北の旅人

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アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000km⑮

2008-02-24 10:15:14 | Weblog

1972・8・31(木) 晴れ アンダスン
(インディアナ州)


午前7:30起床。9:00 YMCAに集合し、バスでGMの子会社である自動車部品工場「Delco remy」を見学。今日は凄く暑かった。汚水処理の工場を見学。200万ドルをこの施設に費やした。お金を節約するために建設したという。

この会社は、GM最大の子会社で、アンダスンの人口73,000人のうち、16,000人はGM関連の工場に勤めている。20の工場があり、3交替制。16マイル離れたところからも勤めに来ている。1971年から環境維持のため、年間1億6,700万ドルを費やしている。駐車場には9,000台収容できるスペースがあり、さすがはビッグ企業だ。

従業員の給料は週給およそ150ドル。PR用のスライドを見てから社員食堂で昼食。日本の社員食堂とは違って立派だ。

午後からは、まず「Migrant Farms」(移住者の農場)を見学。1時間当たり6ドル稼ぐのを目標にしている。ここで働くほとんどはテキサスから来る。風呂なし6人家族で2部屋に住む。2か月間働いて、その後、ミシガンのサクランボ工場などへ行く。

問題点としては、①教育が困る。90%はメキシコ系アメリカ人。②一つの技術しかないので仕方ないが、昔からの慣習。農家には組合がないし、学歴もないという。次に、ケチャップ工場でソースの製造過程を見て「テキサス・デイケアセンター」へ。農場労働者の子どもたち(生後15日~4歳まで)を、屋内運動場のようなところで預かっている託児所。個人経営で、連邦政府の補助金が出ている。

アンダスンでは、かつて、白人が黒人を酷使していたが、現在は一人もいない。この後、トマト工場で、ボランティア活動をしている2人の大学生に会う。毎日、5~10人の切り傷、打撲などの手当てをしたりしている。休みの期間中だけでも協力しようと参加している。住み込みといった感じだ。もちろん無報酬。

8:00 リーダーのH先生のホストファミリーであるMr.Robert.S.Bates宅へ、仲間3人で遊びに行く。近所の人も家族連れで来ていた。日本の遊びなどを紹介している中で、特に、そろばんや折り紙(カブト、船、キモノ、鶴など)が、人気あり。

ハサミを借りたいので、Woud you lent me a chokichoki?(チョキチョキ)と言ってみたら、ちゃんと通じた。この家には、中国人女性を描いた絵や、「福禄」という書が飾ってあった。10:30 帰ってくる。拙い英会話能力だが、このところ、もっぱら「男は度胸」という感じで押し通している。まぁ、何とかなっている。       

     ☆        ☆             

       企業城下町

GMは世界第二位の自動車販売台数を誇る。アンダスンは、まさにGMの企業城下町である。日本で言えば、愛知県の豊田市のようなもの。人口約40万人で全国第一位の製造品出荷額等を誇り、「クルマのまち」として知られる。

トヨタ自動車は、自動車販売台数では世界第一位だ。市内に7か所の工場を持ち、20,000人余りが働く。ホテル、結婚式場、スポーツクラブなどの施設は社員以外も利用できるなど、地域社会とともに歩む企業でもある。

企業城下町と言えば、かつては日本有数の炭鉱として栄えた夕張もそうだった。最盛期には24あった炭鉱が1990年にゼロになり、人口はピーク時の120,000人から13,000人弱まで減ってしまった。

2007年には、財政再建団体となり、353億円の借金を18年間で返済しなければならないという茨の道を歩みはじめている。そのため、市民生活は全国最高の住民負担、最低の行政サービスとなった。

また、高齢化率(65歳以上)は全国の市で最高の41%、年少人口(15歳未満)は全国最低の約8%と実に厳しい現実と闘っている。しかし今、行政も市民も懸命に再建に立ち向っている。全国からの温かい支援の輪も広がっている。ここは是非、「ピンチをチャンスに」変えて頑張ってほしい。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)