猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ペットボトルという言葉が出てこなかった私

2023-09-15 11:09:39 | 脳とニューロンとコンピュータ

けさ、ゴミ出しをしようとしたとき、ペットボトルという言葉が出てこなくて、私は立ちすくした。台所の奥に空のペットボトルが置かれている。その前に妻が立っているので、私は自分でそれを取り出せない。

私は、きょう、空のペットボトルを出す日だと知っている。空のペットボトルがどこにあるかも知っている。

妻は空のペットボトルを出す日だと思い出していない。ゴミ出しは私の日課だから思い出せないのは無理もない。

しばらく言葉のないまま、たがいに見合っていた。妻が先に気づいて「ペットボトル?」と言って、事態は解決した。

もちろん、「ちょっと、どいて」とか、ペットボトルという言葉を使わなくても、解決できるのだが、ペットボトルという言葉が出てこない自分に私は驚いた。

きのう、私はNPOにくる子どもに、水をいれたペットボトルが、凸レンズのように、光を集めることができると話したばかりだからだ。

歳をとると言葉を忘れると言うが、じつは、言葉が出てこないだけである。

脳は言葉が表す実体のほうを覚えていて、その実体のある場所、曜日と関連してその実体に何をすべきかも覚えている。実体を表わす言葉も覚えているが、言おうとするとき、言葉がでてこないだけである。実体と言葉のつながりが弱くなるのである。実体と実体との関連はちゃんと覚えている。

斎藤環は『生き延びるためのラカン』(バジリコ)のなかで、ラカンの「現実界」「象徴界」「想像界」の仮説を紹介している。これが何度読んでもよくわからない。言葉が織りなす「象徴界」が人間のこころを作っているという。

しかし、理系の私は、言葉を介せずに、数学や物理の問題を考えている。言葉が織りなす世界は文化だと思っている。言葉で考えると、自分をとりまく人間社会に自分のこころが乗っ取られると思っている。乗っ取られないためには、日本語以外でものごとを考えるしかない。

言葉が中心の人たちにとって、ラカンの言う「欲望は他人の欲望」なのだろう。

私は、NPOで、発語ない子どもたち、発語が難しい子どもたちと接してきた。その子供たちは身体的感情、情動的感情を持ち合わせている。オウム返しのできる子どもたちは、「トイレに行きたい」「お茶を飲みたい」という言葉をすぐ話せるようになる。教えてもいないのに「風邪を引いた」と話したときには、感動した。

私は、絵や絵本を見せながら、言葉の世界を広げようと格闘しているが、知的に問題のある子どもは、なかなか、それ以上に進まない。字が読めるようになっても、どこか、おかしい。

言葉を話さないから知的に遅れたというより、言葉を話すためには、言葉にすべき概念の世界が、最低限、熟している必要があるようだ。


損保ジャパンはビッグモーターによって最も大事な信用を失った

2023-09-14 23:01:15 | 社会時評

朝日新聞が9月12日から、損保ジャパンがビッグモーターの不正に巻き込まれていく10年間を追った『蜜月の代償』を全5回で特集している。

私は、損保ジャパンが、障害者の美術展、パラリンアートを協賛していたことを知っているので、悲しやら腹ただしいやら、やりきれない気持ちである。社会貢献をしていたからといって、社会不正が肯定されるはずはない。社会貢献活動が不正の隠れ蓑になったのではとの疑念すら出てくる。

保険業界や銀行業界など金融業は、米や野菜や肉や衣服や車や家など、目に見える具体的なものを何も生産しない。金融業が提供するのは、信用による安心感である。だから、どこに増しても厳しいコンプライアンスが企業に求められる。

コンプライアンスは日本では「法令順守」と訳されるが、企業の信用を守ることで、法律や省令を守ることに限定されない。

普通、保険業界が恐れているのは従業員が不正することである。たとえば、保険勧誘員が虚偽の保険契約をなし、報奨金を会社から受け取る。損害査定員が損害請求者とぐるになって、架空請求を行う。これらがないよう、会社は、重複する手順でチェックする業務フローと、不正をチェックする監査部門と監査専業の取締役を設ける。

ビッグモーターは事故車の修理だけでなく、損保ジャパンの自動車保険の代理店をしていた。損保ジャパンの取締役会は、ビッグモーターへの出向者の告発で、ビッグモーターの修理費用の不正請求を知っていた。しかし、取締役会は保険の売り上げを守るためにビッグモーターの不正請求を黙認した。

損保ジャパンのコンプライアンスが機能していなかった。監査取締役が用をなしていなかった。取締役会が用をなしていなかった。会社の信用が守られなかったのである。

国としてどのようにこれを罰するのか、私は見当もつかないが、会社は信用を失い、損害保険の顧客を大幅に失うだろう。もしかしたら、つぶれるかもしれない。つぶれないとしても、信用を取り戻すような改革がなしうるだろうか私は疑問である。今回の事態は、業務フローや組織形態が招いたのではない。売り上げを守るために、不正を黙認するとした経営陣の判断である。会社のビジネスモデル、企業文化に問題がある。社長ひとりが辞任しても、解決のめどがたたない。


給食事業者ホーユーの経営破綻は規模が小さいゆえか!

2023-09-13 00:21:43 | 社会時評

きのうのテレビ朝日『モーニングショー』でスケールメリットという言葉が飛び出た。

食堂運営会社ホーユーの経営破綻で全国各地の給食が止まったが、この言葉は、ホーユー社が規模の小さいゆえに競争に負けてたという番組制作者の観点を表わしている。番組のコメンテーターは各自それなりに番組制作者の観点に反発していた。

ホーユーの経営者は、材料費や人件費の値上がりに対するための給食費の値上げに契約先が応じてもらえなかったからと言う。

「スケールメリット」は和製英語で、規模を大きくすることで得られる効果や利益、優位性などをいう。英語では、“advantages of scale”か“economy of scale”を使う。

では、本当にどんなスケールメリットがありうるのだろう。

スケールメリットが「サービスの停止を武器に契約先と交渉できる」では、市場を寡占していないといけない。「材料を一か所から一度に大量に買い付けることで仕入れ先に対する価格交渉力が高まる」では、「弱い者を買い叩く」ということに過ぎない。

これでは、スケールメリットとは、規模が大きければ暴力がふるえるということではないか。公正な市場競争を意味していると思えない。

日本政府は、これまで、給料を上げて価格に転嫁すれば良いと言ってきたが、物価急騰を受けての、逃げ口上に過ぎない。物価急騰は政府が引き起こした「異次元の金融緩和」策の副作用である。そのなかで、規模の小さな会社がその政治力のなさのため犠牲になったと私は考える。

自由経済が政治によってゆがめられているのだ。

そもそも「異次元の金融緩和」策の発端は、日本の経済の長期停滞を受け、政府が借金をして行ってきた財政出動が、大規模会社ばかりを助けて、社会全体の景気回復に結びつかなかったことにある。

この間、全国各地でシャッター街が進んでいる。スーパーやチェン店ばかりが増えて、画一化が進んでいる。デパートも経営破綻しているので、社会全体の貧困化のなかで進む「画一化」である。

富の集積による社会全体の貧困化に抗するには、「スケールメリット」は意味をなさない。小規模業者が大規模業者の暴力に屈しない「公正な競争」を守る社会的ルールが必要である。


ロシア兵士が「人間性を取り戻した」のか、「人間性に触れて涙した」のか

2023-09-11 00:15:31 | こころ

土曜日の朝日新聞3面《ひと》の欄に気になる文章があった。

〈捕虜収容所の若いロシア兵は、家族からの手紙を受け取ると涙を流した。兵士が「人間性(ヒュマニティー)」を取り戻した瞬間だった。〉

この文章では、若いロシア兵は家族からの手紙を受け取るまで、「人間性」が欠けているように読める。そんなことをどうして断定できたのか。

この欄を書いた記者が、「ロシア兵」だから、「人間性」に欠けていると思って、勝手にそう書いたのか。

この《ひと》の欄は、新しく赤十字国際委員会の駐日代表に就任した榛澤祥子を紹介する記事だ。本人は「難民や捕虜という言葉でひとくくりに捕らえず、一人ひとりが人間であることを忘れずに活動したい」と語ったとのことだ。

だとすれば、彼女は「兵士が人間性を取り戻した」と言わないはずだ。しいていえば、「兵士が人間性に触れて涙を流した」という表現になるだろう。

記者が自分の原稿を榛澤に見せてチェックしてもらわなかったか、それとも、榛澤が鈍感であったか、どちらかである。わたしは、前者かと思う。


AIはどんな人の仕事を奪うのか?けさの朝日新聞〈交論〉

2023-09-08 11:59:49 | 科学と技術

けさの朝日新聞に『〈交論〉AIと私たち 仕事は奪われる?』が載った。二人が論じているが、ともに、AI推進派の大学教授なので、討論になっていない。「耕論」や「口論」でも良かったのではないか。

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マイケル・オズボーンは「すでに雇用の不安定化や格差拡大が顕在化しています。私が暮らす英国では、タクシーの運転手と言った既存の職業の収入が減っています」という。

私には、どうしてAIがタクシー運転手の収入減をまねくのかわからない。だいだい生成AIはまだ誰でも使える状態ではない。私が想像するにカーナビの出現のことではないか。

イギリスのロンドン市の道路は複雑である。市内を走る車を減らすために、まっすぐ、車を走らせないように道路ができている。したがって、熟練したタクシー運転手が尊敬されていた。しかし、カーナビがタクシーにつくようになって、誰でも、カーナビを使って最適のルートで目的地に行くことができるようになった。ロンドン市の道路事情にうとくても、タクシー運転手になれる。新規参入が増えたので、賃金が相対的にさがったのではないか。

だとすると、「AIに仕事が奪われる」の議論で、AIと言っているものは、生成AIに限定されず、プログラムと電子回路で動く道具一般のことを、漠然と指しているのではないか。また、奪われると言っても、いままで、高い賃金をもらっていた仕事が、いまは、誰でもできる仕事になったからではないか。

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山本勇は「技術的に可能になったからといって、単純に代替が進むわけでもありません。AIを導入する費用が人より高いことも考えられる」と言う。

20年以上前、私は、外資系IT会社の研究員をやっていて、生命保険会社のデジタル化を調査したことがある。その当時、生保間の競争が激化し、いろいろな複雑なサービスが短期間に導入されることになった。すでに、生保の社内システムはコンピューター化されていたが、新しいサービスの導入によるプログラムの変更は、IT会社に頼ることになるので、高価になる。それで、私が調査した会社は、サービスの変更部分はデータセンターの周囲の主婦を非正規で雇って人力を処理し、残りを既存のシステムを使っていた。

このような事態に、IT会社は、新規システムの開発が容易になるように、パーツの標準化を行い、開発費を抑えることで、対応した。

現役のIT研究者に聞くと、生成AIを標準化して、誰でもが簡単に会社のシステムに組み込める方向に進んでいるという。ただし、難しい問題がシステム構築に横たわっていて、それは構築されたシステムが正しく動いているかの検証である。

AIからほど遠い単純なマイナンバーカード・システムでも、日本では、システム検証がいい加減で、トラブルが続出している。日本政府のシステム構築では、受注先が価格と政治で決まるのが普通なので、システム検証が手抜きされることが多い。情報処理に通じていない日本政府がAIを使うのはリスクが多く、発生するトラブルを国民全体で監視しないと、とんでもないことが起きるだろう。

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「AIに仕事が奪われる」に議論を戻すと、賃金が安い仕事が奪われることはない。システム構築は依然として高価である。賃金が高いが、AIでもできる単純な仕事がコンピューターシステムに置き換わっていく。人がやりたがらない仕事は、賃金が安ければ、AIに置き換わらない。これが、資本主義社会の原則である。

だから山本の提言「国などがリスキリングの場を設けて、非正規の働き手が転職しやすい環境を整えるべきです。労働市場に出る前の教育の高いスキルを持った人を増やしていくことも大切です」は真っ赤なウソ。高いスキルを要する職場は少ない。IT投資は賃金の高い職をターゲットにする。

システム構築やプログラミングの賃金はこの20年で10分の1に下がっている。

AIとかと関係なく、政治は、すべての人に、文化的生活をおくれるだけの賃金を保証しないといけない。今年は最低賃金が上がると言うが、それでも、結婚して子どもを育てるには、足りない。

最近、気になっているのが、人手不足と言うが、私が担当している子どもたちのアルバイト先が決まらない。日本は、本当は不景気なのでないのか。