読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。
【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?
【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。
*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。
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斎藤茂吉のごく短い随筆に「千樫と憲吉」(タイトルは違うかも知れない)というのがあります。アララギの一般会員から寄せられた選歌を、茂吉・赤彦・憲吉・千樫が手分けして行っていた頃の事。憲吉と千樫が、いつも期限までにやらないでいる。それで2人の分も茂吉と赤彦がやらされる羽目になります。茂吉は怒って言います。
天才肌の千樫は、最初から(一般会員の選歌など)やる気がない。やらないのは確信犯的行為だと言います。対して憲吉は、茂吉らと飲みに行く時も、風呂敷包に会員の投稿歌をぎっしり詰めて持ってきて、
やろうとする姿勢だけは充分に示している。けれど、結局はやらない。経緯は異なっても、両者ともやらないことは同じ、困ったものだ、と言います。
憲吉の姿勢は(ずるいと言えばずるいのですが)やろうとする意思だけは感じ取れる。置かれた状況次第では、近い将来の見込みはある。しかし、千樫に関しては、根本的なところでポリシーが異なる。問題は深刻です。
ジョージとチエちゃんは、いわば千樫と憲吉なんですね。
チエちゃん(または憲吉)は、単なる“ぐうたら”。良くも悪くも素直、一生懸命で出鱈目(笑)。回りは迷惑を被るけれど、大した被害ではない。もう、しょうがないなぁ~、で、ほっときゃいい。そのうち何とかなるでしょう。
ジョージ(または千樫)は、価値観に沿った意思としての否定です。という表現をするとカッコ良いのだけれど、いわゆる自己中、わがまま、それも外部からは動かし難い確たるポリシーに基づくので、変革を促すのは難しい。
結局、千樫は釈超空(折口信夫)を伴ってアララギと袂を分かち、敵方(晶子とか白秋とか啄木とか)の陣営に移ります。
憲吉は、終生アララギに留まり、赤彦、茂吉と共に活動を続けます。3人の年齢バランスが良いですね。赤彦‐茂吉‐憲吉が、それぞれ6~7歳差。
赤彦と憲吉は早世しましたが、茂吉は長生きします。更に長寿を得たのが、アララギの中心的メンバーとしては最年少の文明です。後年は茂吉と共に、実質リーダーとしてアララギを牽引します(野草に対しての造詣が極めて深く、一度会って話したかったです)。
その文明が最晩年に爆弾発言?をしています。
茂吉がアララギを象徴する大歌人であることは、誰しも認めることです。しかし文明は、このように言います(意訳)。
>もし、茂吉が我々の陣営(子規・佐千夫・節・赤彦・茂吉・憲吉等々)ではなく、向こうの陣営(直文・鉄幹・晶子・白秋・啄木等々)にいたならば(規律・基本・写生ではなく、奔放・先進・感性に基づいて作歌活動を行っていたならば)、さらにスケールの大きな存在になっていたと思う。
非常に納得するのですが、同時に、いや、そうではない(文明もそれが分かっての発言だと思う)と、断言も出来る。縛られている部分こそがアドバンテージになって、より大きな仕事を成し得たのだと思うのです。
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そんなことを考えながら、昨日から本住居となったアパートの部屋から往復3時間かけて、マクドナルドにWi-Fiの電波を拾いに行きました。
保護金が下りるのは10月12日、まだ10日あります。何人かの方々に、非常識極まりないお願いを繰り返して、幾許かの金子を借用しました。
その入金分の2/3ほどが、入金されるたびに、消えていく(口座から引き出されてしまう)。心当たりがあります。そのシステムとかについてはよく理解してないのだけれど、先月以来、この口座とは別のカード(クレカ?)に連接して使えるように設定されている様なのです。それで入金があるたびに使われてしまっている(あるいはクレカの引き落とし?に当てられている?)。
何度振り込まれても、僕の口座には数100円しか残らない。ということで、あと10日間余、250円で過ごさなくてはならないのです。改めて誰かに救済を求めねばならない。(ダメモトを承知で)メール送信を試みるため、Wi-Fiが使える場所まで、3時間歩いて往復します。
ちょうど半分歩いたJR新飯塚駅前のバス停近くで財布(定期入れ)を拾いました。カードと現金1000円が入っています(高校生のだと思う)。
しめしめ、この1000円あれば、急を凌げる、、、とは、もちろん思はないですね。駅前の交番に届けました。
「落とし主が見つかればお礼はいるか」
「そんなの要りません」
「じゃ帰ってよし」
なんか態度が上から目線でカチンときます。
「一応(落とし主が)見つかったかどうかは知らせて欲しいですね」
「それでは書類を作成する、まず電話番号」
「電話持ってません」
チエちゃんやジョージが警察に腹を立てるのが、実によくわかります。そこらへんは、僕もジョージも同じだと思うのです。理不尽な権力には服従しない。
でもね、、、、。
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新飯塚駅やバスターミナルを挟んで、旧市街の東西に国道バイパスがあります。一方が僕のアパートの近く、別の一方がマクドの前を通っています。繁栄しているのは町中ではなく、それらバイパス沿いで、大型ショッピングモールや飲食店が立ち並んでいます。歩いて来る人はほぼ皆無、みな車利用です。
一方、町の中心部にある商店街は、典型的な“シャッター街”です。まさに幽霊が出てきそうな「廃墟」に近い様相。歩いてみました。入口からは「シャッター街」に見えるのだけれど、幾つかの店舗が開いています。雑貨屋・衣料店・八百屋・飲食店・銀行、、、。
ほとんど人通りがなく、時間が止まっているような錯覚を覚えます。静かな、あたたかな佇まい。その商店街の中ほどで、思わぬモニュメントに遭遇しました。鴎外の石碑です。小倉に赴任中、二日間だけ飯塚に滞在した由、小倉日記のその日の記述の抜粋が石碑に刻まれています。時間のカプセル。
鴎外は60歳、漱石は50歳直前で逝去しています。写真などでは、実年齢より遥かに老成して見えます。今と比べて1.5掛け、感覚的には60=90歳、50=75歳。
鴎外の死因は、当初「腎萎縮」と発表された由ですが、その後「肺結核」と修正され、現在ではこちらの見解が主流となっています。でも(なんの根拠もないのですが)、やはり「腎萎縮」だったのではないか、と僕は思っています。
そして(突拍子もないことを言いますが)鴎外は殺されたのではないか。少しづつ薬品を盛られたりして、結果として、国家によって。
鴎外は(権力側と大衆側の)「2重スパイ」であった、という説があります。2重スパイとは穏やかならざる表現ですが、視点を変えてみれば、そんなに特殊な事でもない(多かれ少なかれ我々皆そうなんです)。問題は、鴎外ほどの影響力を持った人間が、ということにあります。
鴎外は常に爆弾を抱えています。でも実行はしない。一言で言えば、“ヘタレ”なんですね。
大逆事件に対する漱石や鴎外の姿勢には、非常に興味深いものを感じます(漱石もヘタレですが、隠れ蓑に逃れつつ、それでも結構ストレートに拒絶・反抗の意思表現はしている)。
そこに行くと鴎外はヘタレもヘタレ。隠れ蓑(それも権力の用意した強靭な)にすっぽり籠ったまま、爆弾を隠し持っている(それを小出しにしている)。
権力の頂点に上り詰めたエリート中のエリートで、むろん僕とは対極の存在です。
僕は、鴎外は「三流作家」だと見做しているし、人間としても最低だと思っています。
でも何故か好きなんですね。
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茂吉(斎藤茂吉1882-1853)
千樫(古泉千樫1886‐1827)
憲吉(中村憲吉1889‐1934)
赤彦(島木赤彦1876‐1926)
超空(釈超空/折口信夫1887-1953)
晶子(与謝野晶子1878-1942)
白秋(北原白秋1885-1942)
文明(土屋文明1890-1990)
子規(正岡子規1867-1902)
佐千夫(伊藤佐千夫1864-1913)
節(長塚節1879-1915)
直文(落合直文1861-1903)
鉄幹(与謝野鉄幹1873-1935)
啄木(石川啄木1886-1912)
漱石(夏目漱石1867-1916)
鴎外(森鴎外1862-1922)