

駅から徒歩15分、王湯に着きました。こちらも去年夏に移転開業したばかりなのでとても綺麗です。浴槽は人がいたので撮影できませんでした。
以前は内湯と露天が別々のところにあり、服を着ないと移動できませんでしたが、今回から1つにまとめられています。浴槽が少し小さめですが、露天からの景色は少し枝が気になりますが、良かったです。ちなみに、入浴料は2時間500円です。

1時間、王湯に滞在し少し散策。道路など、まだ完全には整備されていませんでした。

湖面1号橋から長野原方面を撮影。吾妻線の旧線も望むことができます。

反対側には旧川原湯温泉駅が。ちょうど業者が解体作業をしていました。

鉄道模型のレイアウトのような雰囲気です。

川原湯温泉駅に戻って12時59発の大前行きに乗車し、新線乗りつぶしの為、長野原草津口へ。

長野原草津口で下車し、折り返して高崎行きに乗車。発車後すぐに旧線と別れます。

新線区間で唯一の見所。しばらくするとトンネルに入ります。

川原湯温泉駅到着寸前。川原湯温泉駅発車後すぐにまたトンネルに入ります。

岩島駅到着数分前にようやく長いトンネルを抜けるとコンクリート橋でゆっくりカーブして旧線と合流します。写真では見づらいですが、旧線を撤去して道路工事をしていました。

高崎到着後は群馬では有名と言われている鳥料理の登利平で遅めの昼食。やきとり定食を食べましたが、肉が柔らかくおいしかったです。

帰りは上野東京ラインで帰宅。

以前の川原湯温泉のような渋い感じは無くなりましたが、施設が新しいので利用しやすくなりました。

今日は以上です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KATO185系リバイバル 屋根塗装とTNカプラー化

2015年03月16日 | 鉄道模型(N)
こんにちは。北陸新幹線が盛り上がっていますね。例年ブルートレインのラストランが大々的に報道されたりしますが、今回は北陸新幹線一本ですね。東京から金沢まで2時間半。東京大阪と同じくらい近くなり、便利になりますね

さて、ようやく185系の屋根塗装、シール貼り、先頭車のTNカプラー化が終わりましたので、お伝えします。
では、どうぞ。

テストもあり、作業がなかなか進みませんでしたがようやく完成しました。

今回付属しているシールには列番表示機と編成札も収録されています。A8編成(付属5両はC1編成)と東京9:00発特急踊り子105号の列番である3025M(付属5両は4025M)を貼りました。

側面は伊豆急下田行き(付属5両は修善寺行き)を貼りました。またトイレ窓を白に塗装し、側面幌を取り付けました。

屋根を塗装し、クーラー等もスミ入れを行いました。

パンタグラフも屋根と同じ色に塗装しました。汚れたパンタグラフを再現しました。

また、10号車と11号車の先頭車同士を連結できるようにする為、先頭をダミーカプラーからTNカプラーにします。今回はTOMIXのJC0349「密連形TNカプラー」を使います。

まず、TNカプラーの余計な部分をカットし、接着面を平らにします。

スカートは両端3mmのところでカット。

取り付け後の写真です。黄色がTNカプラー、黄緑色がスカートの位置です。

左がTNカプラー化した車両、右が無加工の車両です。

TNカプラー同士で連結。間隔もリアルで満足のいく出来になりました。

ようやく185系の屋根塗装等が終わり、早速試運転しました。ストライプ同士だけでなく、新塗装との併結もアリですね。
583系はベンチレーターなどの塗装に結構時間がかかってしまい、まだ完成できそうにありません…
3月末には完成させたいです

今日は以上です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寝台特急北斗星の思い出

2015年03月13日 | ブログ
お久しぶりです。ようやくテストが終わり、185系の屋根塗装等を開始しました。完成次第ブログにお伝えします。
さて、明日はJRグループのダイヤ改正。北陸新幹線開業や上野東京ライン開業などJR東日本を中心に大きく変わる改正です。明るい話題もある一方、寝台特急トワイライトエクスプレス廃止、寝台特急北斗星も本日発の列車で臨時化されます。
今回は北斗星定期運行最後ということで、私が一番印象に残っている2009年7月の北海道旅行の際に北斗星を利用した時の思い出を書こうと思います。
以前、OCN「ブログ人」の時に公開していた「北斗星乗車記」。gooブログ移行の際に引き継ぎが出来ないということでリンク切れになっていましたが、今回、北斗星関連の写真を厳選し、今のコメントと当時の私のコメントと一緒にお伝えしたいと思います。

本日最後の表示となるであろう「北斗星 19:03 札幌」。(当時:いよいよ電光掲示板に北斗星と表示されました。)

当時は上野方が電源車でした。撮影している人が多かったです。(当時:いよいよ発車準備完了。あと発車まで約7分。)

運行開始からデザインの変更が無かった方向幕。(当時:行き先。JRになってからの列車だが国鉄方向幕です。)

当時の上野~青森信号所間の牽引機はEF81でした。今見ると懐かしいです。(当時:EF81あと約8ヶ月で、EF81は寝台列車などの定期旅客列車から外れ、EF510に置き換えられる。)

この時はツインDXに乗車。(当時:今回乗るオロネ25の車内)

知人はロイヤルに乗車しました。(当時:オロハネ25ロイヤルの車内。1番豪華なこともあり、座席はふんわりして気持ちが良い。 知人が運よくロイヤルのきっぷがとれたので、ラッキーです。)

ロイヤルにはいろいろな設備が。(当時:A寝台にはテレビ・机が装備されている。ロイヤルでの撮影)

シャワールームと折りたたみの洗面台、トイレが備わっていて部屋から出なくて大丈夫な内容となっています。(当時:シャワー室。ロイヤルでは、シャワー・トイレ・洗面台がロイヤルのみ装備されている。だからロイヤル利用者は、まったく部屋から出ることは無い。)

ツインDX2段目から撮影。ほぼ開放B寝台1区画分なので広いです。(当時:ツインDX 二段ベッドから撮影。ツインDXの広さがわかると思います。)

開放B寝台。モケットが張り替えられ清潔感があります。(当時:北斗星のB寝台はモケットも保護用サクもすべて取り替えられています。)

中間車のオハネフ25のテールマークを撮影。この後…。(当時:北斗星のテールマーク。これを撮影していたら、車掌さんが、「今ライトつけてやるからまってな。」といってくださいました。次の写真と比較してください。)

先ほどのマークを撮影していたら、車掌さんがライト点灯とドアを閉めてくれました。今でも印象に残っている出来事です。当時のコメントからも余程うれしかった出来事だったとうかがえます。(当時:これがそうです。ドアを閉めた上、ライトまでつけていただいたので、こんなすばらしい写真が撮ることができました。まったく見れないこんな姿がとれました。〔車掌さん〕ライト及びドアを閉めていただきありがとうございました。感謝します。)

本州最後の旅客扱い駅。(当時:22:00までには寝るつもりでしたが、なかなか車内探検でツインDXに戻ってこれなかったので、約35分遅れでツインDXに到着。結局仙台駅まで車窓を楽しみました。本州では最終常務となる駅。)

青森信号所での機関車交換を撮影の為、移動中に撮影した食堂車。ちなみに21時開始のパブタイムの時に利用しましたが、ケーキセットが美味しかったです。(当時:早朝3時36分に食堂車を通りました。誰もいないので、いい写真がとれました。)

JR北海道車特有の半室ロビーカー。(当時:ロビーもガラガラまだ時間があったので、ゆっくりと撮影。)

青森信号所で機関車交換。EF81がゆっくりと客車から離れます。(当時:いよいよ機関車付け替え開始。青森信号所なので、ホームが無いので降りられません。のでオハネフ25から撮影します。EF81が切り離されました。)

ED79に付け替え。(当時:遠くからED79の明かりが。)

係員がED79に乗車し接近。(当時:だんだんちかづいてくる。)

ハイビームでゆっくり近づく。(当時:あと少し)

ED79には両方にHMが装着されていたので車内から撮影ができました。(当時:「ガちゃん。」とすごい振動。まるで地震みたいな揺れがおきた。)

長いトンネルを抜け北の大地、北海道へ。霧が凄かったです。(当時:青函トンネルを出た直後の景色。)

函館に到着。ここでDD51に機関車交換。(当時:函館に到着。今回は20号機が、牽引しました。)

函館からはオハネフ24側が最後尾に。(当時:切り離した後の24系25型。もうテールライトが点灯している。)

カニ24側は連結作業中でした。(当時:続いてDD51が24系に増結。係員が増結作業を始める。)

DD51重連。ホームの都合で全体を撮ることは難しいです。(当時:DD51重連だと迫力があります。)

途中、特急列車を先に通す。寝台列車の優先順位は低い。(当時:途中で特急列車先行のため運転停車。こっちのほうが特急よりえらいと思うが・・・・。)

ツインDXの下段はソファーにできます。(当時:オロネ25 寝台からソファーに変えました。こんな感じになります。)

約16時間、終点札幌に到着。1夜を共にした列車から降りるのは独特の寂しさがあります。(当時:札幌駅に到着。約16時間のたびが終わる。)

札幌駅でもホーム端に停車するので、撮影し辛いです。(当時:函館~札幌までおせわになったDD51。)

青い車体のブルトレも今日で最後。(当時:北斗星の客車を太陽光の下で見られるのは久しぶり。)

北海道旅行最終日は函館まで戻ってきました。ED79の入線シーンを撮影。(当時:函館駅入線。いろあせたED79牽引24系北斗星が入線。)

2011年撮影の北斗星。ちなみに、上野発定期最終列車の牽引機はEF510-512でした。

やっぱり夜行列車、ブルトレには独特の情があるなと、この記事を書いていて改めて思いました。新幹線で時間短縮するのも大事だとは思いますが、利益重視、速達性重視だと味気なくなります。乗車率も廃止になるほど低いわけでもないようですし、北斗星やトワイライト、カシオペアなど乗ることを目的とする列車は残してもいいような気もしますが、やはり経費かかるんでしょうね。
定期ブルトレが消滅するのは寂しいですが、仕方ないですね。

今日は以上です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする