フェリーで北海道へ帰るため敦賀へ
昔はシベリア鉄道経由でヨーロッパまで行く玄関口で賑わって
駅の名称も「金ケ埼」
今は「旧敦賀港駅舎」として半分残っているだけ
街も寂れ、バスの運行も年々少なくなっているそうだ
その先に小高い岸壁が海に突き出ているが
浅井、朝倉に攻められ秀吉がしんがりを務め信長を逃がした
有名な金ケ埼崩れと言われている所だ
その金ケ埼城跡は
海に面した絶壁と三方の尾根を上手く活用した天然城で
これなら秀吉も手負い少なく防戦できただろうと想像したが
今は階段を登りハイキングコースとなり名跡盤があるだけで哀れである
一方敦賀は奥の細道で芭蕉が足跡を残し
「敦賀気比神社」や「色が浜」等句碑が多く残る
月を詠んだ句が多いが
生憎天候が悪く名月を拝めなかった
「浪の間や小貝にまじる萩の塵」
の豆粒ほどの小貝は
「色が浜」で拾ったが
こんな可愛らしい貝を芭蕉が詠むなんて
芭蕉は優しい
色が浜の海岸
気比の松林
気比神社の長命水
昔はシベリア鉄道経由でヨーロッパまで行く玄関口で賑わって
駅の名称も「金ケ埼」
今は「旧敦賀港駅舎」として半分残っているだけ
街も寂れ、バスの運行も年々少なくなっているそうだ
その先に小高い岸壁が海に突き出ているが
浅井、朝倉に攻められ秀吉がしんがりを務め信長を逃がした
有名な金ケ埼崩れと言われている所だ
その金ケ埼城跡は
海に面した絶壁と三方の尾根を上手く活用した天然城で
これなら秀吉も手負い少なく防戦できただろうと想像したが
今は階段を登りハイキングコースとなり名跡盤があるだけで哀れである
一方敦賀は奥の細道で芭蕉が足跡を残し
「敦賀気比神社」や「色が浜」等句碑が多く残る
月を詠んだ句が多いが
生憎天候が悪く名月を拝めなかった
「浪の間や小貝にまじる萩の塵」
の豆粒ほどの小貝は
「色が浜」で拾ったが
こんな可愛らしい貝を芭蕉が詠むなんて
芭蕉は優しい
色が浜の海岸
気比の松林
気比神社の長命水