北の旅人

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アメリカ大陸横断「青春日記」1972・35日間・5000km⑩

2008-02-18 16:18:56 | Weblog

1972・8・26(土) 曇り ボルチモア
(メリーランド州)
 
午前9:00 起床。11:00 Mr.klineが迎えに来てくれる。車で氏が経営するB&O(Baltimore and Ohio Railroad Company)を見学。資本金2,000億円、従業員45,000人の大会社。

アメリカには国有鉄道はなく、現在、アメリカ最大の鉄道だ。70,000マイルの鉄道、4,000両の車両を持っていて、年間の利益が1兆円。ビッグカンパニーだ。1時間ほど見学して、Mr.klineの家へ。ここへ泊まることになった。

モーテルから20マイルほど離れた郊外だ。抜群の環境で、海あり山あり、日本流に言えば別荘だ。2階建てで、1階は応接間兼ホームバー、2階は寝室が2、ダイニングルーム、キッチン、応接間、トイレ3、バスルーム2、広くて素晴らしい家だ。車はムスタングをはじめ4台。子どもが3人いて、23歳の長男は海軍に行っている。12歳の長女と3歳の次女。

家に着くと、すぐに泳ぎに行こうということになり、「White Hurst Club」というコミュニティのスイミングクラブへ。私は泳ぎが出来ないが、浮き板を使って遊ぶ。生まれて初めて海水パンツをはいた。ここは、ヨットハーバーにもなっているので、景観も良く、一緒になった人たちも皆な親切にしてくれて、ビールやジュースをご馳走してくれた。ビキニスタイルの美女たちとも写真を撮り、楽しいひとときだった。 5:00 帰宅。

すぐ、近くにホームスティしている5人の女性グループを訪ねる。ビールをご馳走になったが、腹ペコで帰ってきた。夕食は、ハンバーガー、チキン、サラダなど。夕食後、近所の人たち6~7人が遊びに来てくれる。

その中に、JC(青年会議所)のメンバーがおり、私も一時期JCに所属していたことがあったので、話が弾む。JCの活動資料などをくれたので、持って行った絵葉書やバッジをプレゼント。また、パンアメリカン航空のパイロットも来ていて、飛行機の話などを聞かせてくれた。

長女のローリー嬢はピアノで「ロミオとジュリエット」を、奥さんも「エーデルワイス」などを弾いてくれた。「オータムリーフ」や、ベルトケンフェルト楽団が演奏する曲を流してダンスを誘われる。

メンバーのT君が、ローリー嬢に「あなたの名前を日本語では、このように書く」と、教えてあげていたら、ほかの人たちも大変興味を示し、全員の名前をカタカナで書いてあげたので大喜び。結局、0:30頃まで話しこんでしまった。

Mr.klineは大変な家族思いで、食事の用意、後片付けもする。だから、奥さんはお客をもてなし、一緒になって話の輪に加わる。この奥さん、茶目っ気たっぷりで、皆を楽しませる。とにかく素晴らしい奥さんだ。K君と同じベッドで、1:30に寝る。

     ☆        ☆

    
「英漢字」というアート

以前、新聞で「英漢字」という、新しいアートを生み出した女性の記事が紹介されていた。ホームスティしたとき、アメリカ人の名前を日本語で書いてあげたら、大変興味を示したことを思い出した。

たとえば、「和」という漢字を「PEACE」というアルファベットを組み合わせて、筆と墨を使って書く。「愛」は「LOVE」、花は「FLOWER」と読める。「英語+漢字」で「英漢字」と名づけたという。やはり、外国人も興味を持ってくれているというから分かるような気がする。

あのホストファミリーでお世話になった皆さんにも是非見せてあげたいなと思った。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)