岸田文雄は、なぜ安倍晋三の国葬を7月22日やばやと閣議決定したのか、疑問の声があがっている。
昨年9月27日、岸田文雄と河野太郎が自民党総裁選で争ったとき、私の知っている親子は岸田なら何もしないから総裁になったらいいなと言っていた。岸田は、総裁選の決戦投票で、安倍晋三のおかげで、勝った。その親子は衆院選の投票には行かなかった。
今年7月8日、その親子は、安倍が銃撃されて死んだのをテレビでみて、政治に無関心ではいけないと思って、数年ぶりに、2日後の参院選の投票に出かけた。そして、ガーシーの政見放送が面白かったと言って、親子ともどもNHK党に投票した。
これは私が本人から聞いた本当の話である。
憲法学者の石川健治は、去年の10月13日に朝日新聞紙上で、岸田を「民主的皇帝」と呼んで、19世紀のフランスで起きた革命騒ぎのなかで出てきたルイ・ボナパルトに たとえた。自分の地位を守るために、右と左にご機嫌を伺いながら、何もせずに政治を成り行きに任せるだろうと予言した。
今年の1月19日、朝日新聞編集委員の高橋純子は、岸田は「ぬえ」だと言った。「ぬえ」は伝説上の怪獣で、「頭は猿、胴は狸(たぬき)、尾は蛇、手足は虎に、声はトラツグミに似ている」という。
じっさい、岸田は「新しい資本主義」と去年言いながら、今年になってずるずる後退して、いまや、安倍晋三の「国葬」しか言わなくなった。
安倍は岸信介直伝の国家主義者である。岸信介は 戦前 北一輝に傾倒していたが、戦後、天皇をアメリカ大統領に置き換えての国家主義者になった。祖父の岸信介元首相、父の安倍晋太郎元外相は勝共連合(統一教会)を利用してきた。安倍晋三は2007年に潰瘍性大腸炎で首相を辞任した後、統一教会を支えとして、2012年に政界に復活した。そのためか、統一教会に利用されているように見える。安倍は女性の活躍と言いながら、封建的家族観の統一教会もとで、夫婦別姓も実現できなかった。
本来、岸田の歴史的役割は「安倍」的なものを排除であった。安倍が築いた国家権力の集中、軍事優先の流れを逆転させることであった。安倍の突然の死はその絶好のチャンスであった。
ところが、識者によると、今年の7月、安倍派にリーダシップがないと責められた時、突然、安倍の国葬を決断したという。石川健治が予言したように、岸田は、とんでもない「令和のルイ・ボナパルト」である。