猫じじいのブログ

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科学技術のビジョンのない「地政学」「地経学」は無用の長物

2019-06-29 21:39:03 | 原発を考える



2014年度は原子力発電はゼロであった。現在でも、日本で5基動いているだけだ。電源事情からすれば、原子力発電は不要のはずである。
なぜ、地震国、火山国、津波災害国の日本で、政府は、原子力発電所を無理やり再稼働するのか。

昨年の7月3日に閣議決定された『エネルギー基本計画』に「地政学」「地経学」という言葉があふれている。

これらは、戦前の大日本帝国の時代に、国策を練るときに使う言葉である。大日本帝国は石油資源が乏しいから南方に出て抑えなければいけないとか、鉄資源を抑えるために、北朝鮮、満州の守りを固くしないといけないとか、言って、他国の侵略、植民地経営を議論する時に使った言葉である。

この伝統が、民主主義の日本国で、経済産業省に生きており、エネルギーの自給のために、何が何でも、原子力発電をしなければならないのである。

なぜ、原子力なのか、が非合理的なところである。水力発電でも、太陽光発電でも、風力発電でもよいはずだ。

ここに、もう一つの、経済産業省の弱点がある。日本には、国立研究開発法人の産業技術総合研究所がありながら、国の産業政策に発言がないのである。経済産業省の役人は科学技術の専門家でないから、国の産業政策決定にあたっては、経済産業省は国内の大企業にヒアリングを行い、それをもとに、「地政学」「地経学」的観点から課長が基本方針案をまとめ、事務次官の了承のもと、審議会を開催し、基本方針案に権威を与える。審議員は、役所が選ぶのであるから、審議結果は、結局、基本方針案に沿ったものとなる。

太陽光発電や風力発電は確立した技術であり、しかも燃料など不要であるから、積極的に使えば使うほど、発電コストや建設コストは下がっていく。

問題は、『エネルギー基本計画』にあるように太陽光発電や風力発電は天候による変動があるから、電源系統の管理技術がいる。すなわち、常時、発電量と需要とのバランスを保たなければならない。ヨーロッパには電源系統管理技術があるが、日本の電源会社は、自分のところの電源(発電所の出力)を縄張りの工場やビルや住宅に分配すれば良いだけであったから、この技術をもつ必要がなかった。

大企業にヒアリングすれば、ない技術についての提案は出てこず、海外に売れない日本の原発産業を助けてくれという話に落ち着いてしまう。

科学技術のビジョンのない「地政学」「地経学」の産業政策は、言葉が過激でも、現状維持になってしまう。そればかりか、国民を危険に合わせてしまう。

考えてみれば、原子力平和利用は生まれたときから、いびつであった。

ドワイト・アイゼンハワー大統領は、原子爆弾製造産業が肥大し、軍産複合体が巨大化することを恐れた。その解決策として、原子力の平和利用を推し進め、兵器産業から、原子力の利用を引き離そうとした。

日本の原子力産業は、アメリカから技術を買ってくることで始まった。じつは、日本でも、自分たちで技術を作りたいという、技術者や科学者がいたが、それを押し切った形で進められた。日本の会社は、若い技術者をアメリカの会社に送り、研修させ、日本の原子力発電は始まった。東芝や日立は、原子炉建設の下請けで始まったのである。そして、そのときの技術者が、日本の原子力学会の重鎮におさまった。

だからこそ、日本の原子炉は海から冷却水がくみ上げられる低い位置に建設され、非常電源はアメリカでの設計の位置にあって、津波をもろに被ってしまったのである。

科学技術のビジョンがないから、日立や東芝やパナソニックのように、韓国や中国に技術の遅れをとる。社内闘争に勝つものが経営者になるのではなく、日本も、科学技術にビジョンをもつものが、会社の経営にあたらないといけない。


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