謎の巨大都市“鳩街”(下)
あやこ版の読者の方に勘違いしてほしくないのは、僕は好き好んでベトナム・サパで、蝶や子供たちの写真などを撮影しているのではない、ということです。
本来なら、今(というより6月から7月にかけての時期に)やらなければならないのは、各地でのヒグラシの声の録音に、野生アジサイの調査・撮影、それに中国西南部(四川省西部~雲南省北部)での蝶や高山植物の撮影です。
しかし、そのための資金が捻出出来ない。資金を作るために最も手っ取り早いのは、単行本の刊行です。今、僕が纏められるのは、「野生アジサイの話」「セミの鳴き声についての話」「中国の高山植物のガイドブック」「(屋久島産固有植物の“姉妹種”を各地に訊ね歩く)屋久島はどこにある?」などです。しかし、いずれも重要な部分の確認や取材や撮影が抜け落ちている。
東京の家賃の支払いが無ければ、もっと気楽に、コツコツと仕事をすればいいのですが、そうも行きません。有る程度の纏まった稼ぎが必要です。新聞や週刊誌の連載が貰えればそれに越したことはないのだけれど、そのためにはある程度の準備が必要で、今の僕には難しい。となれば、(印税がきちんと貰える)本を出版するしかないのです。
そんなわけで、今年のシーズン(6月~7月)こそ、何としてでもそれらの企画の完遂に向けて取り組もうと、満を持して中国に来ているのですが、結局は取材資金を捻出することが叶わず、となれば収入の道も目処が立たなくなります。当面お金を使わずに済み、ビザの更新が楽に成され、なおかつ問題だらけ(通常は使えるはずのワイアレス機能がほとんどの場所で利用出来ない)の僕のパソコンでのインターネット通信がスムーズに行える、中越国境のベトナム側に位置するサパに、仕方なく滞在している、という破目に相なっているのです。
そのようにして、次の年金支給日の8月15日に繋ぐしかありません。この大切な時期に、ひたすら無駄な時間を浪費し続けるわけで、情けないったら有りやしない。何もしないで、連日室内に籠っていればいいのでしょうが、少しでも仕事に結びつけることが出来ればと、藁をもつかむ気持ちで、毎日標高差360mの坂道と石段を上り下りし、全身ずぶ濡れになって川を泳いで渡り、(本来なら余り乗り気でない)熱帯に広域分布する蝶や子供たちの撮影を続けているのです。
「毎日楽しそうで良いですね」と言われると、心底腹が立ちます。
でもって、可能性が残されているのなら、ほんの少しでも本来の目的に取り組みたい、という思いでサパを脱出し、6月~7月に赴く予定だった雲南省の北部山地に、遅まきながら(本当に時期が遅すぎるのです、もっとも去年は、やっと9月末になって訪れることが叶ったわけですから、それを思えば、まだましという気もします)チャレンジすることにしました。
資金は、複数の知人から借り集めた、2万円余。ベトナム最高峰のファンシーファン山から、雲南省の南北を縦断して、チベット国境に聳える雲南省最高峰の梅里雪山を目指すには、交通費・宿泊費の予算として、キチキチの額です。
7月28日夕刻、ファンシーファン中腹でのいつもの撮影を終え、中国国境の麓の町・ラオカイに。ここで(中国側に入れば出来なくなってしまう)日本へのメール送信を、ボーダー閉鎖時間のギリギリまで行い、中国側の町・河口に渡ります。
この時、予想外の事態が起こってしまった。口座に残っていた1万円弱の予算を、ATMで引き出そうとしたところ、唯一国際キャッシュカードが使える「中国銀行」が潰れてしまっていた(正確にはおそらく建て替え中だと思うのですが、目にしたのは廃墟のような姿)。地域によっては他の銀行のATMでも利用可なのだけれど、ここでは中国銀行のみでしか利用できない、そしてその中国銀行が、街に(廃墟のごとき状況の)一つしかない、別の町の中国銀行に行くには、タクシーで数時間数万円がかかるというのです。
最初の時点では、中国銀行以外の銀行でも下ろせるだろうとタカをくくっていました。で、とりあえずタクシーに乗り、幾つかの銀行のATMをはしごしてチェックします。でもどの銀行のATMも国際キャッシュカードは使用不可。タクシーの運ちゃんに頼って使えるATMを探すのは諦めねばなりません。狭い町だから、実際にタクシーに乗っていたのは100mあるかないか、数分間のことです。運賃は80円ほど。でもその80円の手持ち金がありません。ベトナム紙幣ならちょうどそれぐらいの額が残っていたのですが、運ちゃんはそれでの受け取りは拒否します。中国ではベトナムドルを中国元に替えることは出来ないのです(闇で換金すると三分の二程に目減りしてしまう)。そして、しつこく支払いを要求します。時間が経てば経つほど、料金は嵩んで行くのだ、と。
成す術がないので、町の公安本部に助けを求めに向かいました。結論を言えば、公安(正確には中国軍の軍人)氏は実に親切で、もしもの時のために町のホテルを確保してくれ、タクシーの運ちゃんを追いっ払ってくれ、町中の銀行のATMをチェックして、やっと一か所だけ国際キャッシュカードを使えるATMを見つけ出してくれたのです。時にすでに夜明け前。
しかし、翌朝早くのバスに乗るのがきつかったこともあり、公安指定のホテルから、半額(約800円)の安宿に替え、もう一泊することに。実は出発を遅らせたのは、一つの目論みが有りました。更に2泊遅らせ、8月1日の朝まで滞在してボーダーを往復すれば、8月15日まで中国国内滞在が可能となります。そうすれば、いざという時には、15日に入手した年金を使って航空便での期限内国外移動も可能になる。そのこともチラリと頭をかすめてはいたのです。でもそうなると、余分な滞在費が嵩み、香格里拉の(チェックアウト時支払いが可能な)宿舎に15日まで閉じ込められて過ごすことは可能だとしても、肝心のフィールドに出るための資金は尽きてしまう。痛し痒しです。ここはやっぱり明朝出発し、ぎりぎりの資金で梅里雪山を目指そう、と決心しました。
その夜のことです。ATMから引き出した虎の子の100元札(約1250円)を手に、バスターミナル前の屋台で、5元のラーメンを注文、支払おうとしたら、「このお札は使えません」だと。銀行のATMから出てきたお札です。それが使えないとは呆れてものが言えない(もっとも同じような出来事は、これまでにも度々あったので、今更驚くことでもないのだけれど)。結局そのお札はどさくさまぎれにどこかに消えてしまい、理不尽極まりない損失と相なってしまいました。まだ先があります。この時、理不尽極まりない思いをして持ち帰ったラーメンですが、部屋に戻って食べようとしたら、何とお椀の底が抜けてしまって、机の上中が、唐辛子と油でギトギトのラーメンの汁びたしに。運悪く、パソコンのマウスとカメラに諸に被ったものですから、マウスは使えなくなり、カメラはオートフォーカスの機能に支障をきたしてしまうという破目になりました。踏んだり蹴ったりです。
そんなこともあって、ここは無理をせずに、一度サパに戻ることにしたのです。
【7月25日~27日、および8月3日~4日のサパの蝶については、この後も続けて紹介して行きます】
再度サパに4日滞在の後、改め3万円を無理矢理(この“無理矢理”というのは、ここで詳らかには出来ないのですが、借用した方に多大な迷惑をかけるなど、相当にリスクを伴う危ない橋を渡って成されたものです)捻出。ただし、中国側銀行でATMから引き出せない可能性も考えて、いざという時には中国元に(半額近くに目減りしようとも)換金できるよう、ベトナムドルでも出金したりしていたこともあって、引き出せた額は実質2万2000円ほど。結局のところ、やはりキチキチの梅里雪山行きとなってしまいました。
8月6日朝7時45分、河口発、例の“全線高速道走行”と明記された、昼行長距離バスです。全線のうち、5分の2程の距離に位置する、蒙自の町までの所要時間は2時間半。
謎の巨大都市“鳩街”(上)にも記したように、去年までのバス道は、少数民族の町“〇〇”を経由し、5~6時間をかけて、蒙自と河口を結んでいました。紅河の渓谷と台地上の2000m近い標高差を、無数とも言えるS字カーブを繰り返し、上り下りする様は、中国バス旅行のハイライトといって良いほどのダイナミックさ。
開通した高速道は、2000m近い標高差を、さしたるカーブ無しで、ほぼ直線的にダイレクトに突き進みます。これはまた、別の意味でダイナミックと言えます。河口から蒙自の場合は、河底から原生林に覆われた山腹を突き登り、登りつめた所に、まっ平らな平野と蒙自の町が出現します。
雲南の広大な高原平野の南西端には、4つの地方中心都市が点在しています。北の開遠、南の個旧、東の蒙自、西の建水、16年前最初に訪れた時には、それぞれ味わいのある地方都市として印象に残っています。それが、数年後に付近を通った時には、それぞれの都市自体はさほど変化がないように思えたのですが、都市の中核部から外れた辺り(4つの都市を結んだ線の内側一帯)に、何やら場違いとも言えそうな、やたら近代的な街並みが、雨後のタケノコのように林立しているのです。
そして、東西に続く、幅広い高速道。その周囲は整地され、ところどころに巨大なビル群が出現します。大部分は、更地とも畑地とも荒地とも区別のつかないだだっ広い空間。その昔、新宿西口に、高層ビル街が形成される直前の、区画整理された空き地、といった趣(もっと大雑把で中途半端ではありますが)が延々と続くのです。
道路の標識は、西の建水側から向かっても、東の蒙自側から向かっても、延々と繰り返し「→鳩街」の表示が続きます。
“鳩街”とは一体どこなのかと、いつも注意してチェック態勢に入っているのですが、何10回と表示が続いたあと、気が付かないうちに表示が消えてしまっている。実は消えた辺り(開遠・個旧とのジャンクション地点)が“鳩街”であるらしく、気が付かぬほどの小さな町なのです。
それはともかく、4つの地方中心都市の間に形成されつつある、すけすけの巨大都市の前身。都市として完成した暁には、北京や上海を凌ぐ、世界一の大都市になるのかも知れません、、、、そんな妄想を抱かせるに充分なスケールです。妄想、とばかり侮るなかれ、10数年前、「妄想」として(冗談半分に)何かのコラムで紹介し、まさか実現するなどとは考えてもいなかった、成都~都江堰間の高速鉄道も、実際に出来てしまったのです。
なぜこんな地に、“巨大都市”を作る必要があるのか。インドシナ半島諸国との接点、という事が、大きな意味を持っているのでしょう。中国政府に、何らかの目論みがあるのだと思います。
その場違いな近代都市前身を東西に走る高速道路や、国境の町に向かい2000m近い断崖の山腹を一気に貫く高速道路に対して、平らな地(せいぜい丘陵地)の続く北の省都・昆明までは、16年前と変わらない曲がりくねった悪路が、今なおメインとなっているのです。なぜ、事実上一番大事だと思われる、「幻の将来の巨大都市」-「省都昆明」間にだけ、新たな高速道が引かれていないのか、不思議でなりません。「半島諸国と省都昆明」間のアクセスが便利になりすぎないように開発を“わざわざ”遅らせているといった、中国政府の理解不能な思惑を感じてしまいます。もっとも、間抜けな中国のこと、何の思惑もなく、気が付いたらうっかり忘れていた、というだけなのだとも考えられますが(途中、バスの窓から建設中の高速道路が見えました)。
今回のバス紀行では収穫が一つありました。途中の昼食タイムで寄った路傍の小食堂で食べた「雲南米線」の美味しかったこと。「雲南米線」は「桂林米粉」と共に中国庶民の食べ物としては美味しい部類と以前から思っているのですが、ここの「米線」は独特で、麺も汁も、日本の「うどん」と「ラーメン」を足して2で割ったような味、関西人の僕の味覚にフィットする大当たりの食事でした(でも高速道路が出来ると消滅する運命に)。
結局、断崖絶壁を貫くハイウエイの二倍以上の時間を要し、平坦な高原上の曲がりくねった悪路を渋滞しつつ進んで、午後5時、昆明東部バスターミナルに到着。大理方面に向かうバスは、大都市昆明の市街地を挟んだ西部バスターミナルから発車します。5時間近くを要する大理行き昼行高速バスの最終便は、おそらく6時前。一刻の時間的猶予もありません。東京23区を挟んで、船橋辺りから、立川辺りまで、高速道をタクシーで突っ走るようなもので、運賃が勿体ない事この上もないのですけれど、そうは言っていられない、ボラれなければ良しとしましょう。タクシー代は正規のメーター料金で60元(800円余)、5時30分西部バスターミナル着。
5時45分発大理行きに間に会って、10時30分大理。といっても、古城「大理」ではなくて大理市の経済的中心地の「下関(シャーグワン)」です。鎌倉と大船の様な関係(もっと離れています)。タクシー50元で、夜中の11時大理古城着。夜11時というのに、物凄い人出と賑わいです。常宿「ユース四季」を含めて、宿泊施設はどこも満杯。苦労して12時過ぎに宿舎を確保、なにか食事を、と思い、屋台の串焼き屋に立ち寄ったら、屋台の下に捨ててあった無数の串のひとつが、ブスリと足の親指(爪の付け根)に突き刺さってしまった。深く突き刺さったので血だらけです。屋台の夫婦は、一言も謝りません。顔をゆがめて苦しむ血だらけの僕を見て、ただ笑っているだけ。中国とは、つくづくと大変な国だと、改めて思い知らされてしまった次第です。
付記
「串焼き」の話が出たついでに、「串焼き」に関わる話題を追加しておきます。
サパの滝壷の「串焼き」が、まことに美味しかった、という話は、サパ編で繰り返ししています。シンプルな味付けで、肉や野菜の味が丸ごと生かされ、なんとも美味しいのです。ボリュームもたっぷりで、値段も安い。
そこへいくと、中国の街角で無数に見かける「串焼き」は、少なくとも僕個人の感覚では、まるで美味しくない。でも他に食べ物屋が見当たらない真夜中などでは、これを食べるしかありません。サパの麓、中越国境のラオカイからボーダーを渡って中国側の町・河口でも、夜中に「串焼き」を食べざるを得ない羽目になりました。ズラリと並ぶ「串焼き」の屋台の中から、比較的感じが良さそうなおばあちゃんの店を選んで、肉と野菜とジャガイモを注文、宿へ持ち帰って食べることにしました。
ところがこれがなかなか焼き上がらない。焼き上がらない、というよりも、焼き上がってから後の時間がかかるのです。どういうことかと言うと、「串焼き」の表面に何種類もの調味料を塗り付け、それをまた焼いてはまた塗り付け、何度も何度も繰り返します。手伝いの女の子が、持ち帰り用の紙皿を用意してお婆ちゃんの前に差し出しているのですが、お婆ちゃんは一度入れかけるそぶりは見せたものの、しばし考えた後、思い直したように再び調味料をぬり、火で炙り直します。お婆ちゃんは真剣なのです。お客さんに、少しでも美味しい物を食べて貰いたいというプロの心遣いが伝わってくるので、“早くしろ!”と急かすことも出来ません。そうして出来あがった“こだわりの”「串焼き」は、、、、これがまた限りなく不味いのです。
もちろん、“不味い”と思っているのは、この(国境線からこっちの)空間中では僕だけでしょう。“これでもか!”と塗りたくった様々な調味料の味が、三つの素材に染み込んで、素材の味の区別が全く付かない。そして、調味料の味だけが、口中に猛烈に広がります。油がたっぷりで、唐辛子や山椒で気絶するほど辛い他の料理も同じ。個性が全く有りません。そして、どうしようもないゴテゴテ感。日本の成金の金ピカ趣味みたく、とにかく派手で、手が込んでいれば有難いわけです。
「シンプル・イズ・ベスト」という言葉は、中国人には全く無縁なのだと思います。
写真キャプション
1 “鳩街”の表示が延々と続きます。
2 まだスケスケの将来の巨大都市。
3 向こうに見えるのが、おそらく“鳩街”でしょう。手前は建設中の新幹線?
4 うどんとラーメンの中間の味。
a
雲南省中南部。左上から右下にかけて紅河(中国名は“元江”)が流れていて、流域は標高100m前後、その上部は標高1500m前後の雲南高原です。昆明は図上辺のずっと北、下辺は大半がベトナム(右下に“沙巴=サパ”の表記が見えます)、左端がラオス。
b
4つの町の中央付近に、確かに“鳩街”があります。