6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

千里真志保の碑

2023-01-22 | 旅行

国立アイヌ民族博物館の知里真志保特別展示で
アイヌ文化や
アイヌ語研究の原稿
アイヌ語辞典を観て
博物館を後にした

ところが
国道36号線登別付近で
千里真志保碑の道路標識が
見落とすぐらい小さく表示
アイヌ語の先生だと
急遽脇道に入って行ってみた
 
先祖はアイヌ人らしく
東京帝大大学院を中退して
アイヌの研究者として
北海道大学から博士号をもらったと・・・
 
「分類アイヌ語辞典」など多くの業績を残し
アイヌの差別や
その他アイヌの研究のずさんさを批判
その存在と主張はアイヌにとっての精神的支柱に
なったと献碑に書いてあった
 
姉の知里幸恵のアイヌ神謡集の一節
 
「銀のしずく
降れ 降れ まわりに」 
 
と大きな碑が立てられていた
 
そこから山の上に
墓があるとの標識
これも見なくてはと
どこだどこだと目をさらのようにして
小山の頂まで走った
 
ひと町内ぐらい広い墓地は
和人の墓の集合で
姉の幸恵や身内の人々知里家の墓も
片隅にあったが和人墓と比べ
石の積み方が素朴で
自然体なかたちに好感を覚えた
 
 
 
 
 
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瑞鳳殿観光と仙台城

2022-10-15 | 旅行

仙台港19時出航迄に
5時間の余裕があり
仙台観光を思い立った

観光スポットを一巡りする
シティバスが仙台駅より
30分ごとに発車すると聞いて
満員の中乗った
 
瑞鳳殿前で降り、杉木立の参道内の
中央階段を登り唐門を潜れば
伊達藩祖政宗公が眠る霊屋が出迎える
両側に殉死した家来20名の燈篭
が当時の風習とは言え痛々しい
 
 
建物は戦災で焼滅したが
コンクリート構造で再建
桃山文化の豪華絢爛な遺風を伝えている
 
石棺には遺骨や埋葬品が残り
隣接の記念館に展示してあるが
刀等腐食が激しく原型を留めない
 
政宗公の遺骨を分析した結果は
身長159cmと当時は普通
鼻は高く当時の日本人とは
ちょっと違っていたとの事
 
そう言えば幕府が
伊達藩の資金を削ぐために
日光東照宮建立の費用を負担させたが
その豪華絢爛な姿と
同質だなぁと思いながら
また混んでいるシティバスに乗り
次のスポット仙台城に向かう
 
仙台城は城のイメージと言うより
高台にある公園のようで
青葉公園と言われる所以
そこから見る仙台市は大都会そのもの
騎馬に乗った独眼竜政宗銅像は
修理中で無かった
 
 
伊達62万石の居城跡は
天然の要害青葉山に建ち
お堀も川のように見えて
崩れた石垣や本丸石垣に往時の
ロマンを感じるが
観光スポットのせいか
観光客が多くて
落ち着かなかった
 
 
 
 
落ち着いてまたの機会と
早く切り上げ駅構内の老舗で
特上牛タンと生ビールを
食べご機嫌で
洋上の人となった
 
 
 
 
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大船渡線のドラゴン列車

2022-10-02 | 旅行

新幹線を降り一ノ関駅構内に
にわか作りの
臨時情報案内所が目に付き
気仙沼までの行き方を聞くために
飛び込んだ

メガネをかけマスクごしに
おばさんが早口で
バスや汽車の時刻表を指し
該当箇所にサインペンで親切にマーク
大船渡線の
別名ドラゴン列車で猊鼻渓もあるし
是非お勧めと・・・
 
おまけに地産の土産品
一ノ関観光マップ等々渡し
縷々説明してくれた
 
自称鉄道ニセマニアの小生
昔、太平洋側大船渡まで
快速で走っていた
スーパードラゴン列車

東日本大震災のあと
一ノ関 気仙沼間が
普通自由席となった
ドラゴン列車と聞いて
途中日本100景 名勝猊鼻渓もあるし
乗らない訳には行かない
 
バスの時間表そっちのけで
三番線から間も無く発車の
アナウンスにすぐ飛びついた
 
二両編成のワンマン列車は
キハ100系気動車で
窓にカーテンが下がり
ゴージャス感満点
 
 
ボックス席は空いて
足を伸ばしゆっくりゆらゆら
何故ドラゴン列車と言うのか
ずっと考えている間にうとうして
気が付けば
猊鼻渓の駅を通過していた
 
 
 
 
 
パンフに魅了された猊鼻渓は
帰りに観ればと
ガラガラ車内をカメラ片手に
動きまわり
地方鉄道を満喫できた
 
 
 
 
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史跡 大森勝山遺跡

2022-07-04 | 旅行

津軽平野を走って
岩木山が徐々に近づいてきた
その麓に大森勝山遺跡がある筈だ

自動車ナビは効かず
外れのガソリンスタンドのお兄さんに
聞いても津軽弁でわからず
最寄りの管理施設に
電話して行き先を聞いても要領を得ない
迷走しているうちに
小さな看板が目に入りようやく辿り着いた
 
りんご畑の傍に
広い砂利敷き駐車場
パンフ置き場、仮説のトイレがポツンと
置いてあり
見学者の自動車が脇に2台停まる
 
ここはまだまだ
整備されていない様だが
かえって違和感はない
隣はリンゴ畑でまだ小さい
 
 
 
道案内版表示に従って
森中を歩き出したが
踏みならされた小道は
次第に縄文の世界に誘う
 
 
突然開けた大地の向こうに
岩木山がドーンと見え
初夏の樹木が風に靡いて
縄文時代と同じ景色か
ストーンサークルが現れた
 
 
直径約50mの円形環状列石の後ろに
岩木山が構えて
冬至の日には山頂に太陽が沈む
祭りの頂点に達する祈りの場
なんと神々しいではないか・・・
 
 
周囲から祭りの道具と考えられる
円盤状石製品が250点見つかっている
 
周囲に建物は見受けられず
雄大な自然の中
岩木山とともに生きた
縄文人を想いロマンは尽きない
 
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史跡 亀ヶ岡石器時代遺跡

2022-06-28 | 旅行

国道12号線を走っていたら
大きな石像のモニュメントが飛び込んだ
小さな駐車場と立派なトイレ

その脇には
水が溜まった窪地にしだが生い茂り
説明板がある
 
遮光器土偶の『しやこ』に『ちゃん』
をつけて
しやこちやん広場の愛称は
おもしろい
 
 
この場所からあの
高さ34.5cm大きなメガネの
有名な大型遮光土偶が出土
(現在は東京国立博物館に収蔵展示)
したとは・・・
 
大規模な共同墓地だったと
看板には書いてあったが
捨て場で漆塗土器、遮光器土偶
石器、玉類など多数出土
この様な谷間の湿地地帯で
発見されたとは
他の縄文遺跡の風景とは
異なっている
 
縄文時代晩期(約2000〜2400年前)
東に張り出した台地には
共同墓地として
土坑墓か100基以上見つかって
そこからも土器、石器、土偶が
遺物として見つかっている
 
今は埋め戻され土坑墓も見られない
 
 
そこから歩って10分
隣接の田小屋野貝塚
縄文時代中期(約6000〜4000年前)と
併せ台地上に立地
温暖化に伴う海面上昇で湖沼域が
広がって
貝塚の出土がそれを証明していた
 
 
木造亀ヶ岡考古資料室に土器、石器、土偶、玉類が
多数展示
広範囲な遺跡群に
6000年の間営まれた
悠久の時を感じざるを得ない
 
 
 
 
 
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史跡 田子屋野貝塚

2022-06-24 | 旅行

蟹田から自動車ナビに
田小山野貝塚と入力したら不明と出て
地図を見て近くの木造駅を入力し
走っていて方角が違うなと
感じながらもナビを信じ
木造駅まで走った

そこから人に聴きながら
なんとか辿り着いたが
バイパスで20分で行けるところ
1時間も余計にかかった
 
縄文遺跡はまだ観光化されてなく
ナビにも組み込まれていない様だ
 
目当ての遺跡は
国道筋をちょっと外れた
段丘にあったが
発掘した後直ぐ埋め戻され
原っぱ化していた
 
 
岩木川が崖の下に流れている様だ
森に埋もれ
川自体見れなかった
 
 
資料館もなく
紀元前四千年前からの集落遺跡は
海にも面せず
日本海側の貝塚で
しじみが大半
イルカやクジラの骨出土したと
解説板があるが・・・
 
ベンケイガイの貝塚が多数出土
貝輪の製作が行われていたと・・・
 
原っぱは
タンポポの花が満開で
風に靡いて
縄文遺跡が
あったなどと解説板がなければ
想像もつかなかった
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史跡 大平山元遺跡

2022-06-21 | 旅行

世界遺産 大平山元遺跡が
津軽蟹田の近くにあると
聞いて民宿をとった

『津軽』で太宰治が蟹を食いながら
花見をしたことを書いていたが
その場所が蟹田
 
駅横の魚市場で
生きた蟹をゆで
食べさせてくれたおばさん
それが大変美味かったことを思い出し
その時以来の蟹田来訪
懐かしさもあって
魚市場へ行ってみたが
蟹は5月までと人も居なく
活気はなかった
 
 
昔ながらの蟹田の旅館は
おかみさん1人で
切り回しているらしく
食事は大変美味しく
コーヒー豆を土産にいただき
地方の温もりを感じた
 
翌日朝早く
ここから8km蟹田川に沿って
山側へ登ったところに
目指す史跡 大平山本遺跡がある
 
まず古い小学校を利用した
大山ふるさと資料館に行き
土器片を凝視する
 
 
 
分様が無い時代(15000千年前)の
土器片が見つかり
縄文時代初期で貴重な遺跡と・・・
 
石鏃、弓矢も出土し
蟹田川では今も石鏃の原石が
あるそうだ
 
 
内陸の河川で良く定住
できたと思ったが
鮭が遡上し猪や鹿、針葉樹の実が
食料だったと解説員が言っていた
 
その資料館から約100mほど離れた
段丘に発掘場所があり
埋め戻された裸地は
住宅街に囲こまれ場違いの様だった
 
説明板だけが
立てられていたが
昔、住宅が建っていたと・・・
 
 
土器片が住宅地から見つかり
住んでいた人々は他へ引っ越したが
村の大部分の人が
今も同じ苗字だそうだ
 
裸地に咲いた
タンポポが北風に揺れて
15000千年前の風とは
チョット異なっていた様な
気がしたが・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
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北の大地の風景

2022-05-29 | 旅行

残雪のチロロ岳それに続く日高連邦
その麓にのんびりと牛が放牧され
思い思いに草を喰む
まことにうららかな風景

 
一直線に伸びる暴風林
それをまたぐ直線道路
青々とした穀倉牧草地帯が
水平に広がる
これこそ北の大地
 
 
残雪のある白い日高の山並みと
穀倉地帯の対比が圧巻で
思わず自動車を停めて
雄大な景色を眺む
 
 
昔、日高連邦を夢中で登った
チロロ岳、芽室岳、剣岳、
エサヲマントッタベツ、幌尻岳の
頂を遠く眺め
当時の青春がよみがえったが
今は登山靴も下駄箱で埃まみれ
スニーカーで
ドライブに変わってしまったかと・・・
 
綿毛が舞った
 
 
 
 
 
 
 
 
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北海道縄文遺跡 北黄金貝塚

2022-05-27 | 旅行

狩猟漁猟採取型の生き方に共鳴して
伊達市に北黄金縄文遺跡を訪ねた

黄金貝塚の名称が気になって
砂金か何か出て
現代人が付けたと勘繰ったが
違った
 
北海道の場合大概アイヌ語から
来ているがここも
昆布の取れる川を
意味するアイヌ語で
オ・コンブ・ウシ、ベツに漢字を
当てはめた黄金藁が
黄金となったらしい
 
ここは約6千年前の縄文前期に
内浦湾を望む丘陵地に
定住が始まって
漁労を中心に
自然に負荷をかけず
心豊かな暮らしをしていた
 
 
北黄金貝塚情報センター
の展示を観て
堆積断面と採掘物
スリ石や人骨を目の当たりに
当時を偲ぶ
 
 
 
幅15m長さ60mの大きな
復元した貝塚をみて
貝塚の中に墓が作られて
人骨も見つかり
すべての生き物の墓地と捉えて
神聖な場所だったと・・・
 
 
鹿の角が外へ出て刺激的
大量の貝塚が
縄文人の年代長さを想像でき
悠久の生活に唖然とした
 
復元小屋内は広く中央に窯場があり
家族が囲んで団らんか・・・
 
 
縄文の森や水場にすり石等
当時そのものをみて散策
 
 
ピンクの桜草が際立っていた
 
 
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五稜郭のソメイヨシノ

2022-05-15 | 旅行

以前、
五稜郭に寄った時には
桜はまだ蕾の段階で
寒かったことを思い出した

今回、北方縄文遺跡の
垣の島遺跡の近くに
五稜郭があり桜の満開と聞いて
道内桜スポット二位を
見なくてはと行ってみた
 
近くなるにつれて車は渋滞
街並みは大勢の人で
ごった返し桜見物なのか
騒々しい
 
ソメイヨシノ、ヤエザクラと
桜の本数1600本
それが一斉に満開
素晴らしい
 
 
 
 
 
 
 
桜吹雪、満開、チョット早い葉桜と
郭内、城外に咲乱れる
その下でスマホぱちぱち
宴会は無し
 
西洋式城郭も桜が咲いて
一段と冴え
良かったね!
 
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縄文文化交流センターと垣の島遺跡

2022-05-11 | 旅行

朝早く起きたら函館地方は
風は強いが雲のない快晴
民宿の窓から山肌が
緑の新芽と赤紫の山桜に彩られ
春の息吹を自然に感じる

縄文文化交流センターは
国道278号に接する
野原の真っ只中に
コンクリート打ち放しの壁が
広く平屋でのびのびと建ち
縄文の悠久世界を表している様だ
 
9時の開館を待つ間
周囲を散策
 
 
津軽海峡が一望に遠く
津軽が 
海風が強い
北側には恵山が連なり
西側に垣の島川
センターの下部には
垣の島遺跡が・・・
 
 
入場一番で場内はひんやり
縄文時代の発掘品が
系統的に陳列され次第に縄文にはまる

特に漆製品は九千年前で
中国より古く世界最古との事

またヒスイは新潟糸魚川産で
本州との交易が
あった事を物語る
 
 
 
別室の部屋には
高さ41.5幅20.1の
国宝中宮土偶が
ガラスケースに入り
造形が現代的でもあり
しばらく縄文の世界に
タイムスリップ
 
 
外へ出て
縄文早期から実に6000年間の長期に
地域の拠点になった垣の島遺跡を
実感
 
国内最大級の長さ190m高さ2m以上の
盛り土遺構
コの字型に紀元前三千年から
二千年に積み上げ
儀式に使われたらしい
 
 
国道のバイパス工事が
きっかけで
発掘は今も続けられ
まだ発掘率2%と言う
 
周りの山々は針葉樹が4割ぐらい
当時はこの木はなく
落葉樹ばかりとの事
現代は針葉樹が山景色を変えていた
 
縄文時代の
木の文化、森の文化に
引き込まれた
巨大な垣の島遺跡でした
 
北海道、東北の北縄文文化を
一体化して
そのモチーフデザインが
素晴らしい
 
 
 
 
 
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世界遺産 大船遺跡

2022-05-07 | 旅行

海辺から急坂を登った所に
野原がひらける
その中央に聳える
竪穴住居の骨組が
濃霧の中たたずむ

 
誰も見わたらない中
ボランティアの人が
気の毒に思ってか
良かったら
説明しましょうと・・・
年配のおじさん
 
これ幸いとよろしくお願いすれば
どこからか4.5人集まり
歴史環境を話し始めた
 
穀物を砕いた切り石が無造作に
無数おいてある所から
舟形竪穴住居の前に案内
 
 
地中2mを超える
深く掘り下げた空間に
炉があり墓もあり
ここでの生活をるる説明
縄文の世界に引き込まれる
 
 
 
自然の中から必要に応じた
食料だけを調達する
狩猟採取型の生き方がこの環境で
よく理解できる
 
 
大規模集落跡、盛り土遺構
竪穴住居の復元、胡桃の木など
環境の再現が図られ
千年を超える歴史を物語る
 
古代人になったかの様な
錯覚を覚え
彼方の太平洋海原を眺めたが
もやに邪魔され
胡桃の木が寂しく揺れていた
 
 
 
 
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森町の縄文時代早期の遺跡群

2022-05-04 | 旅行

駒ヶ岳の太平洋側森町には
縄文時代早期、前期、中期、後期の
遺跡群が噴火湾沿いに
なんと52の遺跡が発掘され
いわば森町すべてが
遺跡の中と・・・

 
九千年前の早期の土器が多数
出土しているが
そのうちの一つ
駒ヶ岳1遺跡では約200個も
土器や石器が出土しているとか
 
 
その中の鷲の木遺跡は
高速道路のトンネル上に
環状列石があると聞き
現地には行けなかったので
代わりに
森町遺跡発掘調査事務所を訪ねた
 
住所氏名を記入した後
数々の遺跡群の地図
他資料、そしてご丁寧に
マスク、
濡れティッシュの入っている
立派な袋を森町教育委員会から頂き
隣室の資料部屋を観る
 
環状列石は模型でみたが
北海道最大規模の祭祀遺跡
直径35mのほぼ円形の配石で
外側に列石が二重に巡らし
いくつかの竪穴墓がある
 
 
その下に高速道路が貫通して
工事は遺跡への影響を
防いで行われたとか
 
駒ケ岳の噴火で火山灰が
1,200m積もり
10世紀の白頭山の火山灰もあり
その下に縄文時代が・・・
 
縄文時代後期前半(約四千年前)
て埋設土器が出土している
この一帯の祭祀を丸く囲んで・・・
 
ロマンですね
 
 
 
 
 
 
 
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北海道縄文遺跡 入江貝塚 高砂貝塚

2022-05-02 | 旅行
世界遺産に指定された
墓を伴う竪穴住居を観たく
入り江、高砂貝塚へ
出かけた
 
洞爺湖から新しくできた
トンネルを走ると噴火湾だ
そこから
入江 高砂貝塚は小高い丘で
近い
 
まず入り江高砂貝塚館で
情報を得て
広大な入り江貝塚を歩く
 
噴火湾に面し
狩猟に適している立地だなぁと
直感
 
 
貝塚、魚骨、動物骨、釣り針、すき
石器、土器等堆積した地層断面を見て
縄文時代前期末(約五千年前)から
千年以上もの間に形成され
長い時の流れを感じる
 
 
竪穴住居の骨格を再現して
地中深くの土間に
土葺きの屋根だったとか
防寒対策の為か・・・
 
 
そこから歩いて5分程度の高砂貝塚は
縄文時代後期(約四千年前)
墓 配石遺構がある
縄文後期(約二千五百年前)の貝塚に
ホタテ貝を敷き詰めていたが
生々しくチョット違和感があった
 
 
復元も無く看板説明だけで
アイヌの人達も暮らしていた
痕跡があるとか想像を巡らすしかない
 
噴火湾に面し
自給自足できる
広大な敷地に竪穴住居が
数多く見つかり
そこで何千年も
長々と生活できる集落を想像すると
平和だったんだなぁと・・・
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弥山ロープウェイ山頂の混雑

2021-12-15 | 旅行
天気も良いことから
日本三景を弥山の頂上から眺めて観たいと
厳島神社昇殿の後
紅葉を愛でながら
宮島ロープウエイ紅葉谷駅へ
喘ぎながらたどり着いた
 
 
渋滞した人々を
見上げながら並ぶこと30分
二つのロープウェイを乗り継ぎ
ようやく頂上まで着けば
ここも
足の踏み場も無い雑踏に閉口
その向こうに弥山頂上が
奇岩と共に見えていたが
そこまで行く人はごくわずか
 
 
厳島神社を上から望めるのは
弥山山頂まで行かなければと迷ったが
帰りのロープウェイ時間に
間に合無く断念
 
近くの巨石の頂上から
手すり内に順番を待ちやっと立った
 
 
眼下に厳島神社とは反対の
四国側の島々がくっきり見えて
風もなく穏やかな瀬戸内海は
風光明媚な日本三景と・・・
 
私的には富士の高嶺の見える
三保の松原の方が上だと・・・
 
それにしてもコロナ下なのに
人の混雑に驚き下りも並ぶ始末
無料バスも満席で・・・
 
表参道商店街(清盛通り)は
ごった返し大盛況
空腹を感じ名物宮島穴子めしを食す
 
 
外へ出れば
我がほっとけ農場では天敵の鹿が
餌を求めて人懐っこく近寄る
 
 
宮島は神の島なのか
不思議な感覚を覚え宮島を去った
 
 
 
 
 

 

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