今日は彼のショコラです。
日本で初めてチョコレートの一貫製造を実現したという森永。その最先端がコレ。おいしいに決まってます。
そこまでさせんなって話をします。いくらなんでも、やらせすぎだろって話。
最近は見かけませんけど、5~10年くらい前、コンビニでよく、店員さんがシュプレヒコールをしていました。
ひとりの店員さんが、「ただいま唐揚げが30円引きです、いかがでしょうかー」と言うと、続けてほかの店員さんが、「いかがでしょうかー」とそろえる。そんなシュプレヒコール宣伝をよく耳にしていたのです。聞いたことあります?
僕はそんな光景を見るにつけ、「そこまでさせんなよ」って思ってました。
コンビニの店員さんは、数多くの業務をこなさねばなりません。レジ対応、光熱費やコンサートチケットなどの振込手続き、宅配物の対応、切手と葉書の販売、ホットスナックの製造、コーヒーメーカーやスムージーメーカーの管理、コピー機(今はデジタル写真の現像も兼ねている)の管理、商品の補充、清掃。覚えなきゃならない仕事が膨大にあるのです。
なのに、時給はさほど高いとは言えず、しかもその様々な業務の、わずかな合間にシュプレヒコールまでしなければならない。
これって、いくらなんでもやらせすぎじゃねーかって思ってたんですよね。すでに充分すぎるほど働いてるのに、そのうえシュプレヒコールまで付け加えるのかと。
店員さんを気の毒に思っていたのです。やらせすぎという声が多く寄せられたのか、あるいは効果がないと判断されたのか、いつの間にかなくなっていましたけどね。
ひょっとしたら、新型コロナを機になくなったのかもしれません。あの当時は、とにかく大声がはばかられてましたからね。
あのシュプレヒコール、レジ対応の最中にも言ってたでしょ。なんかちょっと失礼にも思えましたね。
レジ対応と言えば、10~20年くらい前には、店員さんが商品のバーコードをスキャンするたびに「◯円が1点、◯円が1点」って言ってましたよね。
あれ、やらなくていいんじゃねーのって、ずっと思ってました。なんであんな、値段と品数をいちいち口にするのか、その必要性がまったくわからなかったのです。
たぶん、丁寧さを演出するため、やってる感を強調するための、パフォーマンス的な行為だったんでしょうけど。お客さんの中には、それを気持ちいいとか、ちゃんとしてもらってる感じがするとか思ってた人もいたのかもしれません。
でも、僕はやらなくていいと思ってました。なんの意味もないからです。
値段と品数を言わなくても、レジ入力はできます。電卓みたいに、値段を数字で打ち込んでいた時代ならともかく、今はバーコード読み取りだから、間違えようがありません。だから、正確な入力のためになるわけでもない。
お客さんが、値段が高いものをうっかりカゴに入れたり、購入する数を間違えたりするのを防ぐために口にしていた、という可能性も考えられます。ですが、間違っていたとしても、それはお客さんのミスで、自分が悪かったことだと受け入れるのがスジです。
誰が考えたか知りませんけど、あの値段と品数の点呼、店員さんに余計な負担を強いてるようにしか思えませんでした。だから、やめさせてあげたかった。
いつの間にかなくなっていましたが、余計なことだと気づいたのでしょうか。
あとですね、近所のショッピングモールに、たぶんチェーン店のタピオカドリンクのお店があるんですね。
そのお店、あいさつにマニュアルがありまして、ドリンクを渡すときに店員さんが、「真心こめてお作りしました」っておっしゃるんですよ。ホスピタリティというのか、少しでもお客さんにいい気分になってもらおうということですね。
んで、ある日そのお店でドリンク注文したときのことなんですけど、ちょうどそのとき、お客さんが大勢押し寄せてて、注文が立て込んでいたんですね。
しばらく待たされまして、ようやく自分の番号を呼ばれ、ドリンクを受け取る際、ハタチくらいの女性店員さんが「真心こめてお作りしました」と言ってくださったんですけど、力も感情もこもっていない、いかにもやっつけという言い方だったんですよ。
いや、腹が立ったということじゃないですよ。思ってもいないことを、マニュアルで言わされてる店員さんを気の毒に思った、ということです。
注文が立て込んで、次から次にバタバタとドリンク作っていれば、そりゃ真心どころか感情もこもらなくなりますよ。疲れ切った無気力な声で、「真心こめて」って言うのも当然です。
だからマニュアルで、思ってもいないことを言わせるのはやめろと。普通に「お待たせしました」とかでいいんですよ。
味がちゃんとしてればそれでいいんです。おいしいドリンクいただければ、それだけで充分ありがたい。そのうえ真心まで求めようなんて思いませんよ。
だからそこの店員さんには、普通のあいさつをさせてあげてほしいな、と思ったのです。
それとこれは、ガソリンスタンドの話です。
ある日、国道沿いにある、某ガソリンスタンドの前を通りがかったとき、あまり見ない光景を目撃しました。20代の男性店員さんが3人、出入り口横に立ち、「いらっしゃいませー」と叫びながら、のぼりをバンバン振り回していたのです。
目を引くパフォーマンスによって集客しようという狙いだったのでしょう。これもやはり、「そこまでさせんなよ」と思いました。
季節は覚えていませんが、けっこう暑い時期だったはずです。店員さんたちは、大汗をかいていたはずです。
集客のためとはいえ、そんなことまでさせられるのか。その働きに見合った給料はもらっているのか。いろんなことが気になる出来事でした。
ひょっとしたら、店員さんもけっこう楽しんでいたのかもしれませんが。
現代の日本は、資本主義です。「こっちのほうが儲かるんじゃないか」となれば、新しいやり方が取り入れられる。そして、それがうまくいけば、みんながマネする。
そうやって、「こうしたらより儲かる」というアイディアが日々考案され、現場に提出される。現場の人々は、半ば実験的にそのアイディアを実践する。
経営努力は大事です。ですが、それらアイディアは、多くが「そこまでさせんな」って言いたくなるようなものだったりするのです。
現時点ですら充分働き、余裕で黒字の稼ぎを出しているのに、さらに仕事をプラスして、現場の負担を増やそうというのでしょうか。
そこそこでいいじゃないかって思うんですよ。そこそこ稼げてればそれでいいだろって。過剰な利益を追求して、現場の負担を増やすなよって。店員さんが気の毒じゃねーかって。
現場の負担を増やすのではなく、減らす方向の経営努力はできないものでしょうか?
資本主義もほどほどに。あまり店員さんを働かせすぎないようにしましょう。
日本で初めてチョコレートの一貫製造を実現したという森永。その最先端がコレ。おいしいに決まってます。
そこまでさせんなって話をします。いくらなんでも、やらせすぎだろって話。
最近は見かけませんけど、5~10年くらい前、コンビニでよく、店員さんがシュプレヒコールをしていました。
ひとりの店員さんが、「ただいま唐揚げが30円引きです、いかがでしょうかー」と言うと、続けてほかの店員さんが、「いかがでしょうかー」とそろえる。そんなシュプレヒコール宣伝をよく耳にしていたのです。聞いたことあります?
僕はそんな光景を見るにつけ、「そこまでさせんなよ」って思ってました。
コンビニの店員さんは、数多くの業務をこなさねばなりません。レジ対応、光熱費やコンサートチケットなどの振込手続き、宅配物の対応、切手と葉書の販売、ホットスナックの製造、コーヒーメーカーやスムージーメーカーの管理、コピー機(今はデジタル写真の現像も兼ねている)の管理、商品の補充、清掃。覚えなきゃならない仕事が膨大にあるのです。
なのに、時給はさほど高いとは言えず、しかもその様々な業務の、わずかな合間にシュプレヒコールまでしなければならない。
これって、いくらなんでもやらせすぎじゃねーかって思ってたんですよね。すでに充分すぎるほど働いてるのに、そのうえシュプレヒコールまで付け加えるのかと。
店員さんを気の毒に思っていたのです。やらせすぎという声が多く寄せられたのか、あるいは効果がないと判断されたのか、いつの間にかなくなっていましたけどね。
ひょっとしたら、新型コロナを機になくなったのかもしれません。あの当時は、とにかく大声がはばかられてましたからね。
あのシュプレヒコール、レジ対応の最中にも言ってたでしょ。なんかちょっと失礼にも思えましたね。
レジ対応と言えば、10~20年くらい前には、店員さんが商品のバーコードをスキャンするたびに「◯円が1点、◯円が1点」って言ってましたよね。
あれ、やらなくていいんじゃねーのって、ずっと思ってました。なんであんな、値段と品数をいちいち口にするのか、その必要性がまったくわからなかったのです。
たぶん、丁寧さを演出するため、やってる感を強調するための、パフォーマンス的な行為だったんでしょうけど。お客さんの中には、それを気持ちいいとか、ちゃんとしてもらってる感じがするとか思ってた人もいたのかもしれません。
でも、僕はやらなくていいと思ってました。なんの意味もないからです。
値段と品数を言わなくても、レジ入力はできます。電卓みたいに、値段を数字で打ち込んでいた時代ならともかく、今はバーコード読み取りだから、間違えようがありません。だから、正確な入力のためになるわけでもない。
お客さんが、値段が高いものをうっかりカゴに入れたり、購入する数を間違えたりするのを防ぐために口にしていた、という可能性も考えられます。ですが、間違っていたとしても、それはお客さんのミスで、自分が悪かったことだと受け入れるのがスジです。
誰が考えたか知りませんけど、あの値段と品数の点呼、店員さんに余計な負担を強いてるようにしか思えませんでした。だから、やめさせてあげたかった。
いつの間にかなくなっていましたが、余計なことだと気づいたのでしょうか。
あとですね、近所のショッピングモールに、たぶんチェーン店のタピオカドリンクのお店があるんですね。
そのお店、あいさつにマニュアルがありまして、ドリンクを渡すときに店員さんが、「真心こめてお作りしました」っておっしゃるんですよ。ホスピタリティというのか、少しでもお客さんにいい気分になってもらおうということですね。
んで、ある日そのお店でドリンク注文したときのことなんですけど、ちょうどそのとき、お客さんが大勢押し寄せてて、注文が立て込んでいたんですね。
しばらく待たされまして、ようやく自分の番号を呼ばれ、ドリンクを受け取る際、ハタチくらいの女性店員さんが「真心こめてお作りしました」と言ってくださったんですけど、力も感情もこもっていない、いかにもやっつけという言い方だったんですよ。
いや、腹が立ったということじゃないですよ。思ってもいないことを、マニュアルで言わされてる店員さんを気の毒に思った、ということです。
注文が立て込んで、次から次にバタバタとドリンク作っていれば、そりゃ真心どころか感情もこもらなくなりますよ。疲れ切った無気力な声で、「真心こめて」って言うのも当然です。
だからマニュアルで、思ってもいないことを言わせるのはやめろと。普通に「お待たせしました」とかでいいんですよ。
味がちゃんとしてればそれでいいんです。おいしいドリンクいただければ、それだけで充分ありがたい。そのうえ真心まで求めようなんて思いませんよ。
だからそこの店員さんには、普通のあいさつをさせてあげてほしいな、と思ったのです。
それとこれは、ガソリンスタンドの話です。
ある日、国道沿いにある、某ガソリンスタンドの前を通りがかったとき、あまり見ない光景を目撃しました。20代の男性店員さんが3人、出入り口横に立ち、「いらっしゃいませー」と叫びながら、のぼりをバンバン振り回していたのです。
目を引くパフォーマンスによって集客しようという狙いだったのでしょう。これもやはり、「そこまでさせんなよ」と思いました。
季節は覚えていませんが、けっこう暑い時期だったはずです。店員さんたちは、大汗をかいていたはずです。
集客のためとはいえ、そんなことまでさせられるのか。その働きに見合った給料はもらっているのか。いろんなことが気になる出来事でした。
ひょっとしたら、店員さんもけっこう楽しんでいたのかもしれませんが。
現代の日本は、資本主義です。「こっちのほうが儲かるんじゃないか」となれば、新しいやり方が取り入れられる。そして、それがうまくいけば、みんながマネする。
そうやって、「こうしたらより儲かる」というアイディアが日々考案され、現場に提出される。現場の人々は、半ば実験的にそのアイディアを実践する。
経営努力は大事です。ですが、それらアイディアは、多くが「そこまでさせんな」って言いたくなるようなものだったりするのです。
現時点ですら充分働き、余裕で黒字の稼ぎを出しているのに、さらに仕事をプラスして、現場の負担を増やそうというのでしょうか。
そこそこでいいじゃないかって思うんですよ。そこそこ稼げてればそれでいいだろって。過剰な利益を追求して、現場の負担を増やすなよって。店員さんが気の毒じゃねーかって。
現場の負担を増やすのではなく、減らす方向の経営努力はできないものでしょうか?
資本主義もほどほどに。あまり店員さんを働かせすぎないようにしましょう。
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