猫じじいのブログ

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育鵬社の『新しいみんなの公民』を検討する、その2 なぜ「公民」を学ぶ

2020-07-21 19:51:18 | 育鵬社の中学教科書を検討する

育鵬社の『新しいみんなの公民』の2ページ目、「なぜ「公民」を学ぶのか」に、はや、問題の箇所がでてくる。

〈 「公の民」と書く公民は、このように自分を国や社会の一員として考え、公のために行動できる人のことをいいます。〉

ここから、もはや、この教科書はいかがわしい。「公のために」とは何なのか。
「このように」と書いてあるから、その直前にある文を読んでみよう。

〈アメリカの第35代大統領のケネディ(1917~63年)は、大統領就任演説でアメリカ国民に「国があなたのために何をしているのかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるのかを問おう」と訴えたことがあります。〉

この部分の英文は、つぎである。

And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country. 

じつは、この演説で、J. F. ケネディは ずっと “state”や “states”を使ってきたのに、演説の終わりのここで、“country”を使う。英語では、“state”は法律の整備された近代的「国家」、いっぽう、“country”は、心のなかの「くに」、「おらがむら」をいう。ケネディは、聞き手が“country”と聞いて「愛国心」に燃え、理性を放棄することを期待したのである。

ちなみに、トランプ大統領は “state”を使わずに、いつも、“country”を使う。そして、アメリカ第1と叫ぶ。

ケネディは、第2次世界大戦に参加した将校である。戦争の残酷さ、勝者の不正をみた一兵卒のJ. D. サリンジャーと異なり、将校のケネディは、第2次世界大戦を正義の戦いとみる。

上記の英文に先立つ段落で、ケネディはつぎのように言っている。

Since this country was founded, each generation of Americans has been summoned to give testimony to its national loyalty. The graves of young Americans who answered the call to service surround the globe.

「国のために何ができるのか」とは、「国のために死ぬ」ことである。“graves”とは延々と続く戦没者の「墓」のことである。

ケネディが大統領として登場したとき、アメリカは公民権運動(civil rights movement)で揺れ動いていた。この演説で、ケネディは、世界に向けて自由のために戦うよう、国民に呼びかけることで、公民権運動から国民の目をそらそうとしたのである。245年前のアメリカの独立戦争から話をはじめ、世界の自由を守る戦いへの参加を訴えたのだ。

演説のどこにも “equality”や“fairness”に言及しない。ケネディにとって、「自由平等」ではなく「自由」だけが正義なのである。黒人たちにたいする公民権運動が完全に忘れ去ろうとしている。「平等」や「公平」を抜きにし、「自由」を守ることと「貧乏からの解放」だけを訴えている。

ケネディは国民の目を「公民権運動」から そらすため、北ベトナムへの爆撃を始める。ケネディは、泥沼のベトナム戦争の引き金をひいた大統領である。

そんなケネディがそう言ったからといって、日本で生きている私たちが、なぜ、「国のために何ができるのか」と問われなければならないのか。

ケネディは悪人である。ケネディの父親は、アイリッシュをアメリカのトップにすえたいから、息子にその夢を託した。そのとき、息子が政治家の道を進むのに邪魔になる、性に奔放なケネディの妹を、精神病院に入れ、ロボトミー手術を行い、廃人にした。そして、ケネディ自身は大統領になってからもマリリン・モンーロを公邸に呼び、不倫を行っていたのである。

育鵬社の『新しいみんなの公民』に戻ろう。その3ページ目に

〈「人間は社会的な存在」といわれるように、さまざまな社会とかかわりをもたずには生きていけません。〉

ここで、“social skill”を学びましょうとくるのかと思うと、つぎのようにくる。

〈私たちは、これらの社会を構成している一員であると同時に、その社会を支えていく役割も担っているのです。〉

すなわち、「社会」を支える「公民」となるために、「公民」を学ぶのだと説明する。

ここでいう「社会」とは何なのか。

英語で「社会(society)」といったとき、これは「対人関係」を意味する。いじめに会わないように、自分の権利をうまく主張できるように、自分の身を守る法律を知るために、「公民」を学ぶのである。それが、日本以外で、子どもたちが“social skills”を学ぶ理由である。けっして、社会を支え、国のために死ぬことではない。


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