加藤隆は、『歴史の中の「新約聖書」』(ちくま新書)で、神が動くか否かの観点から、聖書を理解しようとしている。その中で、ユダヤ教では、人間が神を動かそうとしており、エッセネ派のように人間側がどんなに努力をしても、神は動かないのだ、といって、つぎのように、キリスト教を位置付けている。
〈神が、救うものを救う。人間側が罪の状態にあるかどうかなどとは、いわば関係なく、神が救いの業を行うことができる、そして実際に神が救いの業を始めている、こうしたことを主張しているもっとも目立った流れが、イエスから始まるキリスト教の流れです。〉
私は、加藤隆がエッセネ派やヘブライ語聖書を誤解しているのではないか、と思う。ここでは、エッセネ派への誤解を解きたいと思う。
加藤は「エッセネ派」を荒野で厳しい修行をする人たちと思っているが、ここでもはや誤解している。エッセネ派について、フラウィウス・ヨセフス(37年から100年頃)が『ユダヤ戦記』の2巻について詳しく記述しているが、エッセネ派は荒野ではなく町にすんでいるのだ。124節の冒頭につぎのように書かれている。
〈Μία δ᾽ οὐκ ἔστιν αὐτῶν πόλις ἀλλ᾽ ἐν ἑκάστῃ μετοικοῦσιν πολλοί.
特定の町(πόλις)にいるのではなく、それぞれ、町々(πολλοί)に移り住む。〉
この誤解は、死海のほとりのクムランの洞窟で大量の文書が発見されたことから、発生したものである。現在、クムランの洞窟とエッセネ派との関連に否定的な意見が多数になっている。また、洞窟は生活の場ではなく、文書の隠し場所であったと考えられている。
旧約聖書にも新約聖書にも、「エッセネ派」についての記述はない。したがって、ヨセフスの『ユダヤ戦記』が「エッセネ派」の最良の資料である。
第2巻122節に〈彼らは富を軽蔑する。彼らの間で驚嘆すべきことは財産の共同制である〉と書かれている。エッセネ派は古代の共産主義者である。
新約聖書の『使徒行伝』にあるペトロの共同体との違いは、エッセネ派は仕事をもっていて町の中で稼いでいたのである。持続可能な共同生活を町の中で送っていたのである。
120節に〈彼らは快楽を悪としてしりぞけ、節制を重んじ、激情におぼれて徳をすてるようなことをしない〉とある。荒修行をするのではなく、不要な享楽に走らないということである。126節に〈服もサンダルもすり切れるまで使う〉とある。私も、節制を重んじたおだやかな生活が好きである。
私の母の一番上の姉は、日蓮宗のお寺に嫁に行った。旦那の住職は人前で荒修行をするのが好きで、寒い冬に頭から水浴びをしていた。私が中学生の時、お寺が火事で一家全員が焼け死んだ。私の母は、旦那が荒修行をするから頭がおかしくなって、お寺に自分で火をつけたのだ、と私に言っていた。本当かどうかはわからないが、不審火であったことは確かである。
節制は荒修行とは違う。
123節にエッセネ派は〈白い衣を身につけることを好む〉とあるから、新約聖書の福音書に描かれている〈らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた〉洗礼者ヨハネとは、全く異なる。
エッセネ派は霊魂の不滅を信じており、〈いったん肉体の束縛から解放されるや、喜んで天上に引き上げられる。……有徳な人の魂は、大洋のかなたに保護されている……邪悪な霊魂は陰惨な冷たい洞穴に閉じ込められ、永遠の刑罰がある〉(155節)と考えた。
エッセネ派は神を動かそうとしていたのではなく、死後の世界についての信仰から、生を節制していたのである。
ユダヤ教も初期キリスト教も神は生きている者の神である。霊魂の不滅とかいう考えはない。したがって、初期キリスト教では、死んだ者が神の恩恵を受けるには、生き返らなければいけない。
エッセネ派の霊魂の不滅、天国と地獄という信仰は、ヨーロッパに土着化して変質した現在のキリスト教の教義と似ている。
エッセネ派の安息日(サバト)の厳守は、ヘブライ語聖書の『申命記』の影響であろう。しかし、霊魂の不滅などの信仰はヘブライ語聖書と異質であり、ペルシア起源の宗教の影響ではないか、と思う。
私自身は、節制が好きだが、霊魂の不滅を信じていない。天国と地獄も信じていない。荒修行もしない。私は科学の徒である。