維新以後再建した城は
大部分コンクリート造で木造は
掛川城と愛媛の大洲城だけと聞いて
興味がわき
日本100名城の一つでもあり
出かけました
掛川駅より天守閣が聳え
それを目印に歩き
川のほとりにたどり着き
ちょうどピンクの掛川桜が咲いて
合間に
白い漆喰壁の貴族的な天守閣が
チラリと・・・・
大地震で2度倒壊し
安政東海地震以後は
再建されず
平成になって木造で再建し
掛川市民の熱意と努力に
頭が下がります
三層の天守閣は檜の香りがして
木造空間の温もりを感じますが
梁など現代金物で補強して
ちょっと違和感があります
急階段が中央に構えて
周りは狭く
物見櫓だけの機能で
むしろ外からの
シンボリックな形態に
重きがあったのでは?
家康が今川氏より掛川の合戦で勝利
秀吉が家康を関東に移し
山内一豊が近代城郭として
天守台をつくり整備したそうです
天守閣の足下に
20部屋もある書院造り
下見板漆喰塗りの
広大な二の丸掛川城御殿
そこで藩の公的対面、儀式、政務が
行われていましたが
これも安政東海地震で倒壊
江戸時代後期に再建されたものが
現代まで残され
国の重要文化財になっています
よく見られる豪華な襖や壁、天正
でなく多分震災で予算が無く
造ったのでしようか
お殿様の御殿らしくない
サラッとシンプルな
落ち着く
私好みの建築でした
当時は侍町が広がり
東海道が通っていたが
今はお堀は道路になり
城跡にグランドや庁舎が建設されて
都会のど真ん中と化しました
いつまでもお城は
昔のままという訳には
いかないものですね
大部分コンクリート造で木造は
掛川城と愛媛の大洲城だけと聞いて
興味がわき
日本100名城の一つでもあり
出かけました
掛川駅より天守閣が聳え
それを目印に歩き
川のほとりにたどり着き
ちょうどピンクの掛川桜が咲いて
合間に
白い漆喰壁の貴族的な天守閣が
チラリと・・・・
大地震で2度倒壊し
安政東海地震以後は
再建されず
平成になって木造で再建し
掛川市民の熱意と努力に
頭が下がります
三層の天守閣は檜の香りがして
木造空間の温もりを感じますが
梁など現代金物で補強して
ちょっと違和感があります
急階段が中央に構えて
周りは狭く
物見櫓だけの機能で
むしろ外からの
シンボリックな形態に
重きがあったのでは?
家康が今川氏より掛川の合戦で勝利
秀吉が家康を関東に移し
山内一豊が近代城郭として
天守台をつくり整備したそうです
天守閣の足下に
20部屋もある書院造り
下見板漆喰塗りの
広大な二の丸掛川城御殿
そこで藩の公的対面、儀式、政務が
行われていましたが
これも安政東海地震で倒壊
江戸時代後期に再建されたものが
現代まで残され
国の重要文化財になっています
よく見られる豪華な襖や壁、天正
でなく多分震災で予算が無く
造ったのでしようか
お殿様の御殿らしくない
サラッとシンプルな
落ち着く
私好みの建築でした
当時は侍町が広がり
東海道が通っていたが
今はお堀は道路になり
城跡にグランドや庁舎が建設されて
都会のど真ん中と化しました
いつまでもお城は
昔のままという訳には
いかないものですね