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ちょっと残念 ミヤコが京都にやってきた!

2021-02-01 21:34:08 | MUSIC/TV/MOVIE

京都を舞台にしたドラマ『ミヤコが京都にやってきた!』。

佐々木蔵之助演じる京都の町医者の元へ、離婚以来会ってなかった娘(藤野涼子)が12年ぶりに現れるって話。

 

佐々木蔵之介といえば京都の作り酒屋の息子。しかも洛中に唯一残る佐々木酒造の三代目、生粋の京都人である。その彼が京都の往診専門の町医者を演じてる。したがって京言葉は全く問題がない。

ただし、どんなに方言をうまく使おうともネットなどでは「あの言葉は地元人は使わない」とか「あのイントネーションは変」だとかいう奴がいる。自分が使わないからって基準なのか、それとも明らかに間違ってるのかは他の地区の人には全くわからないはずなのにね。所詮TVドラマなんだけどな。

 

でもドラマなんかではいくらクレームが入ろうとも、地元人はまず使わないであろう「いかにも」って感じの方言を使った方が、全国の視聴者にはキャラクターがわかりやすくていいかもしれない。

『MIU404』での菅田将暉や、『半沢直樹』での南野陽子の大阪弁がいい例だ。二人とも大阪出身なのに、いかにも「わてらなにわでっさかいなぁ」って感じの、「それは河内弁か泉州弁か摂津弁かどこでつこてる言葉やねん」ってイントネーションの明らかにおかしい「大げさいかにも大阪弁」を使っていた。

 

さて、そんな佐々木蔵之助はいいとして、友人役の市川猿之助はちょっといただけない。

4代目市川猿之助のスーパー歌舞伎に佐々木蔵之助が俳優として異例の出演したりしてるから、交流あっての出演なんだろうけどさ。俳優に歌舞伎の舞台が無理なように、テレビの世界に歌舞伎俳優は合わない。アクやオシが強すぎてさ。最近、尾上右近とかもドラマやバラエティに出てるけど、もう飽きたよ。

香川照之はどうやねんって言う人がいるかもしれないが、彼が9代目市川中車を襲名したのは、二代目猿扇が亡くなってからだしね。役者としてのキャリアを積んでからの話だ。(名を残すために彼の息子を歌舞伎の世界に引き入れるために襲名させられただけだし)

猿之助が友情出演かどうかはわからないが、歌舞伎俳優に京都舞台のドラマは絶望的に無理。京言葉以前に仕草や立ち振る舞いが東人すぎて。『半沢直樹』で「はんざ〜わ〜詫びろ〜」ってやるのとは違うからなぁ。まぁ松本幸四郎さんをはじめ、昔のTV時代劇には歌舞伎役者が主演してたのいっぱいあるんだけどさ。現代劇はちょっとね。

なぜ同じ京都人である西村和彦さんとか使わなかったのか不思議。

 

そして、12年ぶりに現れた娘・ミヤコを演じるのが藤野涼子。

この子がなぜ抜擢されたのかわからない。過去にどんなドラマや映画に出てたのか全く知らないに等しいが全然ダメ。

なんで突然現れたのかって謎を演出したいからか、それとも久々の対面だからどう振る舞えばいいのかわからない娘ってのを出したいのかわからんが、とにかく終始仏頂面。

これが清原果那のように演技がうまけりゃまだ仏頂面でも観れるのだが、嫌悪感しか生まないくらい下手。この子は演技経験ほとんどないのではないか?どこかの劇団に所属してる女優か?浜辺美波と同じくらいダメだ、ファンの人ごめんって感じ。

 

もう一昨年の話になってしまうのだが、2019年の年末に同じように京都を舞台にした単発ドラマが放送された。

『ちょこっと京都に住んでみた』というタイトルからわかるように、東京で暮らす木村文乃が京都の大叔父の家でしばらく生活するって話。

仕事(デザイナー)を辞め現在無職の木村文乃は「人生に失敗した」と悲観してる。そこへ母から「京都に住む大叔父さんが怪我したそうだから様子を見に行ってくれ」と言われ、渋々京都にやってきて大叔父の家でしばらく生活するって話だが、これはかなりいいドラマだった。

京都に住む大叔父役は近藤正臣。彼も生粋の京都人(山科)だから言葉や仕草・立ち振る舞いに全く違和感がない。

このドラマは誰かが殺されたりなんか大きな事件が起こったりはしない。東京の便利な暮らしに慣れた木村文乃は昔ながらのしきたりや風習が残る京都の暮らしに戸惑う。近藤正臣におばんざいやお菓子のお使いを頼まれても「スーパーに行けばいっぺんに済むのでは?」と最初は合理的に考えるが、町の人と会話し触れ合うたびに便利さが逆に無くしたものを見つけていくって話。

 

このドラマでは実存する京都の老舗がそのまま登場する。豆腐の「とようけ屋山本」を始め鰻、七味唐辛子、麩、サバ寿司、和菓子・・・最後は角打ちの酒屋まで登場する。

今回の『ミヤコが京都にやってきた!』も番宣で佐々木蔵之助が「地元出身の僕も知らない古い名所や進化を続ける新名所がいっぱい登場!」と言ってたのだが、ちょっと期待はずれ。鴨川デルタの飛び石や南禅寺の水路閣など、どのガイドブックにも載ってるもう飽きそうな観光名所ばっかり。

ミヤコが海外の友人に名所案内を送ってたりSNSで発信するためだって設定なのはわかるけどさ、サバ寿司の店やパン屋さんなんかも出てきたが、ちょっと京都観光案内しすぎじゃない?脚本が大阪出身〜京都大学卒の今井雅子さんとは思えないくらい京都が陳腐に描かれてるのは、大人の事情ってやつか?

 

『ちょこっと京都に住んでみた』のように、てっきりハートフルなドラマになるのかと思ったのだが、ただ単にロナンス詐欺に騙されてるとも気付かず、金をせびりに来た娘とそれに戸惑う父の話でしか今の所ない。

『ちょこっと京都に住んでみた』では、「美味しい和菓子屋教えて」と聞く木村文乃に近藤正臣はきっぱり断る。「いいもん、いいよネットで探すから」と言う木村文乃に近藤正臣は『やめとき、自分の好きなもんは自分で探さなあかん、スマホなんかに頼らんと自分の嗅覚だけで探したらええんや、あんたには自分の好きなもん探す自由があるんや』と諭す。

自分の嗅覚よりもネットの評価で店を選ぶ現代人。ぐるなびとか食べロゴがダメとは言わないが、所詮他人の評価でついてる星。ミシュランがどうしたこうしたってのと同じだ。自分の直感で店探し、行ってみて自分で感じてみて決めればいい。

女お一人様酒呑み漫画の『ワカコ酒』作者の名言に「店はググるな、暖簾をくぐれ」ってのがあるが、全くその通りだと思う。

 

おっといけない話がそれちまったが、この『ミヤコが京都にやってきた!』は、東京で居場所を無くした娘が12年ぶりに父のところにやってきて、京都の町でいろんな人や店に出会い自分を取り戻す話かと思ったが、どうやらそんな展開にはなりそうにもない。

現在第4話だが今の所、家捜しして婆さんの着物を勝手に質に入れたり、父の口座から勝手に金を引き出したり、飯の支度も洗濯もせず居候してる、仏頂面で愛想のない娘。ロマンス詐欺に騙されてるのを匂わせてる脚本も嫌だが、全くその通りだったというなんのひねりもない展開はもっと嫌。

 

それでも結構いいシーンはあったりする。

「彼に会うなら着物はどないや、確か婆さんのがあったなぁ、どこにしもたっけ」という佐々木蔵之助に「あれ質屋に売った」「もっと金になるかと思ったけど1万円にしかならんかった」と正直(?)に打ち明ける娘。

普通なら「なんてことしてくれんねん」とか「盗人か」と怒るところだが、佐々木蔵之助は「1万円にもなったんかぁ、そりゃよかった」。

そのカネも相手の外人に送ったんか?と聞く蔵之助に「自分のもの買うのに使った」と答える娘。「そりゃ婆ちゃん喜ぶなぁ」という蔵之助。

本音と建前、遠回しな言い回しが常の京都人を見事にここで演出してる。

昨年11月の放送された『作家刑事 毒島真理』での佐々木蔵之助と真逆。元警視庁捜査一課の敏腕刑事で現在は人気ミステリー作家役を演じた佐々木蔵之助は、中山七里の原作を忠実、いやそれ以上に演じていて、辛口・毒舌・無神経・人の神経を逆なでする言動のオンパレードだった。

 

「京都で先の戦争って言うたら応仁の乱のことですわ」とか「ぶぶ漬けでもどないですか」などはすでにネタ化されて、大阪での「もうかりまっか〜ぼちぼちでんなぁ」と同じく普段に使われることは皆無だが、京都の言い回しってやつは現在も存在する。

秘密のケンミンショーでたびたび取り上げられるが、あれは相手を気遣って遠回しに言ってるんだと。角が立たないようにしてるからだと。

俺は以前あるお店で「いい時計してはりまんなぁ」と褒められた。その途端同席してた友人(洛中生まれ)が「ほな、そろそろ行こか」って言い、おいとますることになった。店を出てからあれは嫌味なんやと、「ええ時計してるのにそれは飾りですか(動いてますか=時間わかってはりますか=はよ帰りよし」ってことやと。うーん難しい。でも、遠回しに言われたら角はたたんわね。

 

今のマスク注意されたくらいでキレたり、居座ったり、ごねたりする人には京都人が諭したらいいかもしれへんね。

「男前が台無しになるからマスクはされへんのですな」とか「マスクしてへんってことは喋りはらへんってことやねんなぁ、美声が聞けず残念ですわ」とかね。

あかん、生粋の京都人やないから思いつかへん。

でも、いい歳して航空機をはじめ公衆の面前で今時マスクを拒否してゴネるような奴には、どんなに粋に言おうともわからへんやろうね。無粋やから周りに迷惑かけようが不快にさせようが平気なんやから。

 

ミヤコが京都にやってきた!

ちょっと残念でもったいないドラマである。