北の旅人

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アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000㎞③

2008-02-11 09:26:00 | Weblog

1972・8・19(土) 晴れ ニューヨーク→アムハースト (マサチューセッツ州)

午前7:00起床。カフェテリアで朝食。パン食だが、フルーツ、ジュース、ミルクなどは好きだから、今のところ食事には困らない。朝食後は自由行動。ニューヨークの42番街を歩いてみる。書店などにはポルノ雑誌が溢れ、カメラショップでは、怪しげな16㎜フィルムを買わないかと、日本語で勧誘してくる。

正午にチェックアウトし、グレーハウンド・バスで一路アムハースト(マサチューセッツ州)へ。時速65マイルでぶっ飛ばす快適さ。緑あり、湖ありで素晴らしい風景。土曜日ということもあって、キャンピングカーが目立つ。 午後3:40、アムハーストのマサチューセッツ大学のパターソンハウスに到着。

マサチューセッツ大学は、「ボーイズビーアンビシャス!」で知られるウイリアム.S.クラーク博士が、かつて学長をつとめていた。6:30 夕食。ハンバーグが抜群に美味しい! そのほか、マッシュポテト、サラダ、フルーツ、ジュース、ミルクなど。

夕食後、大学のキャンパスにあるスタジアムで、「Super Bowl of Music」というブラスバンドの演奏大会を見学。「Never on Sunday」などの音楽を楽しんだ。子どもたちも一緒に見ていたが、われわれは「Chinese」と間違えられ、中国語で1、2、3…10を教えて欲しいと言われる。中国に対する興味の強さがうかがわれる。

5円玉、1円玉と10セントを交換。コーラーを飲む。25セント。「You are very pretty girl!」と、お世辞を言ったら大喜び。かなり涼しく、秋風のような感じがする。カーディガン着用。10:30大学の寮に戻る。シャワーを浴びる。
       
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ウイリアム・スミス・クラーク博士が教えたこと

クラーク博士は、明治9年に札幌農学校(現北海道大学)に教頭として迎えられ、わずか8か月だったが、開拓精神の礎を築いた功積は大きい。北海道開拓使が残した大きな遺産は札幌農学校だったと言われる。

クラーク博士は英語、植物学を教えたほか、学校運営全般にも関わった。札幌農学校には、多くの校則があったが、「校則は一つでよい」と言い、「Be gentleman!」(紳士たれ!)と、教えたという。技術や知識を習得する前に、「一人の人間として育つ」ということを強調し、「自由、独立、人間尊重」を教育方針とした。

最初の卒業生は佐藤昌介(後の初代北大総長)ら16人。二期生には、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾、町村金弥などがおり、クラーク博士が蒔いた種は、130年以上経った今、日本全国いたるところで花を咲かせている。のみならず、北大は教育・研究の分野において、アジアの拠点、世界の拠点を目指してウイングを大きく広げている。

現代の社会風潮を見るにつけ、われわれは、クラーク博士の「開拓者精神」「大志」「紳士」といった教えを、今一度思い起こしてみる必要がある。青年だけに限らず、特に、政治家、経済人などリーダーたる人間には、強くその言葉をかみしめてもらいたい。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)