北の旅人

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アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000km⑨

2008-02-17 06:51:13 | Weblog
1972・8・25(金) 晴れ ボルチモア
(メリーランド州)

午前9:30起床。昨夜は遅く寝たため、今朝はゆっくりと起きる。グループの中の3人の女性の民泊先が決まったので一緒に迎えの車に乗り、175年前の船を見学に。その後、ボルチモア市内を見物。

The gas and Electric Companyの前でジンジャエール(70セント)を立ち飲み。デパートに入り、海水パンツを買う。(1ドル60セント)店員は制服ではない。黒人が多い。店内は広いスペースで、ゆったりとしている。リーダーのH先生、K君、T君と銀行(Baltimore Saving Bank)で、half doller40枚と両替。法律大学、医科大学を見学し写真撮影。

マーケットに立ち寄り晩の食料を買う。トマト、お菓子など買う。(5ドル5セント) バスに乗って帰ろうとするが、どのバスに乗ればよいのか、なかなか分からず、何回も聞いて、やっと乗ることができた。5:00前にモーテル「Readyway inn」に戻る。

今回の派遣事業のお世話役の一人、Mr.Kleinから連絡があり、今夜はミーティングがあるので一緒に行こうと誘われる。どのような集まりかよく理解できなくて、少し迷ったがラフなスタイルで出かけていったところ、なんと「Kiwanis Club」の大会でビックリ仰天。みんな正式な服装で来ているのに、われわれはTシャツにジーンズだ。私は、丸首のシャツに運動靴だ。参った。

会場も「Baltimore Hilton Hotel」。7:00に、Mr.Kleinが迎えに来てくれた。まず、16階で友達のフリーライター、心理学のカウンセラーなどを紹介された。Mrs.Kleinも一緒に来たが、素晴らしく上品な奥さんだ。ここで、スコッチを飲みながら、おみやげに持ってきた各種のバッジや5円玉などを交換して盛り上がる。

もう、これで終了かと思いきや、これからが始まりなのだという。 1階の会場に行くと、「Kiwanis Club」の大会が始まった。ここで、国際キワニスクラブの次期会長さんを紹介され、会長さんが歓迎の挨拶までしてくれた。ニューヨークから来た一流の歌手とバンドが日本の歌を演奏してくれ、大変感激した。

会長さんは、かつて札幌のアメリカ領事館に2年半いたということで、北海道のことをよく知っていて、アイヌの木彫りも持っていると言っていた。あんなに大きな大会にわれわれを呼んでくれたというのは、特別なことだろう。懇親会で、私はMrs.Kleinとダンスするなど楽しく友好を深めることが出来た。リーダーのH先生が、紙に書いて持っていた「友愛」という言葉を説明するなどしてコミュニケーションを図った。私たちも、キワニスクラブの存在などを教えられ、社会活動班としては貴重な経験をした。

キワニスクラブは貧しい子どもたちの教育を中心に社会活動をしている団体だ。後で分かったのだが、Mr.kleinもメリーランド州のガバナーという立場にある。大会の後、上の階に移動し雑談。われわれがソロバンの使い方を説明すると大変興味を示し、喜んでくれた。ただ、不思議そうに見ていて、「お前たちは、足で計算している」と言って、足元を見るのには大笑いした。

Mrs.kleinは、サービス精神旺盛で、イブニングドレスで「ヨガ」をみせてくれた。奥さんの弟夫婦も来ていて、実に楽しい一日を過ごした。モーテルに帰ったのは1:30、シャワーを浴びて寝たのは2:00だった。     

      ☆        ☆
             
      「キワニスクラブ」

キワニスクラブは、1915年アメリカのミシガン州デトロイト市で創立された国際奉仕団体で、シカゴに本部がある。現在、83か国の主要都市に8,740クラブがある。

「キワニス」とは、アメリカンインディアン語で、「みんな集まろう」という意味。子どもたちへの奉仕が中心で、例えば、ヨード欠乏症の子どもたちを救うため、ユニセフを通じての募金活動をはじめ、幅広い活動を行っている。

日本では、1964年に東京に設立され、現在1,500人(24クラブ)が多彩な活動を続けている。私は、かつてロータリークラブの活動に参加していたことがあるが、若い時にキワニスクラブの存在を知っていたので大変参考になった。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)