ほとんどの絵本は大人のために作られている。それは、絵本を買うのが大人であるからだ。絵本は、12月か1月にしか、売れない。そのとき、大人は、自分の思い込みで、本を選び、子どもにプレゼントする。
私は、言葉のない子どもたちのために、良い絵本が欲しいと思っている。言葉が遅れていても、目からはいってくるものに、反応する子がいるからだ。
私のところの子どもたちは、世界の名作童話や日本の昔話を読みたいと思っていない。王子様、お姫様なんて意味がわからない。
町の子どもたちなので、オタマジャクシやカエルを見たことがない。フクロウや子豚が出て来ても何がなんだかわからない。
新幹線や飛行機にのったことのない子どもたちもいる。
そのような子どもが興味をもつのは、電気掃除機や冷蔵庫やお鍋やお皿やご飯だ。いつもの部屋で何かが起きる、そんな絵本が欲しい。短いできごとの集まりで良い。
ごちそうやお菓子の作り方でもよい。掃除の仕方でもよい。コップの洗い方でもよい。
先日、リンゴが食べられる、というだけの、リンゴだけの絵を見せたら、言葉がでてこない子が、とてもよろこんだ。
親は物の名をやたらと幼い子どもに教える。私のところの話せない子どもたちにそんなものは必要ない。少ない語彙で良いのだ。言葉と言葉がつながって意味をなすことが大事なのだ。言葉と言葉のつながりが繰り返し、話しことばの響きの面白さが伝わることが大事なのだ。そして、怒り以外の、何かを感じる心を育てるのが大事なのだ。
本当は、親が掃除しながら、あるいは、料理しながら、子どもたちにお話をしてあげられるなら、それが一番良い。言葉がでてこない子を持った親は、いつの間にか、子どもとの会話をあきらめてしまう。
良い絵本は、失われた親子の会話を取り戻してくれる、私はそう思っている。
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