徳丸無明のブログ

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私的デジャヴ考

2015-09-18 15:39:05 | 雑文
デジャヴ――既視感――には、科学的合理的説明がなされているようだ。
曰く、過去に経験した出来事と重なる条件――人物、場所、状況、味、匂い、心理状態等――が、いくつか揃った場面において、過去の類似の記憶が蘇えり、「なんか前にこんな事があった」となる…と。
たしかに、その説明に当てはまる事例がほとんどではないかと思う。
しかし、小生はそれで全てカタがつくとは思えない。デジャヴとは、言い換えれば「既に体験していた現在」のことだが、そのように、元から記憶が存在していたことによるデジャヴがある、と思う。
というのも、小生自身デジャヴ体験が何度もあり、それは上の説明とはかけ離れたものであるからだ。
一番強烈だった出来事を紹介する。
多分、小学1,2年の頃だったと思うが、家族で山登りに行った。目的の山に到着する前だったか、山を登っている途中であったか、公衆トイレがあり、そこに立ち寄った。中に入り、小便器や個室が見渡せる位置に立った時、デジャヴが起こった。
その瞬間、「あ、これ前に見たことがある」と思ったのだが、そう思いながら、蘇った記憶の中で「あ、これ前に見たことがある」と思っていたことを思い出したのである。
おわかり頂けるだろうか。
文章でうまく表現できている自信がないのだが、デジャヴで蘇った記憶と、デジャヴになった瞬間の心の中の声が、まるでふたつのスピーカーから同時に音が出てくるように、ピタリと一致したのである。
呆然となった。
その日の前後の記憶はまったく残っていないが、その瞬間のことだけは忘れることができない。
科学的合理的説明だと、なんとなく「同じことが前にあった気がする」と感じる、ということだったが、本当のデジャヴはそんなにぼんやりしたものではない。映画のフィルムの、同じコマ同士がピッタリ重なる感じ。しかもそのフィルムはペラペラでなく、立体的なものだ。重なるのは視覚画像だけではない。その場を構成する原子、分子、電子、素粒子、クオーク、それらすべての位置関係までがひとつ残らずピタリと一致している…。そんな感じなのである。
すべてが一致している。実際「カチッ」と重なる音が聞こえるくらいだ。
小生の文章能力はさほど高くないので、うまく伝えきれてないのではないかと思う。しかし、デジャヴというものは、「なんとなく」「ぼんやりと」した感じで起こるのではなく、過去に経験し得たはずもない出来事が、明瞭な記憶として蘇ってくるものだ、ということを強調したい。
雑誌を立ち読みしている時にもデジャヴは起こる。雑誌は発刊されたばかりの物である。活字を目で追いながら、「あ、見たことがある」となる。「ああ~デジャヴだデジャヴだ」と思いながらもなお読み続ける。その感覚は数秒続く。で、その時間帯が過ぎ去ってしまうと、同じ箇所を何度読み返しても、同じ感覚は味わえない。その文章の記憶ではなく、その文章を最初に読んだ時の記憶がよみがえっているのである。
このような主張をすると、非科学的思考を忌み嫌う人々から冷笑を浴びせられそうである。だが、小生はこれも科学的に説明可能であると思っている。私見を述べる。
唐突だが、話は宇宙に飛ぶ。
宇宙というのは、ビッグバン以来膨張し続けている。その誕生から現在まで、止まることなくずっと膨張してきた。だが、ひょっとしたらたまに収縮しているかもしれない、という。人間の今の科学技術では証明することは不可能なのだが、理論的には膨張の反動で収縮する事がありえるらしい。で、しばらく収縮するとまた膨張に転じて元に戻る、と。詳しいことはよく知らないのだが、可能性としてそのようなことが起こり得るらしい。
実際にそんな現象が起こったとして、その時宇宙の内部では何が起こっているか、というと、時間が逆流しているらしい。人々は後ろ向きに歩き、食べ物を口から出し、ウンコは肛門に吸い込まれていく…。
そうすると、当然その過程で、記憶もまた脳内から失われてゆくだろう。だが、もし何らかの原因で、その記憶の一部が消えずに残っていたとしたら。本来消えてなくなるべき記憶が、エラーのような形で残存されたままになっていたとしたらどうだろうか。
収縮が止み、再び膨張に転じ、時間が正常に流れ出した時、既に一度起こっていた出来事を、そっくりそのままなぞる形で未来に向かいだした時、脳内に残された記憶の時間帯に至ったその瞬間、デジャヴが起こるのではないだろうか。
もっともらしく聞こえるかもしれないが、正直に言うと、この推論には弱点がある。
ひとつは、「もし何らかの原因で、記憶の一部が消えずに残っていたとしたら」と書いたが、「何らかの原因ってなんだよ」と訊かれたら答えようがない、という点。
もうひとつは、宇宙というのは非常にスケールが大きいもので、何億年という単位で現象が生起する。だから、仮に収縮による時間の逆流が起こったとして、それは人の一生を軽く超える尺度で起こっているはずで、だとすると、記憶が脳に残るエラーがあったとしても、その個体が生まれる遥か以前まで――ヘタすれば、地球が誕生する前まで――時間は遡ってしまう訳で、記憶を留めた脳そのものが一度消え去ってしまうことになる。
なので、充分に説得力を持たせることができない。
物理や量子力学の専門家であれば、もっと精緻な理論を組み立てらるのだろうが。
ああ、そういえば記憶というのは、映画のフィルムのように物理的なものではないんだっけ(福岡伸一『動的平衡』)。
でも、もっと研磨すれば、この理論はけっこう使えるのではないか、という気がする。
ひとしなみに、オカルトと呼ばれる領域に押しやられていた様々な事物――たとえば虫の知らせとか、オーパーツとか――を解き明かすことが出来るのではないか、と思う。


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