6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

国立アイヌ民族博物館

2023-01-15 | 建築

白老から
交通標識に従い
国立民族博物館のある
ウポポイに立ち寄る

駐車場へ車を置いて
エントランスから歩くと
誘いの回廊が招き入れる
 
 
コンクリート打ち放しの衝立塀には
樹木の像を加工した異質空間が
屈折しながら続きここから入る
仕掛けが巧みである
 
そのトンネルを抜けると
歓迎の広場を通り
目指す国立アイヌ民族博物館が
大きな屋根に被さった下に
小さな入口が・・・
 
 
 
外壁に天然スレート粘板岩の板を使い
茅葺き屋根を模した塩害、火山灰に強いチタン鋼板が
覆い被さる
まことにチセハウスの
現代版だ
 
 
中は展示場で
陳列棚には数々の衣類、道具、祭具
の生活品や
歴史資料がシヨウケースと共にあり
所々ビデオで
アイヌ文化を紹介している
 
 
要は自然と共に暮らす
アイヌ先住民族の共生文化を
伝える博物館で見応えはある
 
 
ウポポイとはアイヌ語で
『大勢で歌うこと』だそうです
 
 
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一関藩沼田家の武家屋敷から芭蕉の宿った家まで

2022-10-11 | 建築

新幹線に乗る前にちょっと
時間があり
一ノ関駅前の観光案内所へ

一の関は芭蕉の宿泊地と曽良日記に
書いていたがそこは荒地で
何にもないとの事
でも行ってしまった

そこまで行く経路に
旧沼田家武家屋敷があった

私は上州沼田市の出身
沼田と聞けば何か関係があるかと
武家屋敷にも興味あり
立ち寄る事にした

平家のシンプルな茅葺の屋根と
それを支える独立柱が軒を深くして
陰影を創り
土壁と出入口や障子と
よくつり合った外観
そしてそれに絡むような小さな庭園に
知性が感じられ落ち着く
 
 
江戸後期創建当初の近い姿に
復元したとの事
静謐な空間でデザインが良いとは
こう言うことだなと・・・
 
 
土間、かまど、台所は広く
農民住宅を素地として
天井小屋裏の骨組みが武家の体裁を
整えた住宅だと
変に納得して
古民家の郷愁が心地良かったが
冬は寒かろうと・・・
 
 
 
沼田家は
元は伊達藩から来た
石高90石取り前後の侍で後に
一ノ関藩の家老職となり
家老職就任以前の住宅だそうだ
 
上州沼田とは関係が無さそうだと
ボランティアの人が言っていた
沼田姓は全国何処にもあるんだ
北海道にも沼田町があるし・・・
 
そこから芭蕉宿泊地まで歩いて5分
記念碑も無く荒地で
今や大きな堤防と
国道が川を横切って
多くの自動車が行き来していた
 
芭蕉と曽良は
石巻から草木の生える
野の小道 奥の細道 
を何度も間違えながら
一ノ関の堤のそばの小さな家に
黄昏時に着き
翌朝平泉に向かって
旅立ったと曾良の日記にあるが・・・
 
当時は寒村で
一通過点に過ぎなかったようだ
 
 
 
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さみしい旧余市福原漁場

2021-05-02 | 建築

明治の日本海沿岸はニシン漁に沸き
昭和30年代まで余市も
番屋や蔵など建ち並び
大変な賑わいだったそうだ

なかにし礼作詞 北原ミレイの歌
石狩挽歌 
を口ずさみながら
これだなと・・・
 
旧余市福原漁場はニシン定置網漁を
家族で経営していた福原家が
当時の漁場の様子を伝える
大規模な
明治の建物群がそこにある
 
以前も見にきたが生憎閉館で
今日もまたもや閉館
多分コロナ禍では三密回避かと・・・
 
天気が良く桜もチラホラ
周囲の建物だけでもと
外回りを散策
当時のニシン漁場は
湧いて湧いてたまらなかったろう
 
番屋の隅で飯炊女が
炊いていた様が浮かぶ
 
土倉(事務館)の建物は
通りに面して
窓が豪華絢爛立派で豪壮な家
 
広い敷地内には
主家、文書庫、石蔵、網倉、米味噌倉
ニシンの干場
など機能的に配置して
スケールは大きい
 
 
今は整備され過ぎ
魚網など無く
当然のことながら生活臭がない
 
晴れても海風が寒く
今日に至っては人っ子一人居らず
死に体で淋しかった
 
海辺にはもちろん
海猫(ごめ)も泣いてなく
ニシンは何処へ行ったやら
オンボロロ ボロロ・・・
 
 
 
 
 
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旧下ヨイチ運上家の格式

2020-11-26 | 建築

国指定重要文化財
江戸時代に交易を請け負った
旧下ヨイチ運上家(や)を
余市に訪ねた

何故漢字で余市と書かず
ヨイチと書くのか?
当時はアイヌ人が主で
和人は少なかったのでは
と考えたが・・・
 
そして何故旧下と?
余市川を挟んで上と下に
運上家があって
この様な家は
全盛期では道内に85ヶ所あったと
 
旧下ヨイチ運上家は
間口40m奥行16m建築面積540平米(164坪)
寛永6年(1853)に改築し
当時の図面をもとに復元
木造平家建て
一部中二階の大きな建物
 
 
 
松前藩は経済的基盤が農業でない為
蝦夷地の砂金、木材、
アイヌ交易で得た収益、
商人が運上金を払って
漁業を行う
その番屋からの収益が
松前藩の立ち位置だ
 
建物正面入口右側に出先役所
左側が番屋で番屋入口は左端にある
家屋は一体化してはいるが
右側の役所部分は上段に位置して
畳式だ
 
 
 
 
番屋部分は大きな炉を中心として
炊事場、台所、酒蔵、
吹き抜け部分には
漁師の寝所が2階部分にある
 
天井が高く内部空間は広い
柱や梁は太く
豪壮な造りに驚く
 
 
 
当然とは言え
今様の新建材など無く
耐久性のある本物の建築が
時と共に美しくなり
本当に心安まる
 
こう言う建物を観ると
今の建築は
安く軽く100年も持たない薄っぺら
建築と思えて仕方ない

既存の建物を活かして
建物を建て替えるとか
使用する人と向き合い
使い捨ての美徳はやめて欲しい

地球環境的にもったいない事を
現代はしているなとつくづく思う
 
 
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釧路市立博物館から連想する釧路

2020-08-12 | 建築

建築設計を業としてた者には
毛綱毅曠設計のこの博物館は

幣舞橋護岸のMOOと同じ設計者で

ユニークな形態に興味がある

極寒地のオホーツク文化も
知りたいし
釧路に来たついでに
良い機会と・・・
 
 
博物館は
タンチョウ鶴の両翼形をイメージして
設計した様だが個人的には
形が複雑で過酷な気象条件に
凍害などで
むりがある様な気がする
 
館内は
展示物がはみ出している様な
窮屈感で立体展示している
 
 
中央の階段は各階から自然に
行ける様4階まで誘導している
屋上から春採湖を
望みたかったが
外には出られなかった
 
釧路は思い出多き街
それを忍ぶため
釧路駅から幣舞橋をわたり
アップダウンを歩って
博物館まで30分
 
あたりは
あちこちに空き地や空き家が
通りに面して歯抜け状態
ここも高齢化と若者流失
人口が激減して
衰退の一途と肌で感じた
 
炭鉱の街釧路のイメージは無く
漁獲量も少なくなり
あの繁栄していた街は
過疎の町に変貌した様だ
 
駅前の空き地に咲いた
月見草とすすき?が
寂しく咲いて風になびいていた
 
 
 
 
 
 
 


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我が団地付近の住宅ウォッチ

2020-03-17 | 建築

30代に転勤で
千歳から札幌へ向かう
車窓から見た住宅は
平なカラー鉄板葺屋根が
なぜか単調だなぁと
第一印象に思った

これは落雪により
積雪の堆積場所を取るので
屋根に積もらせておく
都市部の風景かと・・・
 
本州で見かける
瓦葺切妻屋根がなくなり
住宅が箱型になって
表情がなくなるようだ
 無落雪工法の結果である
 
借金で建てた我が家も敷地が狭く
落雪を考えるとフラットルーフに
せざるを得なく
表情をつけるのにどうしようかと
土地選びから始め
敷地に変化がある傾斜地を選び
窓の形態や外壁の材料を
検討した経緯がある
 
 
数十年住んだ家で
愛着もあるが
敷地が狭く窮屈だ
ましてや
新型コロナウイルスのため
外出できず息が詰まりそうだ
 
これでは筋力が衰えると
散歩がてら藻岩山の傾斜地住宅を
カメラを持って
ウオッチした結果驚いた
 
 
新しい住宅があちこち建ち
単調なフラットルーフが見られず
しかも住んでいる人の生活が
その形から想像でき
明らかに建築士が関与してるなと・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私も建築士の端くれで
及ばずながら豊かな空間造りに
貢献しようと若いころ励んだ者だが
これらの斬新な住宅を観ると
今の若い人達は
頑張っているなぁと・・・
 
建主も昭和から平成へと
考え方住まい方が変わり
建築士も
街並みの景観も考えながら
住む人本位で
プランを模索し
住む人の生き様がわかるようで
嬉しくなった
 
アーキテクト万歳
 
 
 
 
 
 
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明治13年建築の清華亭

2018-12-17 | 建築

明治政府は
明治5年に全国各地に公園を造る
命令を出したが
その1年前に出来ていた偕楽園
日本で最初の計画的公園と・・・

明治14年明治天皇が
北海道の開拓の様子を
視察に来られる事になり
休憩する場所として造られ
黒田清隆が 「水木清華亭」 と名付けた
そうだ



洋風建築シンボルの棟飾り
玄関入口上部に
十字架と北極星の掘り込み
そして出窓
外壁は下見板張り



内部は約16畳の広さの洋間
伝統的な書院造りの15畳間
建築材料はトドマツ、ヤチダモ、セン等の道産材
そして基礎は札幌軟石









和洋折衷の貴賓接待場として
当時としては新しい建物で
平面は機能的で
窓が大きく寒かったろうなぁ

明治初期の建物で
寒い中、暖炉も燃えてなく
そのひと時を過ごしたが
今は厳冬期
人が訪れている気配はない

札幌市の有形文化財に
指定されている

天皇陛下がここで休まれた
ありし日のロマンが偲ばれる

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偕楽園の好文亭

2017-03-24 | 建築
水戸藩の第9代藩主
徳川斉昭公の別邸
藩内の人々と楽しむ場として
建てた質素な二層三階のこけら葺き
奥御殿は茅葺で瀟洒な調和のとれた
素朴な建物です







学問を好むと言う事で
好文亭と名付けられ
ここでは心身を保養すると言う
斉昭公の想いで命名されたとか





配膳室
手動ダムウエーター
回転雨戸
辞書替わりの襖等々
創意工夫があり機能的なプランです





二階東西塗縁は総板貼りで
見事な庭園を通しての景観は素晴らしい
更に
最上階楽寿楼の縁側から
はるか筑波山を観ての
広大な展望は
わっと!声が出てしまう絶景で
その環境を意のままに
建物に取り込んでいます



まさに建築が環境と合致して
一流建築家と言われても
おかしくない素晴らしい殿様と・・・



センスのある殿様だったんだなぁ。
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松代藩 文武学校の佇まい

2016-05-01 | 建築
真田藩主の幕末期八代、九代目が
文芸、武芸を習う学校として
開校したそうです



この建物施設群を通じて
武士道の忠、義、誠、信、礼、の
世界を
垣間見たような
空気感が時代を超えて
満ち満ちています





これならロケ地として
利用されるのもと
納得しました

自分も侍になった気分になり
不思議な経験をしました

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上田の鎌倉 安楽寺八角三重塔、常楽寺石塔七重塔

2016-04-25 | 建築

田園織りなす風景の中
しなの鉄道の電車が走る
上田の鎌倉と言われた
別所温泉へ向かった

ゆっくり散策しながら
道幅の狭い山あいのさか道を登り
長い急階段を登れば
そこは安楽寺境内



さらに裏手の階段を登り
墓所の傍らに建つ



4つの屋根で四重塔に見えるが
一階は裳階がついているので三重塔
所々補修が加えられて
鎌倉時代の唐様形式
国宝 八角三重塔である



そこから境内を降りて
しばらく行き登ると
温もりを感じる茅葺の常楽寺



境内裏手の山中を
しばらく行くと
杉林に囲まれた
石塔七重塔が苔むしていた

これまた鎌倉時代の
石塔としては珍しい
七重塔だそうだ



時代物はそれ自体感銘を受け
先人の技術力に唯々脱帽です

帰路 桜吹雪が舞い散る坂道を下る



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浦上天主堂の歴史

2016-03-23 | 建築
浦上は長崎の北に位置し
江戸時代異教禁制の隠れキリシタン摘発の土地であった

明治28年ようやく石と煉瓦により建立
大正14年赤煉瓦造りの浦上天主堂が完成
昭和20年原爆被災で破壊消失
信徒も8500人が爆死
もし被爆したままの姿が残っていれば・・・・・

想わず広島の原爆ドームが頭をよぎった

誰もいない早朝
階段を喘ぎながら上り
掃除のおばさんに挨拶をし
そっと礼拝をすませた

今の浦上天主堂
は鉄骨コンクリート造で再建されたが・・・・・





窓はすべてステンドグラス
その厳かな光が
美しく空間を包んでいた




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龍安寺に想う

2015-12-19 | 建築
仁和寺から衣笠山の麓を
大急ぎで歩き
夕陽の射す龍安寺にたどり着いた



有名な枯山水は何度もみているが
象徴化されたそれは
とてもモダンとしか・・・・・



うす茶塀の色合いは
風雪に耐えた
何とも言えぬ味わいがあるが・・・・・



方丈の裏手に据えてある
水戸光圀寄進のつくばいに
銭型彫りで 中心の口を合わせ「吾唯足知」と謎解き



なにやらわかったような
わからぬような
禅寺

枯山水塀の裏側から
納骨堂、鏡容池への散策路は
観光客もいなく
落ち葉を踏みしめながら
ゆっくりと堪能
静かで
沼と紅葉の調和にうっとり・・・・・















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札幌農学校第二農場(重要文化財)

2015-10-25 | 建築
数十年前
札幌農学校第二農場施設(重要文化財)を見て
洋風木造建築の外装デザインが
のびのびと北海道らしく
シンプルで
好印象を受けた


産室 追込所および耕馬舎

札幌軟石を使った釜場

地元産煉瓦の製乳所


それを懐かしく思い
久しぶりに行ってみたが
やはり感激
カーブの装飾物が単調さを救い
建築材(木材、札幌軟石、煉瓦)すべてが
時代を超えて、今も生き生きと

耕馬舎と牧牛舎等は 明治初期の木造建築のため
今は 内部に鉄骨補強が
施してあったが・・・・・

現代建築は50年持つかなぁ
いやIT時代だからしようがないかぁ
軽佻浮薄の兆候
なんか変だねぇ

耕馬舎と牧牛舎・サイロ

耕馬舎の壁面

牧牛舎

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老朽化目立つ野幌100年記念塔

2015-10-16 | 建築

野幌100年記念塔
野幌平野に聳える北海道らしいタワーで
藻岩山からも凛とした姿で見られる
地域のランドマークです

内部の階段を昇れば札幌、江別、石狩平野が一望でき
楽しめたのですが・・・・・



建築後45年も経ち
今は安全上立ち入り禁止です

鉄骨トラス構造25階建て100mの高さ
外皮はコールテン鋼と言って
錆びてそれが表面となる
耐候性高張鋼板を使っています

1970年当時
無塗装でメンテナンスが不必要
自然観を生み出す材料として
使ってみたいなぁと
いつも思っていましたが
高価で・・・・・

45年も経つと老朽化が避けられないようで・・・・・







設計コンペで見事一等賞に輝いたこのタワーも
この先どうなるのでしょう
建築が大好きな者としては
錆び色が自然にマッチして
残しておきたい文化遺産だと思うのですが・・・・・


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小平の鰊御殿 花田家番屋(重要文化財)

2015-09-16 | 建築
数十年前
北海道に転勤して
まだ若かったころ
日本海側の一本道を
ドライブしていたら

国道沿いに
大漁旗を
はためかせ


浜に一軒だけ
寄棟造の巨大建物が
日本海の潮風にさらされ
変色して建っていた


小平の鰊番屋

右に漁夫の間
左に親方の住宅部と
機能的、合理的な平面
木組みは豪壮で空間は雄大



設計者として
ダイナミックな空間に
感激したことを
思い出す

その建築
今回
またも刺激を

豪壮な小屋組みの上に
明り取り
かつ排煙機能

囲炉裏の煙に
一条の光があたり
その豊かな空間に
ヤン衆の笑い声が
今も聞こえるようだ



道の駅が併設され
全体の風景を壊さない配慮が・・・・・
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