yyyy/mm : 2003/02
notes : 本州でいちばん早く咲く桜。祭りは今年で第16回目、2月10日から約一か月。東伊豆・河津町(静岡県)。写真は第13回、前出「夜もすがら」のとき。
いよいよ最終巻。1917~1979。巻第二十は、「釈教歌」(しゃっきょうのうた)となっている。釈迦の教え、仏教の経典由来、あるいはまた、憑依(ひょうい。仏が乗り移る)による歌、などなどである。巻頭三首には、作者名が空白になっている。この作品も、そのままで現代に通用する。
ひらかなy160:よのなかの なやみなげきの もろもろは
あさがおにのる ただのつゆだよ
ひらかなs1918:なにかおもふ なにとかなげく よのなかは
ただあさがほの はなのうへのつゆ
【略注】○朝顔の花の上の露=「朝顔」「露」ともに、ほんのひとときの、果敢ない
命。二つ重ねて、人の世の果敢なさを強調した。
○藤原清輔=悠 154(02月07日条)既出。『新古今集』には作者名がないが、
この歌は清輔著『袋草紙』所収なので、ここでは詠者とした。歌あとがきに、
「清水の観音の御歌となんいひ伝へる」とある。清水寺(京都市)の観音が
詠んだ歌、というのだ。
2006-0215-yts109
夜もすがら 高き波音 耳近く
明くれば海際の 泡立ちてをり 悠山人
○短歌写真、詠む。
○河津桜の季節。PCでライブカメラを見たら、まだまだ。私が先年訪ねたときには、思いがけなく波が高く、大島行きが急遽中止になった。
□短写109 よもすがら たかきなみおと みみちかく
あくればみぎはの あわだちてをり
【写真】東伊豆・北川(ほっかわ)温泉に宿したときの旧作。2003年02月撮影。
作者が勅使として訪ねた、伊勢神宮の帰りに詠んだ。現代詠に五十鈴川としなかったのは、この記事を読んだあなたに、古称に親しんでもらうため。
ひらかなy158:もういちど みたいものだと ふりかえる
みもすそがわに さわぐしらなみ
ひらかなs1881:たちかへり またもみまくの ほしきかな
みもすそがはの せぜのしらなみ
【略注】○見まくのほしきかな=見たいものだ。上一活用動詞「見る」の未然
形「み」に、推量助動詞「む」のク語法「まく」で、「見まく」(見ること、見
るだろうこと)。体言なので格助詞「の」を付けて、この場合は、所有格
的に使われる。「まく」は万葉集に多出だが、新古今では希用。「ほしき
かな」は「欲しいなあ」。旺文社版古語辞典には、「見まく欲し」「見まく欲
(ほ)る」が、同旨見出し項目になっている。
○御裳濯川=五十鈴川の別称・古称。倭姫伝説に由来。和歌のほか、
能楽でもこの名でよく知られる。
○源雅定=雅実の子。『大鏡』の作者か。
2006-0212-yts108
蒼穹に身をよじらせてくねらせて
悦び伸ばす春告げ柳よ 悠山人
○短歌写真、詠む。
○猫柳は英語でも pussy willow。文語詠短歌を原則とする悠山人の、例外的な口語詠。
□短写108 そうきゅうに みをよじらせて くねらせて
よろこびのばす はるつげやなぎよ
【写真】きのう、近くの公園で。
2006-0211-yts107
赤岳の荒荒しくも真白なる
岩稜を背にわれも凛とす 悠山人
○短歌写真、詠む。
○八ガ岳連峰の盟主、赤岳の南壁を背景に撮影。(私は削除)。
□短写107 あかだけの あらあらしくも ましろなる
がんりょうをせに われもりんとす
【写真】赤岳山麓で撮影。