猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

薄めれば放射性物質を海洋に捨てて良いという論理は倫理的に間違っている

2023-10-06 02:29:04 | 原発を考える

もう、真夜中をすぎて、きのうのことになるが、福島第1原発のトリチウム(3重水素)汚染水を沖1000mの地点に2回目の放出を始めた。これまで幾度もブログに書いてきたが、問題は、放射能汚染水を薄めれば、人類共有財産の海洋に放出して良いのか、ということである。薄めれば良いとなれば、海洋は毒物の捨て場になってしまうから、捨ててはいけないを原則とすべきである。

本当のところ、海洋に捨てなくても、汚染水を大規模な埋設タンクに貯めるとか、地中深く注入するとかの方法があるのだ。

この点が論じられれずに、薄めれば安全である、海洋放出に反対する者は非科学的だ、中国に味方する非国民だ、と言われると、私は腹が立つ。

3重水素(トリチウム)は、放射線のベータ線(電子)を放出して、質量数3のヘリウムに転換する。3重水素の半分が、12.32年で、質量数3のヘリウムに崩壊する。

いっぽう、降り注ぐ宇宙線によって、大気の上空で、たえず3重水素が作られるので、崩壊する3重水素とのバランスで、自然な状態では、雨水には、1リットル(L)あたり、0.1ベクレル(Bq)の3重水素があると想定される。これを0.1Bq/Lとかく。

Bq(ベクレル)という単位は、1秒間に1個の崩壊が起きるに要する放射性原子核の個数をさす。

じつは、50年前、アメリカ、ソビエト、中国が頻繁に核実験を行ったため、大気中に大量の3重水素が作られた。大気圏核実験をやめた現在でも、関東では、雨水中0.5Bq/Lの3重水素が検出されている。

東電の海洋放出計画では、タンクのトリチウム汚染水を100倍の海水で1500Bq/Lに薄めて放出するという。じっさいには、8月24日に始まった1回目の放出では800倍の海水で200Bq/Lに薄めて放出した。きのうの2回目の放出でも800倍の海水で200Bq/Lに薄めていた。

100倍の海水とは、コップ1杯(200mL)の水を2Lのペットボトル10本の海水で薄めることになる。800倍となると、ペットボトルの80本の海水で薄めたことになる。

それでも、自然の状態0.1Bq/Lより、はるかに多いトリチウム水、1500Bq/L、200Bq/Lを放出していることなる。自然環境を明らかに破壊している。

現在、東電や日本政府は、福島近海でトリチウムが検出できていないと主張するが、これは、1つは、検出装置の精度が悪いのと、もう1つは、トリチウム水の拡散の速度が遅いからである。しかし、これから毎年22兆Bqと大量に放出していくから、確実に海洋は汚染されていく。

東電と日本政府の主張には、十分に薄めている以外に、福島第1原発沖以外でもトリチウムを大量に放出している、がある。「みんなで赤信号渡れば怖くない」の論理である。みんなが海洋を汚染しているからいいのだという論理はなりたたない。

みんなで海洋を汚染しているのなかに、「日本原燃再処理工場(青森県)では、試運転した2007年度に1300兆Bqのトリチウムを放出した」があった。これと比べて、毎年22兆Bqを福島沖にトリチウムを捨てる計画は大したことがない、というのである。トンデモナイ論理である、

これには、もっとひどい話があって、日本原燃再処理工場の建設にあたって、年間の放出するトリチウムの量を18000兆Bqと日本原燃は申告している。使用積み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出す必要はない。今のところ、取り出したプルトニウムはプトニウム核爆弾にしか使用価値がない。そのために、さらに、ひどい海洋汚染を引き起こすなんて、許せるはずがない。再処理工場を稼働してはならない。

人類共有の海洋を放射能汚染水の捨て場にしてはならない。汚染水を薄めれば、海洋に放出して良いとすれば、際限のないモラル崩壊を招く。


カリコー・カタリンのノーベル生理学・医学賞を受賞を祝福したい

2023-10-03 17:57:53 | 科学と技術

カリコー・カタリン(Katalin Karikó)が、きのう、今年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。これを、日本の各メディアは大々的に報道し、彼女を祝福した。他国の科学者の受賞にこれほど騒ぐことは、劣等感が強くて 心の狭い日本人の社会でこれまでになかったことだ。

彼女の長年のmRNAを科学的基礎研究のおかげで、猛威を振るった新型コロナウィルス(COVID-19)に対するmRNAワクチンを着手から数ヵ月で開発できた。だから、彼女が必ずノーベル賞を受賞すると私は強く思っていた。

しかし、これだけ多くの人が賞賛するのは、彼女の科学的偉業だけでなく、苦難に満ちた人生に負けない彼女の科学への情熱にだと思う。

ポプラ社は今年の8月に『カタリン・カリコ mRNAワクチンを生んだ科学者』を子どもたちのために出版した。ポプラ社のサイトの本書の紹介には、「研究費が出なかったり、降格させられたりなど、さまざまな憂き目にあいながらも、あきらめることなくRNA研究を続けてきたカタリン・カリコ氏」とある。

ウィキペディアでの彼女の名前が、カタカナ表記「カリコー・カタリン」と英語表記”Katalin Karikó”と語順が違うのは、彼女がハンガリー生まれハンガリー育ちだということを強調したいからだ。彼女自身もハンガリー人であるという意識が強く、ハンガリーとアメリカの二重国籍者である。

彼女は大学院時代からハンガリー有数の研究機関であるセゲド生物学研究所でRNAの研究をしていた。YouTubeでみると、彼女は講演でRNA(アレネイ)を「オラニー」と発音しているが、ハンガリー訛りかもしれない。

1985年、30歳のとき、共産主義経済の行き詰まりからセゲド生物学研究所が縮小され、彼女は解雇された。ハンガリー国内で研究を続ける先を見つけらず、欧米各地の教授に求職の手紙を書き、ようやくテンプル大学のポストドクター研究員の職を得て、夫と2歳の娘ともに、アメリカに渡った。

私も、1977年、29歳のとき、妻とほぼ2歳の息子とともに、ポストドクター研究員の職を得て、カナダに渡った。

カリコー・カタリンはアメリカで生活に困窮したようだ。夫はハンガリーではエンジニアだったが、アメリカでは清掃員の職しかなかった。

カナダにいたとき、私の友達になった大学の清掃員(ジャニターと呼ばれる)はギリシアからの移民だった。故国では教師だったと言っていた。

テンプル大学の研究環境はセゲド生物学研究所より劣悪だったようだ。彼女がテンプル大学で働いていた1988年に、ジョンズ・ホプキンス大学の教授から職のオファーが彼女に舞い込んだ。しかし、テンプル大学の教授が「ここに残るか、それともハンガリーに帰るか」という二者択一の選択を彼女に迫り、その選択に彼女が迷っているうちに、教授はジョンズ・ホプキンス大学に対して、採用を取り下げるよう手をまわした。同年にテンプル大学の雇用も、ジョンズ・ホプキンス大学の採用もなくなり、彼女は追い詰められた。そのとき、日本の防衛医科大学校の病理学科での一時雇用が彼女を救ったという。

一般に、アメリカでもカナダでも職がなくなったとき、移民は不法滞在となる。雇用者が移民に対し絶対的に優位なのだ。

1989年、彼女はペンシルベニア大学の心臓外科医エリオット・バーナサンに研究助手(research associator)として雇われた。非正規である。日本では「助手」のことを現在「助教」というので、日本語ウィキペディアでは「研究助教」と記されているが、変な言葉である。

私も、1979年にポスドクから研究助手になった。1981年に大学での研究をあきらめ、日本に帰り、外資系の会社で研究職についた。

彼女はあきらめることなく、それからも「研究費が出なかったり、降格させられたりなど、さまざまな憂き目にあいながら」RNAの研究を続ける。彼女の夫も娘も、彼女の研究生活を支えた。いい話である。

2020年に彼女らの長年の研究成果のおかげで、新型コロナウイルスのゲノム情報解読から2日後の1月13日にはワクチンの基本設計が完成したという。人での安全性を確かめる臨床試験も3月16日に始めることができた。

彼女が、学会などから色々な賞をうけるのは、mRNAワクチンを短期間で開発した2020年以降である。それまで、学会では注目されず、賞を受けることもなかった。

私は今回の彼女のノーベル賞受賞を祝福したい。そして、彼女が、解雇される不安がなく、研究に専念できる職位が与えられることを願う。


インボイス制度で税の仕組みがさらに複雑化する

2023-10-02 11:55:08 | 経済と政治

税が弱者を救うための再分配だとすれば、税を払うことに納得感が湧いてくる。しかし、他国と競うための軍事力強化のためとか、企業の失敗の尻ぬぐいのためとか、聞くと税を払いたくなる。

ずいぶん昔に、税を払いたくないとの理由で、多額な税を上乗せられたタバコとか、酒とかをやめた。お金の余裕も出てくるし、時間の余裕も出てくる。

いま、インボイス制度で、私の近辺でも騒いでいる。そもそもインボイス制度というのは私には良くわからない。

税の仕組みが複雑だと、どうしても、不公平だとか、損をしたくないとかの声が上がってくる。私は簡単な方が良いと思う。

所得税、法人税があるのに、消費税を導入するから、複雑になっている。所得税、法人税は収入や収益に基づいてかかるとするが、事業者の収益がわからないから、消費税を取るのだと、昔、消費税推進者は言っていた。消費税とは取り引きにかかる税金である。しかし、いまや、デジタル化された業種では、キチンと収益が計算できるはずである。

10月1日に始まったインボイス制度がよくわからない。付加価値に税金を掛けるという。付加価値がわかるために、インボイスが必要だという。

政府は国民総生産(GDP)を毎年発表しているが、国民総生産は、一定期間内に生産されたモノやサービスの付加価値の合計額である。この付加価値をどうやって国は知ることができたのだろう。あてずっぽうな数値だったのだろうか。

付加価値は収入(収益)と同じものだろうか。それなら、事業者は売上引くコストとなる。コストには、被雇用者の賃金、仕入れ値、固定費などがある。

そうであれば、仕入れ値を税金を含んだ金額にすれば、インボイスなどはいらないのではないか。税込みを仕入れ値とすれば、仕入れ値の税率が8%か10%かというのが問題にならないはずである。インボイスは会計業者の売り上げを増やすだけである。

インボイス制度で税収が増えるというのは、本当は免税業者がいて、それを減らす効果を政府が期待しているのだと私は考える。

しかし、インボイス制度で、それにともなう軽減措置が政治家によって色々と導入され、また、税の仕組みが複雑になっていく。

法人税でも、税が安くなるいろいろな制度があるが、政治家が税の抜け穴を作ると票が集まると言う理由で、税制度が複雑化している。

税制度が複雑化することは、不公平感を増す。