青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

日本・人類・地球の未来に対する危惧についての断片的考察①

2024-10-13 20:43:06 | アメリカン・ポップスearly60’s
三世から何の脈絡もなく唐突にこんなメールが来ました
>ジョニー・ティロットソンの曲はハッピーだから日本から消されたんですか?
タイはハッピーが好きなのでまだ残ってるんですか?
先進国はハッピーを失っていますね。変態だらけです。
 
僕の返信
>>まさにその通りです!
非常に大きな意味を持っています。
現在の世界情勢(様々な地域での紛争・戦争)にも繋がります。
ビートルズが世界(特に日本)を滅茶苦茶にしてしまったのです。
 
このあと、
●日本人の起源に関するプロパガンダに対しての危惧
●屋久島と奄美大島の相関性から探る東アジアの本質
●ドジャースWヘルナンデスと逆差別としての人種問題
●ノーベル平和賞と人類の決断~銃・車・エアコンとの決別
等々について僕の考えを記していく予定でいるのですが、上記の問いかけへの答えとして、以前に自主刊行した次の作品から、その一部を抄出再録しておきます(各●と根本的な部分で繋がっている)。
 
「涙くんさよなら」の謎/ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
~消し去られた1960年代初頭のアメリカン・ポップス史~(2016年刊行)
Beatles出現直前、60年代初頭のPopスター達の華々しい活躍は、なぜロックの歴史から、完全に抹殺されてしまったのか?
『英語が出来ない』『音楽の知識が全くない』『アメリカの歴史も社会もわからない』著者が、無謀にも挑んだ、こだわりの「アメリカン・ポップス史」。
『世界遺産の森 屋久島~大和と琉球と大陸の狭間で』に続く“狭間”シリーズ第2弾!
 
第1章 
“キューティ・パイ” “涙くんさよなら”、、、、ジョニー・テイロットソンを覚えていますか?
第1部【1964年1月4日付けのBillboard誌Hot100ランキングから】
第2部【謎の入口】
第3部【ElvisとBeatlesの狭間で】
第4部【消し去られた1960年代初頭の主役たち】
第5部【2つの対極の概念】
 
以下、第5部の前半を再録
 
この当時の音楽(「Golden age of American pops」)およびそのバックボーンとなった時代的背景と、現代社会との関連性を見事に表現しているのが、ここに紹介する、内田樹氏の「可傷性と鼻声」です。その前に、対極にある意見(おそらく現在のロック音楽に対する定説的な見解)としての、川崎大助氏による「キャンペーンソング無くして大統領選なし」を紹介しておきます。
 
川崎大助『アメリカの大統領戦を10倍楽しむ~キャンペーンソングなくして大統領選なし』(部分抜粋)「現代ビジネス」2016年4月4日。
 
>なぜならば、ロックやフォークなどのポップ音楽家の多くが「自らの政治意識」をしっかり認識し、その立場のもとで果敢に行動を始めた時期が1960年代だったからだ。いわゆる「カウンターカルチャー(対抗文化)」の時代だ。このとき文化の矢面に立った人々のなかに、当時のポップ音楽家たちがいた(カントリー音楽はこのテーゼに完全にあてはまるわけではないので、念のためご留意を)。
 
>たとえば、ヴェトナム戦争への反対。たとえば、公民権運動。アメリカ社会の「メインストリーム(主流派)」が進める政治に、大いなる「NO」を叩きつけたのが、この時代のポップ文化だった。
 
>そこから、70年代以降のロックのみならず、ソウル音楽が、ファンクが花開き、ヒップホップにまでつながっていく道筋が形作られていった。このとき初めて、60年代においてようやく、ポップ音楽は大人になったとも言える。「アメリカの」大人に。
 
>それはつまり「必要なときにはいつでも立ち上がり、自らの意思を表明する」ということだ。自分の考えをきちんと言葉で説明すること。それに加えて、意見が違う他者とも言葉を交わし、討論して解決策を探っていくこと。これらの行動の実践を、幼いうちからアメリカ人は求められる。
>そして長じては、市民権を持つ者の全員が等しくその権利を行使して政治にも関与していく。こんな意識や態度が、ごく日常的なものとして市民生活の一部となっている。
 
内田樹『お題はアメリカ~可傷性と鼻声』(全文)+『フェミニンな時代へ』(末尾抜粋)「内田樹の研究室」2004年5月8日/2006年4月14日 
 
>アメリカにかかわる楽曲5つを選んで、それについて論じるという趣旨の企画である。ほいほいと引き受けたまま、何も考えずに前日を迎え、これではまずいというので、昨夜、あわてて5曲を適当に選ぶ。
 
>選んだのは、Take good care of my baby(Bobby Vee)/Crying in the rain(The Everly Brothers)/Tell me why(Neil Yang)/Handy man(James Taylor)/Simple man simple dream(J.D.Souther)。適当に選んだのだが、後知恵で考えると、ちゃんと共通点がある。それはすべて「男の鼻声」ということである。
 
>若い人は想像しにくいかもしれないけれど、1964年までのアメリカン・ポップスの男性歌手のクルーナー・タイプの発声はメロウでウィーピーであった。
 
>1960年代の前半まで、アメリカの男性アイドル歌手はすぐに「べそべそ泣く」タイプの楽曲によって世界を席巻していたのである。
 
>ジョニー・ティロットソンは『涙くん、さよなら』で「だから、しばらくは君に会わずにいられるだろう」と歌った。ということは、「しばらく」以外の時間、ジョニー君はべそべそ泣いて人生を過ごされていたのである。
 
>クルーカットで、ハイスクールのロゴの入ったカーディガンを着て、女の子にちょっと意地悪されるとすぐにべしょべしょ涙ぐむような男の子たちが1964年まではアメリカの若い男性のロールモデルであった。
 
>第二次世界大戦が終わったあとのアメリカは世界最強の軍事大国であり、世界最大の経済大国であり、そして、その国の若者たちは、べそべそ泣いてばかりいた。
 
>強い人間だけが、平気で泣くことができる。そのことを私たちは忘れがちだ。自分の傷つきやすさを露出できるのは、その傷を癒すだけの地力を備えた人間に限られる。
 
>1955年から1963年まで、つまり朝鮮戦争の終結からケネディ暗殺までの時代がthe Golden Age of American Popsである。
 
>それはアメリカが名実ともに世界最強国・最富国であった時代であり、その時代はアメリカの男たちが自分の弱さを平気で示すことができた幸福な時代であった。
 
>1964年のブリティッシュ・インヴァージョンからあと、アメリカの男性歌手は前ほど気楽には泣かなくなった(例外はビーチボーイズの女性的ファルセットだけだ)。それはアメリカが先の見えないベトナム戦争に踏み込んでいった時期と符合する。
 
>3曲目からあとはアメリカの「鼻声」がハイスクールボーイの気楽なすすり泣きから、もっと深い傷に注ぐ涙に変わった時期のものである。
 
>傷は日常生活のささやかな気づかいによっては癒されないほど深くなり、その傷あとからはじくじくと血がにじみ続けるようになった。
 
>そして1977年頃を最後に、アメリカの男性歌手は「鼻声で」すすり泣くのを止めた。それから後、私たちが聴くことになった音楽では、歌手たちは怒声を挙げ、権利を主張し、罵倒を浴びせ、ついには無機的な機械のように痙攣的な発声をするようになった。
 
>そんなふうにして、「鼻声歌手」たちは音楽シーンから消えていった。それはアメリカの国力が低下し、傷つきやすさを誇示することが、戦略的に許されなくなった時代の始まりを示している。
 
>私は男たちが「すすり泣き」をする曲が好きだ。涙を見せることができるのは、強く、優しい男だけである。
 
>今のアメリカでは男の子がすすり泣くと、女の子たちがきゃーきゃーと喜んでくれる社会ではもうない。それはアメリカの国力がゆっくりと低下している趨勢とシンクロしているように私には思われる。
 
>もう一度アメリカの男性歌手が「鼻声」で歌う時代は戻ってくるのだろうか?
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
>共同体が求めているのは「泣くべきときに正しい仕方で泣ける」ような情緒的成熟を果たした男なのであるが、そのようなやわらかい感受性を持った男性を育てるための制度的基盤を半世紀に亘って破壊してきたことに私たちは今更ながら気がついたのである。
 
>アメリカの黄金時代が、アメリカの若者たちがすぐにべそべそ泣く時代であったように(ジョニー・ティロットソンとかボビー・ヴィーとか、泣いてばかりいたぜ)、日本はこれから「泣く男」をもう一度作りだせるようになるまで劇的な社会的感受性の変化の地層を通り抜けることになるであろう。
 
>うん、酔っぱらってるから、言ってることに責任持ちませんけど。
 
以上に示した川崎氏と内田氏の文章は、見事なシンメトリックを成しているように思えます。川崎氏の主張は「アメリカの選挙とアメリカのポップ音楽は切っても切り離せない関係にある、アメリカの政治や選挙運動を考えるに当たって、ポップミュージシャンの思想や行動を探ってみよう」という趣旨ですね。
 
アメリカの音楽界と政治の関わりの歴史が、懇切丁寧に解説された力作(前半部だけで230行)だと思います。日本と違って、各アーティストが確固たる信念に基づいた政治的な意見や主張を持っているという指摘は、頷けます。それは、とても素晴らしいことだと思います。
 
しかし、僕には、その前提に沿って導きだされた論調が、空虚なものにしか感じられません。なぜなら、論点が完全に一方向のみから成されているから。
 
“自らの政治の意識をしっかり認識し、その立場のもとで果敢に行動を始めた時期が1960年代、このとき文化の矢面に立った人々のなかに、当時のポップ音楽家たちがいた”。という言葉に続いて、“(カントリー音楽はこのテーゼに完全に当てはまるわけではないので、念のためご留意を)”。たった一行でC&W音楽が片付けられてしまっている。
 
そこを無視してしまっては、話自体が成り立たなくなってしまいます。それは、本来ならばこの論者と対極に位置づけられるであろう一部の保守的な人々の論調、例えば「日本人は素晴らしい民族」だからという前提で、隣接する国々の人々を「民度が低い」と貶めていることと、何ら変わりがないのでは、と思います。
 
230行の中に、カントリー音楽も、そこから派生しビートルズ上陸直前(60年代初頭)に主流を占めていた(カントリーを基盤とする)“黄金期のアメリカンポップス”も、一切言及されていないのです(それは川崎氏のこの記事だけでなく、ロックや広い意味でのアメリカンポップスについて書かれたどの本や記事においても同じです)。
 
対象への評価云々以前の問題として、スタート時点の実態を正確に認識することなく、最初から放棄してしまっている。
当時、後年になって評価の対象となった様々なムーブメントは別の、、、対極という言葉だけでは表現し得ない、非常に大きな成熟した文化(the golden age of American pops)が間違いなくあったのです。もちろん直接間接に政治とも何らかの形で係っていたはず。その内容や、関わり方、主張の方法、後年の評価など、個々に対する言及は二の次として、大事なのは“あった”という事実をきちんと認識することだと思います。
 
アメリカンポップスの中に大きな割合を占めていたカントリー音楽と、それを基盤とした当時のポップ音楽。それに因って生み出された文化。大衆との関わり。そして、そこを窓口として、政治や宗教や経済にどのように繋がっていたのか。
それをまず認識しておかねば、その後の流れを正確には捉えられないと思います。しかし、どのポップ音楽論も、判で押したように“完全無視”。
 
反逆、自己主張は、誰でも出来ます。差別を嫌い、平等と自由を標榜することは簡単です。それを言わないよりも、言っておいた方が何かと得でしょう。しかし、主張と実現は、異なる次元の問題です。「愛」「平和」「平等」「自由」といった概念は、諸刃の刃、無意識のうちに、自らが求める結果と反対の現象を引き起こしてしまうかも知れません。権力に対する否定が集団として成されることにより、新たな権力を生み出し、新たな差別を生み出すこともあるでしょう。
 
僕は、ビートルズ以前の「旧・アメリカンポップス」を、甘ったるい、単に保守的な存在、すなわち新時代の音楽とは対極の存在にある、とは必ずしも思っていません。世の中に対するアプローチの仕方が異なる、いわば“別の文化”なのです。
 
つづく(文字数の制限で、次へ続きます)
 
 
 

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