場末の雑文置き場

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テロリストとはなにか

2025年02月11日 | 政治・社会

「テロリスト」とは字義通りならばテロ行為をする人のことだ。そして「テロリズム」とは広辞苑には「政治目的のために暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為。」とある。しかし暗黙の別の基準が存在しているように思える。

子供の頃からずっと疑問だった。なぜパレスチナ人は「テロリスト」と呼ばれ、それ以上の暴力を振るっているイスラエルはそう呼ばれないのか。
去年イスラエル(モサド)が起こしたポケベル爆発テロも、かなりわかりやすいテロだったのに、日本の報道各社はこれをあらわすのに「テロ」という言葉を頑なに使わなかった。そもそもあまり大きく取り上げられなかった。

要するに、西側、特にアメリカから見て都合の悪い存在がテロリストだということなのだろう。だからアメリカやアメリカが支持するイスラエルは何をしてもテロリストとはされない。少なくとも日本メディアにおける扱いはこうだ。

西側に都合の悪い人物は、時にはなんの暴力も振るっていなくても「テロリスト」にされる。例えばガッサーン・カナファーニーがそうだ。カナファーニーは作家でパレスチナ人の苦難を伝える小説を残している。武力ではなくペンで戦っていた人だが、イスラエルにとっては邪魔な存在であったため、姪とともに爆殺された。イスラエルの「諜報機関」モサドによって。
ラシード・ハーリディーの「パレスチナ戦争」によれば、ニューヨークのパブリックシアターがカナファーニーの「ハイファに戻って」の上演権を獲得したが、劇場上層部の反対により上演できなかったという。理由はカナファーニーがテロリストと呼ばれているから。とても倒錯した奇妙な見方だ。カナファーニーはモサドのテロによって殺害された被害者なのに。

ところでこのモサドというのはイスラエルの組織で、外国まで行って暗殺を繰り返している。「テロ」の定義に完璧に当てはまる組織なわけだが、この組織が「テロ組織」と呼ばれることはとても少ない。日本の報道ではまずないだろう。代わりに「諜報機関」と呼ばれている。

他に西側に「テロリスト」扱いされた代表的な人物といえば南アフリカのネルソン・マンデラがいる。アメリカはマンデラを2008年までテロリスト認定していた。マンデラが大統領になったのは1994年で、それから15年近くテロリスト扱いを続けていたことになる。

そもそも、植民地支配を受けている側(例えばパレスチナ人のような)の抵抗のための暴力を植民地支配をしている側の抑圧のための暴力と同じように扱うことがおかしいのだ。それなのに、逆に抑圧者側の暴力は無視するか当然視し、抵抗の暴力のみ非難する輩が少なくない。

かつて植民地支配を受けていた国々の多くは武力闘争によって独立を勝ち取ってきた。黙って耐えたままだったら今も独立は実現できていなかっただろうが、その方が良かったのだろうか。ガンディーは立派だったかもしれないが、占領の形態によっては同じようなやり方では通らないケースはいくらでもある。
被占領地の住民が武力を用いて抵抗することは、国際法でも認められている。占領者による暴力は、当然ながら認められていない。

日本は他国を侵略し、植民地にしてきた側の国だ。そして「西側」の国の大多数もそうだ。そんな国の人間に「とにかくどんな理由があろうと絶対に暴力に訴えてはならないのだ」と上から目線で抵抗者を非難する資格はないと思う。
「どんな理由があろうと暴力はいけない」と本当に心から思っているのなら、最低限、占領者側の暴力についても普段からきちんと批判してほしい。イスラエルによる抑圧と暴力は70年以上ずっと続いてきたのだから、その文脈を無視することは許されない。


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横浜DeNAベイスターズのバウアー投手獲得を歓迎しません

2025年01月30日 | 政治・社会

私は一応ベイスターズのファンで、去年日本一になったときは本当に嬉しかった。だけどバウアー獲得は本当にやめてほしいと思っている。

理由の一つは性的暴行疑惑。本人は否定しているが、一人ならまだしも複数人から訴えられたというのはかなり怪しい。そのうち一部が不起訴になっただけだし、和解=無実というわけでもないのだが、こういう事があるとすぐに美人局だのバウアーははめられただのと決めつけられてしまう。実際被害に遭っていても性犯罪の立証は難しいし、有名人で金持ってる(=優秀な弁護士を雇える、裁判で有利)男を訴えるなんて生半可な気持ちではできないと思うが。このこともあってバウアーはメジャーリーグではプレーできなくなったのに、日本は甘い。

そしてもう一つは日本で過失運転により2人を死なせて逮捕された米兵がアメリカの圧力で釈放されたときに「Welcome home」とコメントした件。アメリカでは不当逮捕だと報道されているからバウアーがそういう反応になるのも仕方ないとか擁護している人が多いが、なんだかな。アメリカでもこの米兵とその支持者たちを批判している人は少なからずいるようだし、公平な目を持っていたらおかしさに気付けるはず。日本でプレーしていたなら尚更。 
それでも謝ったり日本を愛してます、って言ったら許されてしまう。チョロすぎるだろ。アメリカの白人男性には本当に甘いな。だから舐められるんだろうな。

大体、バウアーがそうなってしまったのがアメリカの報道のせいだというなら、そこからアメリカという国に疑問や反感を抱いたりしそうなものだが、決してそういう方向には行かないのも不思議。

もちろんバウアーを批判していて、来てほしくないと言っている人もそれなりにいるけど、歓迎派のほうが数が多く声が大きい印象。日本のスポーツ界って人権意識低いよな。これ獲得したのがホークスか巨人だったら批判の声ももう少し大きかったのかな、と思うとそれも含めてなんだかな、って感じ。横浜ファンだけど。

スポーツ選手はイメージが重要な芸能人とは違う、バウアーがクズなのは分かっているがチームに貢献してくれればそれで良いという意見については、それはそれで筋が通っているとは思う。私は賛同しないけど。変に擁護する連中よりはずっとマシ。

私も東に関しては上記のスタンスで応援できる。東のやったことは悪いが、人に暴力を振るったわけではない。バウアーと同列扱いはさすがに違うだろ。バウアー義理堅いと褒めて上沢を叩く連中に至っては本当に意味がわからない。

私は来年こそ横浜に優勝してほしいと思っていたのだが、応援しにくくなってしまった。仮にバウアーのおかげで優勝できたとしても、あまり嬉しくないかな。勝ち負けはもちろん大事だけど、それより大事なものもある。球団には人権意識・コンプライアンス意識をもっと持ってほしい。


ドイツの現状から改めて考える2022FIFAワールドカップでのドイツチームのパフォーマンスの意味

2024年12月08日 | 政治・社会

現在、ドイツではイスラエルによる虐殺や占領に反対する人々に対して、警察による暴力も含む国家的な弾圧が加えられている。反ユダヤ主義を取り締まるという名目で。イスラエル問題に関しては、ドイツに言論の自由はない。

ドイツは最近になって急に変わったわけではなくて、昔からこうだったんだと思う。前はイスラエル問題に注目する人が今より少なかったので見えにくかっただけで。 

ドイツのことを考えていたら思い出したのが、2022年にカタールで開催されたFIFAワールドカップのこと。このとき、ドイツチームは日本戦の前に口を塞ぐパフォーマンスをした。これには多様性などを訴える腕章の着用を禁じたFIFAやカタールの同性愛禁止への抗議の意味合いがあったらしい。

このパフォーマンスは「リベラル」から絶賛されていた記憶があるが、私は「嫌な感じだな」と思っていた。同性愛禁止を肯定しているとか、政治的なものをスポーツに持ち込むなと思っているとか、そういうことではなくて。私はむしろアスリートはどんどん政治的発言も政治的パフォーマンスもしてほしいぐらいに思っているので。

私があれを不快に感じた理由は、カタールに対する上から目線を感じたから。自分たちのほうが道徳的に優れた民族あるいは国民であるという差別意識からくる優越感。それにイスラモフォビアも。同じように同性愛差別していたとしても、かれらは白人国家あるいはキリスト教徒国家ではああいったパフォーマンスはやらないであろうことは容易に想像できたので。

それにドイツにおけるパレスチナの扱いのことも念頭にあった。カタールでワールドカップが開かれたのが2022年11月20日。その半年前ほど前からドイツはナクバの日の記念デモやイスラエルに殺されたシリーン・アブ・アクレ記者の追悼デモの禁止などをしていた。
ワールドカップがドイツ開催だったら、多様性などを訴える腕章の着用はできたかもしれないが、カタール開催の場合とは違ってパレスチナ旗を掲げることは許されなかっただろう。そうした自国の現状には抗議せず、カタールでだけああしたパフォーマンスをやるなら、西側国家の傲慢でしかない。

ドイツとは話が離れてしまうが、イギリスのロックバンド、The 1975が2023年のマレーシアでの公演で同性とキスするパフォーマンスをしたときにも同じような傲慢さを感じた。これはマレーシアでの同性愛禁止に抗議するという名目だったらしく、例によって称賛する「リベラル」が少なからずいた。

ちなみにThe 1975のボーカル、マシュー・ヒーリーはその前にも人種差別的発言が問題になった人物らしい。とても納得。あのパフォーマンスには「お前たち遅れたアジア人を白人様である俺達が正してやる」みたいな意識が透けて見えるので。
イギリスはマレーシアを植民地支配していた国で、同性愛禁止法をマレーシアに持ち込んだのもイギリス。それが分かっていれば、あんなパフォーマンスをすることも、それを称賛することもできないはずだ。

女性の権利もこうやって他国(特にイスラム教徒が多数を占める国家)にマウントを取るための道具としてしばしば使われている。女性差別をするな。セクシャルマイノリティを弾圧するな。それ自体は完全に正しい。だからこそ厄介だ。

フェミニズムを利用して排外主義的な主張をすることを指す言葉として「フェモナショナリズム」というものがある。特にイスラム教徒はその標的になりやすい。
差別反対のポーズを取りながら別の差別をする。これはフェミニストを名乗るトランス差別者にも見られる現象だ。そしてユダヤ人差別反対を名目にイスラエルへの抗議を取り締まる国もある。ドイツのように。こういうのはただ差別をするだけよりも厄介で悪質だと思う。


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シオニストVSシオニストのアメリカ大統領選

2024年11月10日 | 政治・社会

アメリカ大統領選、ハリスが負けたらしい。そのことに対して大袈裟に嘆いているリベラルを結構見るが、私はトランプとハリスのどちらが勝つかなんてどうでもいい、と前から白けた気持ちで見ていた。

なぜなら、トランプだろうがハリスだろうがイスラエル支持派であることに変わりはないから。イスラエルに武器を送り続け、イスラエルに対する忠誠心はトランプに負けないとアピールする候補を応援する気にはとてもなれない。

もし私がアメリカ大統領選の投票権を持っていたなら、ジル・スタインに投票しただろう。ハリスとは異なり、はっきりとイスラエル批判をしている候補なので。
そういう候補を無視してハリス、ハリスと言い、ハリスが負けて初めてアメリカへの失望を口にする「リベラル」。かれらはイスラエルを支持し続けるハリスの姿には失望しないようだ。

ハリス支持リベラルの怒りの矛先は低学歴やマイノリティ、そしてジル・スタインに投票した人たちに向かっているようだ。一番トランプに投票しているのは白人男女なのに、黒人男性やアラブ系市民の投票行動にばかりケチを付ける。そしてイスラエルへの武器支援をやめる方向で動いていればハリスは勝てたかも知れないのに、当のハリスのことは決して責めない。

ジル・スタインへの投票を利敵行為だとみなして批判する、これと同じような現象は日本でも見られる。小選挙区で立憲民主党と共産党の候補が両方出た場合、「民主党の邪魔をした」共産党およびその候補に投票した人たちを責める立憲支持者の構図。自民党支持者を潰すためには、批判票を全て立憲の候補に集めなければならない、それに協力しない者たちは自民党をアシストしている、とかれらは主張する。そして、かれらにとって野党の統一候補を立てるために退かなければならないのはいつも共産党の候補で、立憲の候補が退くという選択肢は頭にないようだ。

自民も立憲もどちらも右翼政党で大差ない、他の選択肢も用意してくれないと困る、と思っている有権者はそれなりにいるだろう。最悪の選択肢と悪い選択肢だけ用意されて、そのうちの二つから選ぶことを強いられる。そんなものが本当に民主主義と言えるんだろうか。

私はトランプが勝ったことよりも、選択肢がトランプかハリスの二つしかないみたいな空気のほうがずっと嫌だった。二大政党制は本当に欠陥制度だと思う。結局どちらも似たような右派政党になるだけなので。アメリカの民主党が左派政党だと思っている人は大いなる勘違いをしている。

ハリスを選ばなかった連中のせいで、パレスチナはもっとひどいことになる、きっと近いうちに滅びるだろう、と断言する「リベラル」。最悪を避けるために嫌々でもハリスに投票することを選ばなかった親パレスチナ派は愚かだ、と見下す「リベラル」。こういう「リベラル」が実際私の身近にいる。普段パレスチナのことなんてほとんど気にしていないくせに、こういうときだけ心配する振りをしながら攻撃してくる。

これからのパレスチナの状況がより悪くなっていくかそうでないかは、今後の世界の市民の頑張りにかかっている。これでパレスチナは滅びる、と断言するような輩はトランプ支持者と対消滅でもしてくれればいいのに。こういう輩はハリスを選ばなかったマイノリティに罰が当たってほしいと願っているのではないか、とさえ思える。

私はトランプのほうがハリスよりマシな面も全く無いとは言えないと思っている。
バイデンやハリスはイスラエルを諌めるようなポーズもたまにはとるが、武器支援の手は決して止めない。それなのにこのポーズを評価して「アメリカはイスラエルを止めようとしているのにイスラエルが勝手に暴走しているのだ」とアメリカを免罪、擁護するメディアも少なくない。
一方、トランプはあからさまに差別的で品のない発言をしながらイスラエルを支援する。これによりイスラエル支持者の醜悪さが浮き彫りになる。トランプは良くも悪くも正直な分、メディアも批判がしやすい。実際、日本メディアもトランプのときだけはアメリカ大統領の批判を盛んにしていた。

民主党支持リベラルがトランプへの逆張りでイスラエル批判を始める可能性もある。これまでパレスチナの苦境のことなど無視していたくせに、トランプになってから初めて湧いたかのようにこの問題を扱うかもしれない。そんな形であってもイスラエル批判の声が強まることは一応プラスにはなるので、そうなれば世界は少しはマシになるかもしれない。


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シオニスト左派について

2024年10月14日 | 政治・社会
イスラエルによるパレスチナ人の虐殺に反対している人は大勢いる。日本にも、充分とは言えないが少なくはない数で存在している。
ただ、そうした人たちの中にもグラデーションがあるな、とは感じる。中にはハマースのことを簡単にテロリストと呼んでしまう人たちや1948年のイスラエル国家の成立自体は問題視していない人たちもいたりして。
「イスラエル支持だがネタニヤフ不支持」みたいなことを書いている人を見てギョッとしたこともあった。

イスラエルは元々「リベラル」な国だったが最近急におかしくなった、というわけでは決してない。イスラエルがそもそもどういう国か、どうやって成立したかを考えれば、「今やっていることはおかしいが、イスラエルという国自体は支持」なんて言えないはずなのに。

イスラエルに「迫害された被害者のユダヤ人たちがやっとの思いで逃れて作った国」というイメージを持っている人は多いと思う。私も学校ではそんな感じでイスラエルのことを教えられた記憶があるから。そのイメージを持ち続けている人はイスラエルの成立自体を批判できないんだろう。

私はイスラエルの成立について学校で習った10代のときから、なにかおかしいなとは思っていた。その場所に元々住んでいた人たちがいたこと、国家成立の過程でかれらが追い出されたことは話の流れから察することはできたので。この授業をした先生はユダヤ人が迫害されたことには同情しているのに、パレスチナ人たちが故郷を追われたことは当然のこととして受け入れているようだった。なぜ先生がユダヤ人と違ってパレスチナ人には同情できないのか、とても疑問だった。
ユダヤ人は2000年前だか3000年前だかに元々住んでいたからあの土地を手に入れる権利がある、という説明も意味がわからなかった。そんな大昔のことを言われて突然よそ者に土地を奪われるなんて理不尽すぎる。(後から分かったことだが、1948年の建国の中心となった白人系のユダヤ人たちは昔パレスチナに住んでいたユダヤ人とは無関係で、元々別の地域に住んでいた人たちがユダヤ教に改宗しただけのようだった。)

その後の歴史については多分NHK?の番組を授業で見せられたのだが、その内容にも違和感があった。パレスチナ側の攻撃は常に「テロ」と呼ばれ、イスラエル側の攻撃は常に「報復」と呼ばれる。犠牲者の数は毎回パレスチナ人のほうが圧倒的に多いのに、まるでイスラエルのほうが被害者のように語られる。なぜイスラエル側の攻撃は決してテロとは呼ばないのか、むしろパレスチナ人のやっていることこと故郷を奪われたことへの報復ではないのか、「テロ」って一体なんなんだ、強いほうに都合のいい言葉だな、と怒りが湧いた。

そんなわけで、イスラエルのことは子供の頃からずっと大嫌いだった。おかしいことがおかしいこととして語られないから余計に。
普段人権問題に関心がありそうなことを言っているくせにパレスチナ人の犠牲には無頓着そうな左派・リベラルの存在(決して少なくない)もずっと不可解だった。ユダヤ人差別問題やナチス表象の使用問題が起こると、その批判のためにイスラエル大使館やサイモン・ヴィーゼンタール・センター(イスラエル絶対支持のシオニスト団体)のコメントを引用してくる「リベラル」。こういうのを見るたびに、どういう神経してるんだ、イスラエルがどんな国かわかってないのか、と思っていた。10/7以降に考えが変わった人は多いと思うが、もっと早くから気付いてほしかった。

10/7以降、ようやく日本でもイスラエル批判が高まってきつつあるが、イスラエルを批判する人の中には、イスラエルの今現在の暴力のみを問題にしていて、イスラエル国家が先住民を殺害・排除して作った国であることについては不問、という人も多い。「シオニストの中の右派が問題なのであって、シオニズム自体を否定するのは違う」と言う人までいる。
ジャーナリストの曽我太一は、現在のイスラエルの軍事行動については一応批判しながらも、「『イスラエル国家さえ建設されなければ』と言うのは、イスラエルという国家と、そこに暮らす人たちに対するヘイト以外の何ものでもない」とまで言った。つまり、シオニスト左派と同じ考えだということだ。

シオニストの中には確かに穏健派・左派もいる。今の暴力について「やりすぎだ」と声を上げている人もいる。そのことによって国内で迫害されているイスラエル人のシオニスト左派もいる。ただ、元々パレスチナ人が住んでいたあの地にユダヤ人のための国を作ることを正当化しているという点では右派も左派もみんな同じ。シオニスト左派は1967年以降の暴力については語っても、1948年に起こったことについては沈黙する。シオニズムとはそういうものだから。シオニスト穏健派の存在を理由にシオニズムへの批判を控えるのは違う。

「リベラル」から高く評価されがちなハンナ・アーレントもそんなシオニスト穏健派の一人だ。確かにアーレントはアラブ人も包摂した国家を目指すべき、といったようなことを言っていたし、イスラエルに移住することもなかった。が、結局排他的ユダヤ人国家となったイスラエルを支持しているし、イスラエルの戦争での勝利を喜んだりもしている。ついでに言えば、アーレントのアフリカに対する視線も大変に差別的だ。
それに対して、イラン・パペやサラ・ロイやヤコヴ・ラブキンなどはユダヤ人だが反シオニストだ。

シオニズム批判とユダヤ人差別を意図的に混同しようとする輩もいるが、この二つは全く別物だ。イスラエル国家はユダヤ人の代表ではない。私はこれからも積極的にシオニズム批判をしていこうと思っているし、イスラエル国家の成立を問題視「しない」ことのほうが元々そこに住んでいた人たち(つまりパレスチナ人)に対する差別である、ということは強調しておきたい。


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