私自身は宗教に特別の敬意を払わない。教養として宗教に興味をいだくことがあるだけである。現在、ヘブライ語聖書のために、その単語の辞書を作っている。自分が生きているうちに完成すると思わないが、悪くない趣味だと思っている。
私は、今回の統一教会事件を受けて、「宗教法人」について、その資格を規制する必要があると思うようになった。さもないと、詐欺集団が宗教法人を装って、犯罪行為をする可能性がでてくる。
じっさいに起きた宗教法人の名称変更の問題を取り上げてみよう。
統一教会は、霊感商法で社会から非難されたので、その名前を変えようとしていた。全国霊感商法対策弁護士連絡会は、統一教会が関係する霊感商法や献金の強要などのトラブルが相次いでいるとして、名称変更を認めないように文化庁に繰り返し求めていた。下村博文が文科省の大臣のときに問題が起きた。2015年3月にも連絡会は名称変更を認めないよう申し入れた。統一教会が2015年6月に名称変更を申請し、文化庁は8月に認証した。
「信教の自由」があるから、申請があれば認証するしかないというのが、下村の言い分である。
日本国憲法の「信教の自由」は個人について保証したものである。日本国憲法第20条は「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」とある。
「何人」は個人である。「宗教団体」には、政府が肩入れしてはいけないのである。法律学者は「宗教法人」は「法人」がつくから人格をもった個人として扱うのだと言い張るかもしれない。それなら、「宗教法人」の対象となるものを厳しく規制したら、いいのではないか。
「宗教法人」が認可されるには、団体の入会、脱会の自由が保障されていること、献金や奉仕活動が強要されないこと、団体の収支(入金・出費)が定期的に公開されることなどを条件とすべきである。これに違反した場合や他の刑法に違反し有罪になった場合は、「宗教法人」の認証を取り消す。また、脱会の実力阻止行為や、献金や奉仕の強要や、虚偽の収支報告に関しては、実行犯に刑罰を与えるべきである。
「信教の自由」はあくまで個人を基本にすべきである。