場末の雑文置き場

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ドイツの現状から改めて考える2022FIFAワールドカップでのドイツチームのパフォーマンスの意味

2024年12月08日 | 政治・社会

現在、ドイツではイスラエルによる虐殺や占領に反対する人々に対して、警察による暴力も含む国家的な弾圧が加えられている。反ユダヤ主義を取り締まるという名目で。イスラエル問題に関しては、ドイツに言論の自由はない。

ドイツは最近になって急に変わったわけではなくて、昔からこうだったんだと思う。前はイスラエル問題に注目する人が今より少なかったので見えにくかっただけで。 

ドイツのことを考えていたら思い出したのが、2022年にカタールで開催されたFIFAワールドカップのこと。このとき、ドイツチームは日本戦の前に口を塞ぐパフォーマンスをした。これには多様性などを訴える腕章の着用を禁じたFIFAやカタールの同性愛禁止への抗議の意味合いがあったらしい。

このパフォーマンスは「リベラル」から絶賛されていた記憶があるが、私は「嫌な感じだな」と思っていた。同性愛禁止を肯定しているとか、政治的なものをスポーツに持ち込むなと思っているとか、そういうことではなくて。私はむしろアスリートはどんどん政治的発言も政治的パフォーマンスもしてほしいぐらいに思っているので。

私があれを不快に感じた理由は、カタールに対する上から目線を感じたから。自分たちのほうが道徳的に優れた民族あるいは国民であるという差別意識からくる優越感。それにイスラモフォビアも。同じように同性愛差別していたとしても、かれらは白人国家あるいはキリスト教徒国家ではああいったパフォーマンスはやらないであろうことは容易に想像できたので。

それにドイツにおけるパレスチナの扱いのことも念頭にあった。カタールでワールドカップが開かれたのが2022年11月20日。その半年前ほど前からドイツはナクバの日の記念デモやイスラエルに殺されたシリーン・アブ・アクレ記者の追悼デモの禁止などをしていた。
ワールドカップがドイツ開催だったら、多様性などを訴える腕章の着用はできたかもしれないが、カタール開催の場合とは違ってパレスチナ旗を掲げることは許されなかっただろう。そうした自国の現状には抗議せず、カタールでだけああしたパフォーマンスをやるなら、西側国家の傲慢でしかない。

ドイツとは話が離れてしまうが、イギリスのロックバンド、The 1975が2023年のマレーシアでの公演で同性とキスするパフォーマンスをしたときにも同じような傲慢さを感じた。これはマレーシアでの同性愛禁止に抗議するという名目だったらしく、例によって称賛する「リベラル」が少なからずいた。

ちなみにThe 1975のボーカル、マシュー・ヒーリーはその前にも人種差別的発言が問題になった人物らしい。とても納得。あのパフォーマンスには「お前たち遅れたアジア人を白人様である俺達が正してやる」みたいな意識が透けて見えるので。
イギリスはマレーシアを植民地支配していた国で、同性愛禁止法をマレーシアに持ち込んだのもイギリス。それが分かっていれば、あんなパフォーマンスをすることも、それを称賛することもできないはずだ。

女性の権利もこうやって他国(特にイスラム教徒が多数を占める国家)にマウントを取るための道具としてしばしば使われている。女性差別をするな。セクシャルマイノリティを弾圧するな。それ自体は完全に正しい。だからこそ厄介だ。

フェミニズムを利用して排外主義的な主張をすることを指す言葉として「フェモナショナリズム」というものがある。特にイスラム教徒はその標的になりやすい。
差別反対のポーズを取りながら別の差別をする。これはフェミニストを名乗るトランス差別者にも見られる現象だ。そしてユダヤ人差別反対を名目にイスラエルへの抗議を取り締まる国もある。ドイツのように。こういうのはただ差別をするだけよりも厄介で悪質だと思う。


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シオニストVSシオニストのアメリカ大統領選

2024年11月10日 | 政治・社会

アメリカ大統領選、ハリスが負けたらしい。そのことに対して大袈裟に嘆いているリベラルを結構見るが、私はトランプとハリスのどちらが勝つかなんてどうでもいい、と前から白けた気持ちで見ていた。

なぜなら、トランプだろうがハリスだろうがイスラエル支持派であることに変わりはないから。イスラエルに武器を送り続け、イスラエルに対する忠誠心はトランプに負けないとアピールする候補を応援する気にはとてもなれない。

もし私がアメリカ大統領選の投票権を持っていたなら、ジル・スタインに投票しただろう。ハリスとは異なり、はっきりとイスラエル批判をしている候補なので。
そういう候補を無視してハリス、ハリスと言い、ハリスが負けて初めてアメリカへの失望を口にする「リベラル」。かれらはイスラエルを支持し続けるハリスの姿には失望しないようだ。

ハリス支持リベラルの怒りの矛先は低学歴やマイノリティ、そしてジル・スタインに投票した人たちに向かっているようだ。一番トランプに投票しているのは白人男女なのに、黒人男性やアラブ系市民の投票行動にばかりケチを付ける。そしてイスラエルへの武器支援をやめる方向で動いていればハリスは勝てたかも知れないのに、当のハリスのことは決して責めない。

ジル・スタインへの投票を利敵行為だとみなして批判する、これと同じような現象は日本でも見られる。小選挙区で立憲民主党と共産党の候補が両方出た場合、「民主党の邪魔をした」共産党およびその候補に投票した人たちを責める立憲支持者の構図。自民党支持者を潰すためには、批判票を全て立憲の候補に集めなければならない、それに協力しない者たちは自民党をアシストしている、とかれらは主張する。そして、かれらにとって野党の統一候補を立てるために退かなければならないのはいつも共産党の候補で、立憲の候補が退くという選択肢は頭にないようだ。

自民も立憲もどちらも右翼政党で大差ない、他の選択肢も用意してくれないと困る、と思っている有権者はそれなりにいるだろう。最悪の選択肢と悪い選択肢だけ用意されて、そのうちの二つから選ぶことを強いられる。そんなものが本当に民主主義と言えるんだろうか。

私はトランプが勝ったことよりも、選択肢がトランプかハリスの二つしかないみたいな空気のほうがずっと嫌だった。二大政党制は本当に欠陥制度だと思う。結局どちらも似たような右派政党になるだけなので。アメリカの民主党が左派政党だと思っている人は大いなる勘違いをしている。

ハリスを選ばなかった連中のせいで、パレスチナはもっとひどいことになる、きっと近いうちに滅びるだろう、と断言する「リベラル」。最悪を避けるために嫌々でもハリスに投票することを選ばなかった親パレスチナ派は愚かだ、と見下す「リベラル」。こういう「リベラル」が実際私の身近にいる。普段パレスチナのことなんてほとんど気にしていないくせに、こういうときだけ心配する振りをしながら攻撃してくる。

これからのパレスチナの状況がより悪くなっていくかそうでないかは、今後の世界の市民の頑張りにかかっている。これでパレスチナは滅びる、と断言するような輩はトランプ支持者と対消滅でもしてくれればいいのに。こういう輩はハリスを選ばなかったマイノリティに罰が当たってほしいと願っているのではないか、とさえ思える。

私はトランプのほうがハリスよりマシな面も全く無いとは言えないと思っている。
バイデンやハリスはイスラエルを諌めるようなポーズもたまにはとるが、武器支援の手は決して止めない。それなのにこのポーズを評価して「アメリカはイスラエルを止めようとしているのにイスラエルが勝手に暴走しているのだ」とアメリカを免罪、擁護するメディアも少なくない。
一方、トランプはあからさまに差別的で品のない発言をしながらイスラエルを支援する。これによりイスラエル支持者の醜悪さが浮き彫りになる。トランプは良くも悪くも正直な分、メディアも批判がしやすい。実際、日本メディアもトランプのときだけはアメリカ大統領の批判を盛んにしていた。

民主党支持リベラルがトランプへの逆張りでイスラエル批判を始める可能性もある。これまでパレスチナの苦境のことなど無視していたくせに、トランプになってから初めて湧いたかのようにこの問題を扱うかもしれない。そんな形であってもイスラエル批判の声が強まることは一応プラスにはなるので、そうなれば世界は少しはマシになるかもしれない。


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シオニスト左派について

2024年10月14日 | 政治・社会
イスラエルによるパレスチナ人の虐殺に反対している人は大勢いる。日本にも、充分とは言えないが少なくはない数で存在している。
ただ、そうした人たちの中にもグラデーションがあるな、とは感じる。中にはハマースのことを簡単にテロリストと呼んでしまう人たちや1948年のイスラエル国家の成立自体は問題視していない人たちもいたりして。
「イスラエル支持だがネタニヤフ不支持」みたいなことを書いている人を見てギョッとしたこともあった。

イスラエルは元々「リベラル」な国だったが最近急におかしくなった、というわけでは決してない。イスラエルがそもそもどういう国か、どうやって成立したかを考えれば、「今やっていることはおかしいが、イスラエルという国自体は支持」なんて言えないはずなのに。

イスラエルに「迫害された被害者のユダヤ人たちがやっとの思いで逃れて作った国」というイメージを持っている人は多いと思う。私も学校ではそんな感じでイスラエルのことを教えられた記憶があるから。そのイメージを持ち続けている人はイスラエルの成立自体を批判できないんだろう。

私はイスラエルの成立について学校で習った10代のときから、なにかおかしいなとは思っていた。その場所に元々住んでいた人たちがいたこと、国家成立の過程でかれらが追い出されたことは話の流れから察することはできたので。この授業をした先生はユダヤ人が迫害されたことには同情しているのに、パレスチナ人たちが故郷を追われたことは当然のこととして受け入れているようだった。なぜ先生がユダヤ人と違ってパレスチナ人には同情できないのか、とても疑問だった。
ユダヤ人は2000年前だか3000年前だかに元々住んでいたからあの土地を手に入れる権利がある、という説明も意味がわからなかった。そんな大昔のことを言われて突然よそ者に土地を奪われるなんて理不尽すぎる。(後から分かったことだが、1948年の建国の中心となった白人系のユダヤ人たちは昔パレスチナに住んでいたユダヤ人とは無関係で、元々別の地域に住んでいた人たちがユダヤ教に改宗しただけのようだった。)

その後の歴史については多分NHK?の番組を授業で見せられたのだが、その内容にも違和感があった。パレスチナ側の攻撃は常に「テロ」と呼ばれ、イスラエル側の攻撃は常に「報復」と呼ばれる。犠牲者の数は毎回パレスチナ人のほうが圧倒的に多いのに、まるでイスラエルのほうが被害者のように語られる。なぜイスラエル側の攻撃は決してテロとは呼ばないのか、むしろパレスチナ人のやっていることこと故郷を奪われたことへの報復ではないのか、「テロ」って一体なんなんだ、強いほうに都合のいい言葉だな、と怒りが湧いた。

そんなわけで、イスラエルのことは子供の頃からずっと大嫌いだった。おかしいことがおかしいこととして語られないから余計に。
普段人権問題に関心がありそうなことを言っているくせにパレスチナ人の犠牲には無頓着そうな左派・リベラルの存在(決して少なくない)もずっと不可解だった。ユダヤ人差別問題やナチス表象の使用問題が起こると、その批判のためにイスラエル大使館やサイモン・ヴィーゼンタール・センター(イスラエル絶対支持のシオニスト団体)のコメントを引用してくる「リベラル」。こういうのを見るたびに、どういう神経してるんだ、イスラエルがどんな国かわかってないのか、と思っていた。10/7以降に考えが変わった人は多いと思うが、もっと早くから気付いてほしかった。

10/7以降、ようやく日本でもイスラエル批判が高まってきつつあるが、イスラエルを批判する人の中には、イスラエルの今現在の暴力のみを問題にしていて、イスラエル国家が先住民を殺害・排除して作った国であることについては不問、という人も多い。「シオニストの中の右派が問題なのであって、シオニズム自体を否定するのは違う」と言う人までいる。
ジャーナリストの曽我太一は、現在のイスラエルの軍事行動については一応批判しながらも、「『イスラエル国家さえ建設されなければ』と言うのは、イスラエルという国家と、そこに暮らす人たちに対するヘイト以外の何ものでもない」とまで言った。つまり、シオニスト左派と同じ考えだということだ。

シオニストの中には確かに穏健派・左派もいる。今の暴力について「やりすぎだ」と声を上げている人もいる。そのことによって国内で迫害されているイスラエル人のシオニスト左派もいる。ただ、元々パレスチナ人が住んでいたあの地にユダヤ人のための国を作ることを正当化しているという点では右派も左派もみんな同じ。シオニスト左派は1967年以降の暴力については語っても、1948年に起こったことについては沈黙する。シオニズムとはそういうものだから。シオニスト穏健派の存在を理由にシオニズムへの批判を控えるのは違う。

「リベラル」から高く評価されがちなハンナ・アーレントもそんなシオニスト穏健派の一人だ。確かにアーレントはアラブ人も包摂した国家を目指すべき、といったようなことを言っていたし、イスラエルに移住することもなかった。が、結局排他的ユダヤ人国家となったイスラエルを支持しているし、イスラエルの戦争での勝利を喜んだりもしている。ついでに言えば、アーレントのアフリカに対する視線も大変に差別的だ。
それに対して、イラン・パペやサラ・ロイやヤコヴ・ラブキンなどはユダヤ人だが反シオニストだ。

シオニズム批判とユダヤ人差別を意図的に混同しようとする輩もいるが、この二つは全く別物だ。イスラエル国家はユダヤ人の代表ではない。私はこれからも積極的にシオニズム批判をしていこうと思っているし、イスラエル国家の成立を問題視「しない」ことのほうが元々そこに住んでいた人たち(つまりパレスチナ人)に対する差別である、ということは強調しておきたい。


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反日教育と呼ばれているもの

2024年09月22日 | 政治・社会
深圳で日本人学校に通う少年が殺された事件で、中国人ヘイトを煽る意見がネット上に吹き荒れている。中国の反日教育が悪い、とかこれが中国人の本性(by野口健)だとか。ウトロの放火事件みたいな日本人によるヘイトクライムや、アメリカ人が日本人に危害を加えたケースは無視するか擁護するくせにね。

そしてかれらが言う「反日教育」とやらについて。日本はアジアの多くの国を侵略したという歴史がある。被害に遭った国ではそのことについて学校で教えている。当然のことだ。ところが、それが「反日教育」であると言われ、まるで悪いことであるかのように非難されている。
また、「普通の日本人」は中国と韓国だけがそうした教育をしていると主張しているが、もちろんそんなことはない。

日本は周辺諸国に対して加害した側なのに、なぜか被害者意識の強い日本人が多い。それは多分、日本の教育で加害の歴史を無視し、日本人が戦争でいかに苦労したかしか教えてこなかったせいじゃないだろうか。
多くの日本人はせいぜい所謂従軍慰安婦や南京大虐殺程度は知っていても(それすら捏造だと主張したりもするが)、東南アジアの人々に対する加害のことは知らない。マレーシアで多くの華人が虐殺されたことや、シンガポールの血債の持つ意味を知らない。
本来なら日本こそ積極的に「反日教育」、つまり反日帝教育をすべきなのに、そこから逃げている。そして被害者の気持ちを踏みにじっている。

こうした状況に抗おうとする教育者はもちろんいる。教科書検定に阻まれたが、家永三郎や高嶋伸欣などは日本の加害の歴史をきちんと教える教科書を作ろうとした。私の中学校の頃の社会の先生も、わざわざプリントを自作して教科書に載っていない南京大虐殺や従軍「慰安婦」について教えてくれた。そういう教育者もいるが、それを潰そうとする勢力のほうが強い力を持っていて、テレビ番組にも教科書にも大きな影響力を及ぼしている。

反日教育けしからん、と言っている人たちにとっては、安重根を悼むのも、南京大虐殺の被害者を悼むのも、所謂「従軍慰安婦」に心を寄せるのも、自国が日本に植民地支配されていたという事実を認識することさえも「反日」で悪なのだ。
驚くべきことに、自称愛国者たちは日本がアジア諸国を植民地支配していた事実すら認めない。統治していたが植民地支配していたわけではないという認識らしく、「報道特集」など一部を除き日本の番組では日本がしていたことを「植民地支配」とは決して呼ばない。

過去のことは忘れて水に流そう、と被害国が言うのはいいが、加害国である日本が水に流すべき、と主張するのはあまりにも傲慢だ。水に流そうかな、と思っていた人がいたとしても「日本は植民地支配などしていない!」とか「日本の統治には良い影響しかなかった! むしろ感謝されるべき!」などと主張する日本の政治家を見てしまったら考えが変わるだろう。


パリオリンピック雑感ーどちらかと言えばオリンピック反対の立場から

2024年08月18日 | スポーツ

閉会式も終わってしばらく経って今更だけど、パリオリンピックについて色々と思ったことがあったので書いてみる。

まず、一番気になることはロシアとベラルーシの選手は出られないのにイスラエルの選手は普通に無条件で出られるというダブルスタンダード。ベラルーシですら出られないならアメリカだってイスラエルを思いっきり後押ししてるし……って考えると収拾つかなくなるからみんな出場させたらいいと思う。「平和の祭典」を名乗るなら。
ロシア・ベラルーシの選手も条件付きで個人としてなら出場できるみたいで、その代わり表彰式での国旗掲揚と国歌はなくなるらしい。ロシア・ベラルーシに限らず表彰式での国旗国家なんてみんななくせばいいのに。

イスラエルのことを抜きにしたとしても、オリンピックというイベント自体に色々と問題がある。国威発揚的な側面だとか国ごとの金メダル数カウントみたいなくだらないことやってるとか、商業主義だとか。私も若い頃はオリンピックが好きでそういう側面を無視して楽しんでいたが、それではいけないと今は思う。
オリンピックなんてなくても競技ごとの世界選手権だけでもいいんじゃないだろうか。4年ごとに特別な大会があって、そのときだけ活躍した選手が毎年コンスタントに結果を残し続けた選手よりも評価されるっていうのもモヤモヤするし。

それに加えて、ガザが大変なことになっているのにこんなことで浮かれていていいのか、などと思いつつも、体操だけはしっかり見てしまった。体操ファンなので。オリンピックでもそうでなくても目の前に体操の試合があったら見ずにはいられない性分なので。

体操と言えば宮田のタバコ問題。SNSを見ると、20歳未満は酒タバコ禁止というのは若い人を罰するためではなく守るためにある法律である、という立法趣旨が全くわかっていないまま議論している人が多いような印象を受けた。罰則の対象は本当は本人ではなく周りの大人だし、法律違反だけど犯罪ではない。それなのに、宮田のことを犯罪者呼ばわりして、万引き犯、下手したら性犯罪者と同列みたいに語られるのを見てしまって悲しくなった。
私は宮田の今回の処分は行為に比して重いと思う。宮田が自分で辞退したということにはなっているが、周囲の圧力はあっただろう。
ちなみに、私は今の日本の女子体操選手の中で宮田が断トツで好きだ。しっかりした体格と力強い演技が魅力的な選手だと思う。宮田がこれで潰されてしまったら悲しい。今まで宮田のことを全く知らなかった、演技を見たこともない人たちが好き勝手に叩いているのを見てとても腹立たしく思っている。

競技のことについて。
男子団体決勝の終盤での蘇煒徳(スー・ウェイデ)の大きなミスと種目別鉄棒決勝での落下・着地失敗祭りは胸が痛かった。正直、優勝者おめでとうというよりもそちらの気持ちのほうが勝ってしまった。特に男子団体。
蘇偉徳は粛清されそうとか帰国したら命が危ないとか言ってた人、結構いたけど中国に対する偏見が強すぎるな。そんなことで粛清されたら誰もアスリートになんかならないわ。今回も中国チームのコーチとして来ていた滕海浜(テン・ハイビン)だってアテネオリンピックの団体でミスしまくってチームの足を引っ張って叩かれたけど、その何年か後も代表に選ばれてたし、今は立派にコーチを務めているし。多分蘇煒の気持ちが一番わかるのは滕海浜コーチだろう。
ちなみに日本だったらこういうときに選手を叩かない、って言ってる人もいるけどこれも大嘘。GG佐藤の件とか、同じようなことがあったときに日本人がどれだけ選手をバッシングするかも私は見てきた。そういうのを都合良く忘れる人が多いんだな。
蘇煒徳が今後どうなるかは周囲のサポートと本人のメンタル次第。今回のことで潰れないで今後も活躍してほしい。宮田も。

体操の大会がテレビ放映されると、つい他の視聴者の反応も検索などで毎回見てしまうのだが、それに関して今回驚いたことが一つあった。オリンピックの体操競技に関する日本の視聴者の反応はヘイト(主に中国選手に対する)とか採点に関するイチャモンが常々あるのに、今回は(上に書いたような中国社会に対する偏見は見られたものの選手に対しては)そんなこともあまりなく穏やかに見られた。むしろ中国選手、特にエースの張博恒(ヂァン・ボーホン)にかなり好意的な反応が多くてとても嬉しかった。男子団体と個人総合で日本選手が金メダルをとれたことで視聴者に気持ちの余裕ができたせいもありそうだけど、少しだけ希望の持てる出来事ではあった。
ちなみに中国に礼儀正しくてスポーツマンシップのある選手が多いのは、私が体操を見始めた15年以上前からずっとそう。あと平均的に日本選手に比べて愛想が良くてカメラパフォーマンスなども積極的にやってくれる。それなのに中国選手のことを変な色眼鏡で見ていてそのことに気付かない人が今までは多かったが、今回変わって良かった。

体操競技は基本的には個人戦かつ相手を打ち負かす競技ではないので、国は関係ない、というスタンスで見やすいのがいいところだと思う。自国選手に限らず好きな選手を応援している、というファンが対戦型競技に比べれば多い。私もいつもそんな感じで体操を見ていて、日本の金メダル数にはあまり興味がない。なるべく多くの選手が失敗せずに良い演技をみせてくれるのが一番いい。  
誰が金メダルで嬉しかったとかどの演技が素晴らしかったとか、思ったことはいろいろあるけど浮かれている場合でもないと思うので、パリオリンピックの体操に関する話はこのくらいにしておく。

次に柔道の話。
柔道はニュースでのダイジェスト程度しか見ていないんだけど、外国選手が勝つと「あれは柔道じゃなくてJUDOだ」とか審判がどうのとか言ってる日本人が散見されて、大変みっともないと思った。そんなのただの負け惜しみでしかない。昔のルールのままだったら競技人口の多い世界的な競技になんかなっていないだろうが、それでいいんだろうか。鎖国でもしたいのか。
「誤審」と騒がれているものも、本当に誤審なのだろうか? 基本的にテレビの解説者は日本選手寄りの解説をするし、視聴者も日本選手贔屓のフィルターがかかった目で試合を見ているだろう。その結果、日本寄りでない公平な判定がおかしなもののように見えてしまっているだけ、という可能性もあるのでは? 私は体操で「日本選手の点数だけ不当に低くされている」あるいは「中国選手の点が不当に高くされている」と思い込む人が毎回現れるのをずっと見てきたので、柔道でも似たような現象が起こっているのではないかという気がしている。

また、柔道には私が悪い意味で注目していたイスラエル代表のピーター・パルチックも参戦していた。新宿のパレスチナ連帯デモを妨害してきたクソ野郎だ。私もそのデモに参加していて、この人がわざわざ柔道着に着替えて威嚇してくるところを目の前でしっかり見ていた。しかもそれだけじゃなく、パレスチナに打ち込む爆弾にサインして、それを嬉々として自分のSNSに載せたりもしていたらしい。
その選手が柔道で銅メダルをとり、「大切なのは平和」などとほざいたとか。大変胸糞悪い。どの口が言ってんだと思う。そしてそれを美談みたいに取り上げる朝日新聞も最低。

最後にボクシングの話。オリンピック関連だと、SNS上ではこの話題が一番盛り上がっていたのではないだろうか。女子競技に出場した選手の中にトランスジェンダーがいるとのデマが拡散されたが、その選手たちはトランスジェンダーではなくDSDだったことがわかった。だがデマを撒いた人らは全く反省していないようだ。(トランスジェンダーが女子競技に参加することが悪いとも私は思わないが、今回とは関係ない問題なので深く立ち入らないことにする。)
成長した後になってからテストステロン値だの染色体だのを審査して、場合によってはその人を女性の枠から外す、みたいなやり方はど真ん中の女性差別ではないか、というのは前から言われてきたことだ。テストステロン値が高ければ高いほど有利なら男性だって同じはずなのに、男子選手は通常の男性よりはるかにテストステロン値が高くても全く問題にされることはない。しかも性別が疑われるのはほとんどの場合非白人の選手だ。
性別は実は厳密に2つに分けられるものではないらしいし、こういうのは女性を弱くあらねばならないとして決められた枠に押し込むような行為に思えてしまう。

悪名高きJ.K.ローリング(ハリポタ作者でトランスヘイター)もこのデマを拡散していたとか。被害者のImane KHELIF選手はローリングとイーロン・マスクらに法的措置をとるらしい。
ローリングは本当にそろそろなんらかの制裁を受けてほしい。ハリー・ポッターを持ち上げるのももうやめよう。舞台ももう上演しなくていいし、テーマパークもやめたほうがいい。さすがにここまで来ると、作者と作品は別だという言い分ももう苦しくなるのでは。