今日は丸いネギです。
無印良品は、前にごぼうスナックを紹介しましたが、今回はたまねぎです。旨味が効いた、シンプル・イズ・ベストな味わい。飽きることなく無限に食べられます。
僕はけっこうシンプルな味付けが好きでしてね。塩だけとかですね。たとえば、塩むすびなんかたまりませんね。
塩と言えば、「塩かタレか論争」あるじゃないですか。焼き鳥を塩で食べるか、タレで食べるかという終わりなき宗教論争。
僕は塩派なんですよ。タレももちろん好きですけどね。でもどっちかっつーと、塩で食べたいのです。塩7:タレ3くらいの割合がいいですかね。
豚カツも天ぷらも1口目は塩でいただきたいんですよね。ソースや天つゆも使いますけど、最初は塩。味付けの種類多いほうが楽しめますしね。味変のために両方選ぶのです。
でね、「塩のほうが好き」って言うと、「ツウぶってる」ってひやかす人いるじゃないですか。あれね、ほんとイヤですね。
なんですか、ツウぶってるって。いつ、誰がツウぶったというのですか。
僕はね、ただ塩が好きっつーだけです。それはあくまで好みの話。食の好みを言ってるだけのことで、きどったりいばったりなどしてはいないのです。
なぜ「好き」というだけで「ツウぶってる」などとイヤミを言われねばならないのでしょうか。
それは、タレ派の人に、ねじれた感情があるからです。
タレ派の人は、塩派が素直じゃないと思っている。味覚が万人に共通のもので、誰にとってもタレのほうが塩よりおいしいと思い込んでいる。塩派は、内心タレのほうがおいしいと思っているにもかかわらず、やせ我慢して塩を選んでいるのだと決めつけている。
それは明らかに曲解なのですが、タレ派の人たちは頑なにそう信じ込んでいるのです。
なぜそんな考え方をするのでしょうか。塩が好きというのは、単なる好みでしかありません。人に良く見られたいとか、カッコつけたくて塩を選んでいるわけではないのです。
あなたはタレが好き。私は塩が好き。それでいいではないですか。お互い好みですよ。なぜ「ツウぶってる」などと、相手を否定するような物言いをするのですか。
なぜタレ派は塩派を「ツウぶってる」と揶揄するのか。
上に挙げた理由のほかに、「コンプレックス」が考えられます。
自分は濃い味のタレのほうが好きだが、シンプルな塩が好きな人のほうが、味覚が繊細なのではないか。自分は舌が肥えていないのではないか。もしくは、コドモ舌なのではないか。
そのようなコンプレックスがあるのでしょう。だから塩派を「ツウぶってる」と断じることで否定し、「自分は味覚が単純なわけではなく、正直なだけ。おいしいほう(タレ)を素直に選んでいるだけ」と自分に言い聞かせているのです。
コンプレックスの裏返しとしての塩派批判。批判をしないと、自分の味覚の尊厳を保てないのです。
いや、だとすると塩派を批判するタレ派が憐れに思えてきます。批判をしないと自分の味覚に自信が持てないのですから。
でもね、やっぱり僕は言いたい。「塩だろうがタレだろうが、そんなのは好みでしかないんだ」って。
塩派がタレ派を「単純舌」なんて言って揶揄したことがありますか?ないでしょ。もしそんなこと言われたら不愉快でしょ。
塩派を揶揄するタレ派の人は、「焼き鳥はみんなタレで食べるべき」と考えているのかもしれませんが、「焼き鳥はタレをなくして塩だけにします」ってなったらイヤでしょ?それと同じですよ。
だからね、好みは人それぞれでいいんですよ。塩とタレ、両方あっていいんです。なぜ人の好みを尊重できないのですか。なぜ好みでしかないものを、いちいち「ツウぶってる」などと呼ばわるのですか。
人の好みを尊重できないのは、度量が狭い証拠です。そんなこと言ってたら、味覚原理主義者になっちゃいますよ。自分の味覚と一致しない人を、地鳴らしで駆逐するつもりですか。
安心してください、あなたがタレ好きなのは、舌か単純だからではありません。ただ、あなたという個性がタレを好むというだけのことです。人それぞれ性格が違うように、味覚もそれぞれで、あなたという個は、たまたまタレを好むようになったのです。ただそれだけのことなのです。
だからもう、不毛な争いはやめましょう。タレ好きだろうが塩好きだろうが、そんなことはどうだっていいじゃないですか。仲良く肩を並べて焼き鳥をほおばりましょう。お互いの味覚を尊重して、平和に食事を楽しみましょう。
あ、味噌漬けもいいですよね。
無印良品は、前にごぼうスナックを紹介しましたが、今回はたまねぎです。旨味が効いた、シンプル・イズ・ベストな味わい。飽きることなく無限に食べられます。
僕はけっこうシンプルな味付けが好きでしてね。塩だけとかですね。たとえば、塩むすびなんかたまりませんね。
塩と言えば、「塩かタレか論争」あるじゃないですか。焼き鳥を塩で食べるか、タレで食べるかという終わりなき宗教論争。
僕は塩派なんですよ。タレももちろん好きですけどね。でもどっちかっつーと、塩で食べたいのです。塩7:タレ3くらいの割合がいいですかね。
豚カツも天ぷらも1口目は塩でいただきたいんですよね。ソースや天つゆも使いますけど、最初は塩。味付けの種類多いほうが楽しめますしね。味変のために両方選ぶのです。
でね、「塩のほうが好き」って言うと、「ツウぶってる」ってひやかす人いるじゃないですか。あれね、ほんとイヤですね。
なんですか、ツウぶってるって。いつ、誰がツウぶったというのですか。
僕はね、ただ塩が好きっつーだけです。それはあくまで好みの話。食の好みを言ってるだけのことで、きどったりいばったりなどしてはいないのです。
なぜ「好き」というだけで「ツウぶってる」などとイヤミを言われねばならないのでしょうか。
それは、タレ派の人に、ねじれた感情があるからです。
タレ派の人は、塩派が素直じゃないと思っている。味覚が万人に共通のもので、誰にとってもタレのほうが塩よりおいしいと思い込んでいる。塩派は、内心タレのほうがおいしいと思っているにもかかわらず、やせ我慢して塩を選んでいるのだと決めつけている。
それは明らかに曲解なのですが、タレ派の人たちは頑なにそう信じ込んでいるのです。
なぜそんな考え方をするのでしょうか。塩が好きというのは、単なる好みでしかありません。人に良く見られたいとか、カッコつけたくて塩を選んでいるわけではないのです。
あなたはタレが好き。私は塩が好き。それでいいではないですか。お互い好みですよ。なぜ「ツウぶってる」などと、相手を否定するような物言いをするのですか。
なぜタレ派は塩派を「ツウぶってる」と揶揄するのか。
上に挙げた理由のほかに、「コンプレックス」が考えられます。
自分は濃い味のタレのほうが好きだが、シンプルな塩が好きな人のほうが、味覚が繊細なのではないか。自分は舌が肥えていないのではないか。もしくは、コドモ舌なのではないか。
そのようなコンプレックスがあるのでしょう。だから塩派を「ツウぶってる」と断じることで否定し、「自分は味覚が単純なわけではなく、正直なだけ。おいしいほう(タレ)を素直に選んでいるだけ」と自分に言い聞かせているのです。
コンプレックスの裏返しとしての塩派批判。批判をしないと、自分の味覚の尊厳を保てないのです。
いや、だとすると塩派を批判するタレ派が憐れに思えてきます。批判をしないと自分の味覚に自信が持てないのですから。
でもね、やっぱり僕は言いたい。「塩だろうがタレだろうが、そんなのは好みでしかないんだ」って。
塩派がタレ派を「単純舌」なんて言って揶揄したことがありますか?ないでしょ。もしそんなこと言われたら不愉快でしょ。
塩派を揶揄するタレ派の人は、「焼き鳥はみんなタレで食べるべき」と考えているのかもしれませんが、「焼き鳥はタレをなくして塩だけにします」ってなったらイヤでしょ?それと同じですよ。
だからね、好みは人それぞれでいいんですよ。塩とタレ、両方あっていいんです。なぜ人の好みを尊重できないのですか。なぜ好みでしかないものを、いちいち「ツウぶってる」などと呼ばわるのですか。
人の好みを尊重できないのは、度量が狭い証拠です。そんなこと言ってたら、味覚原理主義者になっちゃいますよ。自分の味覚と一致しない人を、地鳴らしで駆逐するつもりですか。
安心してください、あなたがタレ好きなのは、舌か単純だからではありません。ただ、あなたという個性がタレを好むというだけのことです。人それぞれ性格が違うように、味覚もそれぞれで、あなたという個は、たまたまタレを好むようになったのです。ただそれだけのことなのです。
だからもう、不毛な争いはやめましょう。タレ好きだろうが塩好きだろうが、そんなことはどうだっていいじゃないですか。仲良く肩を並べて焼き鳥をほおばりましょう。お互いの味覚を尊重して、平和に食事を楽しみましょう。
あ、味噌漬けもいいですよね。
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