1972・9・1(金) 晴れ アンダスン
(インディアナ州)
午前7:30起床。10:00 YMCAに集合。福祉施設見学。老人、身体障害児、精神薄弱児たち150人(52人が子どもたち)が入所している。大変立派な施設でホテル並み。このような施設は全米で4,000ぐらいあるだろうという。しかし、まだまだ足りない。
この後、K君と二人で彼のホストファミリーの奥さんたちと、グラス製造工場や七面鳥が13,000羽もいるところへ案内してもらう。アンダスンからは、かなり離れたところ。グラス工場では実際に製造体験をさせてもらった。灰皿をつくる。後日、日本へ送ってくれるそうだ。価格は最低で2ドル。
奥さんたちは興味があるらしく、途中グラスショップにも立ち寄る。レストランで食事。ギリシア人が経営しているところで、奥さん、娘さん、店のチーフを紹介してくれる。田舎なので日本人は珍しいのだろうか。ここでも、ホストファミリーに立ち寄った。
とにかく、大きい家には驚いた。電話が15台もある。想像がつかない。黒人の医者の家だ。子どもは4人。主人は言う。「法律では、いくら人種差別がないと言っても、実際にはある!」と。そこで、彼は、人に使われないように勉強するという信念のもとに、ハイスクールを卒業して以来11年間、一生懸命に勉強した。博士号も取得した。彼の家は、まるでお城のようだ。
6:30から、「dish picnic」がMr.George Surbaugh宅で開かれた。ホストファミリーの家族が集まったので、かなりの数になった。それに日本人家族(ガイド)が3人と、交換留学生で来ている男子高校生(名古屋から)も一緒。ここで、新聞記者とも出会う。彼の奥さんは広告の仕事をしている。コロンビア大学で7か月間、日本語を勉強した。ご主人は特に教育問題の権威とか。
ここのパーティーで、われわれは、日本の盆踊り(北海盆歌)や流行歌を披露。集まってくれた中の一人に、なかなか愉快な警察官がいて、ギター片手に大熱演。食べ物は、それぞれが持ち寄ってのパーティー。家族みんなで楽しむ習慣は実にいいことだ。 9:30に終了。
星条旗をあしらった指輪をプレゼントされる。ホストファミリーに帰ってからは、妻にインディアナ州の地図が入ったお盆、息子(1歳)には絵本、私には星条旗入りのタイピンをプレゼントしてくれた。頂いたお土産が増えていくので、スーツケースの中を整理しなければならない。大変楽しく、感激した一日だった。11:30就寝。
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マーチン・ルーサー・キング牧師
人種差別や黒人問題で思い起こすのは、マーチン・ルーサー・キング牧師だ。キリスト教信仰に基づく非暴力主義の人種差別撤廃運動を推し進めた。1968年、テネシー州メンフィスで暗殺された。39歳だった。
1963年8月28日、ワシントンDCのリンカーン記念公園で行われた「ワシントン大行進」でのスピーチ「私には夢がある」-I Have a Dream。は、あまりにも有名だ。
私は同胞達に伝えたい。今日の、そして明日の困難に直面してはいても、私には、なお夢がある。それはアメリカン・ドリームに深く根ざした夢なのだ。つまり将来、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等である」というこの国の信条を真実にする日が来るという夢なのだ。
私には夢がある。ジョージアの赤色の丘の上で、かつての奴隷の子孫と、かつての奴隷を所有した者の子孫が同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が。
私には夢がある。今、差別と抑圧の熱がうずまくミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変わり得る日が来るという夢が。
私には夢がある。私の四人の小さい子ども達が、肌の色ではなく内なる人格で評価される国に住める日がいつか来るという夢が。
私には今、夢がある!人種差別主義者や州知事が連邦政府の干渉排除主義を唱え、連邦法の実施を拒否しているアラバマ州にさえ、将来いつか、幼い黒人の子ども達が幼い白人の子ども達と手に手を取って兄弟姉妹となり得る日が来る夢が。
私には今夢がある!いつの日にか、すべての谷は隆起し、丘や山は低地となる。荒地は平らになり、歪んだ地もまっすぐになる日が来ると。「そして神の栄光が現れ、すべての人々が共にその栄光を見るだろう。」(後略)~。
<典拠>「マーチン・ルーサー・キング・ジュニア ペーパープロジェクト」から抜粋木山ロリンダ・斎藤真由美訳 The Martin Luther King,Jr. Papers Project at Stanford University
(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)