北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000㎞④

2008-02-12 07:21:42 | Weblog

1972・8・20(日) 晴れ アムハースト
(マサチューセッツ州)

午前7:30起床。 8:30朝食。午前中、自由時間。洗濯、妻へ便りを書く。11:30昼食、いつもの通り、お皿に乗せていったら食べきれなくなってしまった。

午後からは、「ピーターパン・バス」で大学構内、アムハーストの街を回遊。まずは、クラーク博士のお墓に献花礼拝、ジョンソン・チャーチ(新島襄が日本人として最初に学んだ)、戦没学生墓地、次いで2億年前の化石が出るというパイオニア渓谷に行き、アムハースト、ハンプシャー、マウント・ホリヨーク、スミス各大学を訪問。午後4:00帰着。

4:30~5:50大学構内の食堂でレセプション。北大にいたことのあるバートン・ドレイク氏(物理学講師)から話を聞く。街中を走っている車のバンパーに、大統領選挙の候補者であるマクガバン候補のステッカーが貼られていて、さすが選挙戦術に関しては進んでいるアメリカらしい。今後は、日本の選挙戦でも、このような風景が見られるようになるかもしれない。

アムハーストは空気も良く、体調を整えるには絶好のところだ。英語も結構通じる。 

夜は一人で街をブラブラ散歩。部屋に帰ってから、われわれのグループ13人のリーダーH先生と団員のK君が遊びにきて、午前0時頃まで話し込む。

   ☆           ☆  
                 

   クラーク博士と新島襄の接点

同志社大学の創立者である新島襄は、このアムハースト大学に学び、クラーク博士から化学の授業を受けていたという。当時、クラーク博士はマサチューセッツ州立農科大学長だったが、母校のアムハースト大学で非常勤講師として教えていた。その関係から、クラーク博士が札幌農学校に来る一つのきっかけをつくったと言われる。

新島は、幕末に禁を破ってアメリカに渡ったが、その渡米地点は函館であった。大町築島の波止場跡に記念碑がある。渡米前には、今は観光スポットの一つになっている函館元町のハリスト正教会で日本語を教えていた。北海道とも深い関わりがあったのだ。アメリカ在学中に「岩倉使節団」と出会い、
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年休学してヨーロッパ諸国へ教育視察に出かけている。

また、福澤諭吉
(慶応大学創立者、思想家)、森有礼(明六者発起人代表、初代文部大臣)、近藤真琴(攻玉塾創立者、数学、工学、航海術)、大木喬任(文部卿)、中村正直(同人社創立者、西国立志編など翻訳)などとともに、明治の六大教育者の一人にも数えられている。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)