猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

『壁の向こうの住人たち』、ルイジアナ州の住民のディープストーリー

2020-11-29 23:03:33 | 社会時評
 
日曜日も、散歩のあと、アーリー R.ホックシールドの『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』(岩波書店)を読む。まだ、第2部である。じっと耐えて列を作っているのに横から割り込んでくるという話しは第3部で、まだ、そこまではいっていない。
 
第2部では、進出してくる大企業がルイジアナ州の住民に話す大きな夢と、すさまじい環境破壊の現実とが、描かれる。
 
ルイジアナ南部では岩塩がとれる。幅およそ4.8キロメートル、深さおよそ1.6キロメートルの岩塩層があり、堅い頁岩層で挟まれている。岩塩の採掘で、さまざまな大小の空洞ができ、そこに、また、企業が石油やさまざまな有毒な化学物質を貯蔵している。
 
問題は、掘削ドリルが間違って空洞の壁を破ってしまい、地盤が崩れ、木々や茂みを中に引きずり込み、油や有毒物質が吹き出たのだ。
 
これは、日本でも、栃木県あたりで、石材の採掘でできた空洞に住宅が落ち込むことが起きている。採掘のあとの空洞が埋めなおされないからだ。
 
ルイジアナ南部の場合、貯蔵庫として使われているから、油とともに有毒物質が地上に噴出してくる。また、いったん空洞が壊れだすと、それが周囲の空洞に広がっていく。
 
人々は、このような人為的な災害に企業の責任を追及しないで、わずかな和解金であきらめていく。いろいろな規制を行う連邦政府を「自由」の抑圧と非難するが、公害を引き起こす企業をすごく憎んでいるにもかかわらず、その企業への非難は腰砕けになる。そして、そのような企業を誘致する州知事や市長に選挙では投票する。
 
公害企業の仕事にありつくために、どうして、自給自足の豊かな生活を捨て、自分たちの健康をむしばむ状況に身を置くのか、と私は思ってしまう。
 
著者は、第1部で出てきた「構造的健忘症(structual amnesia)」と「終末信仰」を第2部でも再び取り上げて、この問題をそれで解釈しようとする。
 
「構造的健忘症」とは、単なる健忘症ではなく、社会で優勢な価値観に合わない出来事を選択的に忘れていくことをいう。
 
「終末信仰」は、ヨーロッパでキリスト教が土着化することによって発展した信仰であり、聖書に書かれているわけではないが、聖書にそう書かれていると貧しい人々が信じて、耐えがたきを耐えている。
 
〈黙示録の言葉を引用し、「大地がすさまじい熱に焼かれるんですよ」と説明する。火には浄化する力がある。だから千年後に、地球は浄化される。それまではサタンが暴れまわるのだそうだ。エデンの園には、「環境を傷つけるものは何もありません。神がご自分の手で修復なさるまでは、神が最初に創造なさったとおりのバイユーを見ることはできないでしょう。でもその日はもうすぐやってきます。だから人がどんなに破壊しようとかまわないんですよ。」〉
 
ルイジアナ州の住民は、誇り高き、しかし、見捨てられていく弱き人々である。
 
「構造的健忘症」にしろ「終末信仰」にしろ、合理的な目をすて、強いものと対決せず、耐えがたきをたえるという人々の思考に、どうやって、著者は共感を寄せていくのか、著者と赤い州の住民の壁はますます高くなっていくように思える。

ディープストーリーを求め ホックシールドの『壁の向こうの住人たち』を読む

2020-11-29 00:02:13 | 社会時評


「ディープストーリー」という言葉に興味を持って、アーリー R.ホックシールドの『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』(岩波書店)を読む。

彼女(アーリー)の疑問は、右派の共和党とフォックスニュースが、「貧困層支援の打ち切りを画策し、権力をにぎる1パーセント層の力と財産を増やそう」として、連邦政府の介入を大幅に排除しようとしているのに、赤い州(共和党支持の州)の貧しいはずの人々がなぜ、彼ら右派を支持するのか、ということである。この謎を解くため、赤い州のルイジアナ州に訪れ調査したレポートが本書である。

〈私は、その人にとって真実と感じられる物語――これを“ディープストーリー”と呼ぶことにする――を聞いていくうちに、この核に近づけることを実感するようになった。〉

日本ではルイジアナ州は、観光地ニューオーリンズで知られている。

しかし、本書によれば、ルイジアナ州の白人は、ミシシッピ州を除くと、どの州の白人より貧しい暮らしをしている。そして公害企業が立ちならぶところでもある。

どうして、そんなに公害企業が呼び寄せられるのか。本書によれば、「住民にとって望ましくない土地利用」にあまり抵抗を示さない地域だからである。そういう地域の「住民特性」について、コンサルタント会社の調査報告があるという。
  • 南部か中西部の小さな町に古くから暮らしている。
  • 学歴は高卒まで。
  • カトリック。
  • 社会問題に関心がなく、直接行動に訴える文化を持たない。
  • 採鉱、農耕、牧畜に従事。
  • 保守的。
  • 共和党を支持。
  • 自由市場を擁護。

ルイジアナ州にカトリックが多いのは、昔カナダのフランス系移民がイギリス政府と争ったとき、投降した人々はルイジアナ州南部に捨てられたからである。ケイジャンというそうである。この話は、カナダにいたとき、フランス系カナダ人から私も聞いていた。

しかし、カトリックだから権力と争わないというのは、プロテスタントの偏見ではないかと思う。

私は、まだ、第一部しか読み切っていないので、彼女が見出した「ディープストーリー」に遭遇していない。しかし、それでも興味をひく記述に出くわしている。

〈「わたしたちはうちが貧乏だとは知らなかった」と彼は言う。その後、わたしが知り合った極右派の人々に、それぞれの生い立ちや両親の子ども時代の話を聞かせてもらったときにも、これと同じ言葉を何度となく耳にした。〉

彼女が調査を通して親しくなった人々(私と同じかそれ以上の年齢)は7人くらいの兄弟がいる。それだけの子どもが育てられたのだから、「うちが貧乏」と思わないのは当然のように思う。お金がないだけで、自給自足で生活ができたのだ。

〈「リベラル派はこう思っているのよ。聖書を信じている南部人は無知で時代遅れで、教養のない貧しい白人ばかりだ、みんな負け犬だって。私たちのことを、人種や性や性的嗜好で人を差別するような人間だと思ってるのよ。それからたぶん、デブばかりだってね」〉

高学歴であるから教養があるわけではない。教育を受ければ金持ちになれるわけではない。金があるから幸せなわけではない。

〈(アネットは)70代の美しい女性で、金灰色の巻き毛をひっつめて、頭の高い位置でまとめ、眼鏡をかけて、ピンクのブラウスに、花柄の長いスカートをつけていた。心のあたたかい、溌溂とした人だ。やわらかい声でゆっくりとしゃべり、ハロルドの話をじっと聞いていて、時折、補足や修正を加えていた。〉

昔、私がカナダにいたとき、論文共著の教授の妻もゆっくりとした南部訛りでしゃべる人だった。「やわらかい声でゆっくりとしゃべり」が目に浮かぶ。南部訛りは美しい英語だ。

それだけでなく、南部や中西部の古くからの小さな町にはコミュニティがあった。

しかし、公害企業の乱立は、彼らの豊かな生活を破壊していく。川の水は飲めなくなり、野生動物もヌマスギも死んでいく。魚介類は有害物質を含んで、食べることは勧められない。水銀公害の水俣を思いうかべれば良い。

それにもかかわらず、観光地としても食っていこうと、各都市の役所はいろいろなフェスティバルを催す。

第一部は、つぎのように終わる。

〈わたしは、右派の中心地に暮らす人々が話すこと、口をつぐんでいることを理解しようとし、ティーパーティーのメンバーである友人たちがどんなことに耐えているかを見てきた。しかし共感の壁は、思っていたよりも高かった。私には、彼らに見えないものが見えた。しかし、自分の目に見えないものは見えなかったのだ。私は、彼らの目に映っているもの、彼らがたいせつに思っているものを自分がまだ見ていないと感じていた。〉