北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000km⑪

2008-02-20 10:40:54 | Weblog
1972・8・27(日) 晴れのち曇り ボルチモア→ピッツバーグ(ペンシルべニア州)

午前7:30起床。今朝は、リーダーのH先生が、これから乗るグレーハウンド・バスのチケットが見つからないと、大騒ぎ。部屋中に荷物を広げ青くなっていた。30分ほど探して、やっと見つかり、ほっとした。われわれのグループではハプニング続きだ。

今日は、ボルチモアを離れる日。朝食のとき、お礼にプレゼントの品を渡す。私は真珠のペンダントをあげた。ローリー嬢にはダルマを。皆が、それぞれにプレゼントした。Mr.Klineのお宅には大変お世話になった。感謝、感謝だ。

9:30に、近所に住んでいるというパイロットも、バス停まで見送ってくれた。まったく頭が下がる思いだ。ボルチモアを離れるときは、ほんとうに感無量のものがあった。ローリー嬢も寂しそうで、可哀想なくらいだった。私は、Mrs.Klineのキッスを頬に受け当惑した。

11:15ごろ出発、一路ピッツバーグへ。途中、雨が降ったり、気温が下がったりして少し寒かった。2回ほど休憩した後、ピッツバーグのデュケンス大学に到着。今日は、大学の寮に宿泊。腹が減ったので、近くのレストランで食事。(4ドル30セント)サラダ、オムレツ、マッシュルームが山ほど出てきた。店員の接客態度が極めて悪く、何回呼んでも「Just Moment!」だ。三流の店といった感じ。

ビールを飲みたいと思ったのだが、売ってくれない。日曜日に酒を売るためには、特別のライセンスが必要だとか。州の法律で決められているということだった。帰舎してから、K君の部屋へ行き、ボルチモアで仕入れてきたCarbert Extra(5ドル)を、ラッパ飲み。ドイツ人学生二人が遊びに来る。大学の授業は明日から始まるそう。

男女共学で女子が多いようだ。24時間オープンしている。われわれの部屋は923号。周囲の環境は実に良い。途中で抜け出し、日記の整理、シャワーを浴びて寝る。

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酒酔い運転

アメリカでビールなどアルコールを買うのには、ずいぶん苦労した。今は、ほとんど飲めないのでアルコールがなくても全く平気なのだが、当時はビールを飲みたいなと思うことが結構あった。

アメリカでは、長時間バスで移動することが多く、ホテルなどに到着した時や、フリータイムの折に「ビール飲もうか」ということになるのだが、なかなか酒屋が見つからなかったり、すぐには売ってもらえなかったりした。

日本では、酒酔い運転による悪質極まりない死亡事故が多発して大きな問題となっている。2006年8月に起きた福岡市の車自己3児死亡事故は、業務上過失致死傷罪の7年6か月という判決だったが、まったく理解できない。(2008・1・8のブログにも書きました)

危険運転致死傷罪は死亡させた場合が20年以下の有期懲役、負傷させた場合は15年以下の懲役だ。新しい改正道路交通法によれば、酒や車を提供するなどの行為にも罰則を課す規定が新設された。自動車運転過失致死傷罪を新設した改正刑法との併合罪が適用された場合、酒酔いが最高で懲役10年6月、酒気帯びは同10年となる。被害者の苦しみを思えば、当然のことだ。

私は、もともと運転免許を持っていないし、アルコールも今はほとんど飲まないが、加害者になり得るということだ。運転者はもちろんのこと、アルコールを売る側、飲ませる側を含め、みんなが徹底した意識改革をしなければ酒酔い運転の根絶はできない。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)