琵琶湖沿岸に近く
あの安土城跡の裏と言うか奥に
日本100名城
山城の観音寺城跡は位置する
交通の便悪く行ったとしても
史跡はちょっとした石垣のみ?
先に行った大阪の千早城のようでは
ないかと
二の足を踏んでいた
この付近に
石山寺があることを知って
どちらにしようか迷って
ホテルで
地図とにらめっこだが・・・
建築史を学んでいた若い頃
石山寺 多宝塔写真の
二層目の白い漆喰壁が
強く印象に残っていて
なんと均整の取れた
美しい塔なんだろうと・・・
芭蕉も奥の細道の那谷寺で一句
石山の石より白し秋の風
と読んでいたが、
石山寺と関係あるのかないのか
もちろん秋風の澄み切った
吹き渡る風のことだと思うが
石山寺が気になって・・・
いつかこの寺を訪れてみたいと
思っていたがその機会もなく
今日に至って・・・
芭蕉もこの寺を
訪れているし
紫式部も源氏物語を
ここで着想したし
枕草子の清少納言も
和泉式部、島崎藤村
錚々たる面々が・・・
是非行かなくてはと
心はすでに石山寺優先となり
電車で乗換えも無い
石山寺駅へ直行していた
終点の石山寺駅下車
琵琶湖から流れる
瀬田川のほとりを歩いて15分
豪壮な鎌倉時代の様式らしい東大門が
招いてくれた
境内の石畳を進み本堂を見て
起伏のある中腹に差し掛かると
感銘を受けた多宝塔が鎮座していた
下階が方形、上階が円形の上に
深い庇の屋根をかぶせ
上下左右均整のとれた姿を見せて・・・
塔内には鎌倉時代の大日如来像が
厳かに安置されて
建久五年(1194)に
源頼朝より寄進された塔は
建築的な発想が素晴らしく
当時の斬新性に頭が下がる
山全体が珪灰石で
それがいわれとなり石山寺と
名付けられたようだが
芭蕉はこの石を見て
石山の石より白し秋の風
と言ったのかどうか?
大杉は樹齢350年 幹周4.3m 樹高30mともかくでかい
元気をもらう
東大門、本堂、多宝塔、月見亭、鐘楼、
心教堂、等々
ゆっくり鑑賞して
紅葉の季節ならもっと
清々しい気持ちになったのではと・・・
観音寺城跡には申し訳ないが
石山寺へ来て正解だったと
つくづく思った
あの安土城跡の裏と言うか奥に
日本100名城
山城の観音寺城跡は位置する
交通の便悪く行ったとしても
史跡はちょっとした石垣のみ?
先に行った大阪の千早城のようでは
ないかと
二の足を踏んでいた
この付近に
石山寺があることを知って
どちらにしようか迷って
ホテルで
地図とにらめっこだが・・・
建築史を学んでいた若い頃
石山寺 多宝塔写真の
二層目の白い漆喰壁が
強く印象に残っていて
なんと均整の取れた
美しい塔なんだろうと・・・
芭蕉も奥の細道の那谷寺で一句
石山の石より白し秋の風
と読んでいたが、
石山寺と関係あるのかないのか
もちろん秋風の澄み切った
吹き渡る風のことだと思うが
石山寺が気になって・・・
いつかこの寺を訪れてみたいと
思っていたがその機会もなく
今日に至って・・・
芭蕉もこの寺を
訪れているし
紫式部も源氏物語を
ここで着想したし
枕草子の清少納言も
和泉式部、島崎藤村
錚々たる面々が・・・
是非行かなくてはと
心はすでに石山寺優先となり
電車で乗換えも無い
石山寺駅へ直行していた
終点の石山寺駅下車
琵琶湖から流れる
瀬田川のほとりを歩いて15分
豪壮な鎌倉時代の様式らしい東大門が
招いてくれた
境内の石畳を進み本堂を見て
起伏のある中腹に差し掛かると
感銘を受けた多宝塔が鎮座していた
下階が方形、上階が円形の上に
深い庇の屋根をかぶせ
上下左右均整のとれた姿を見せて・・・
塔内には鎌倉時代の大日如来像が
厳かに安置されて
建久五年(1194)に
源頼朝より寄進された塔は
建築的な発想が素晴らしく
当時の斬新性に頭が下がる
山全体が珪灰石で
それがいわれとなり石山寺と
名付けられたようだが
芭蕉はこの石を見て
石山の石より白し秋の風
と言ったのかどうか?
大杉は樹齢350年 幹周4.3m 樹高30mともかくでかい
元気をもらう
東大門、本堂、多宝塔、月見亭、鐘楼、
心教堂、等々
ゆっくり鑑賞して
紅葉の季節ならもっと
清々しい気持ちになったのではと・・・
観音寺城跡には申し訳ないが
石山寺へ来て正解だったと
つくづく思った