今日は私のもう一つの仕事であるテレビの仕事について。
私がテレビの仕事に携わるようになったきっかけは、私の尊敬するタナカ先生が
テレビ出演のために局へ行かれる時に、アシスタントとして、連れて行っていただいた
のが最初です。
次にテレビ局に連れて行っていただいたのは、新しく始まる情報番組の料理コーナーの
監修をタナカ先生がされることとなり、その番組の企画会議の席でした。
そして、その料理スタッフとして声をかけていただいたのでした。
月曜日から金曜日まで毎日、生番組の中の料理コーナーに出演いただくのは名古屋の
ホテルや有名店の料理長の方々で、1週間連続でお料理を教えてもらうというものでした。
毎日が新しいことの連続で、充実した期間であったことを思い出されます。
一流の料理人の仕事が毎日、まじかで見ることができることが、私にとってはたいへん
魅力的で、好奇心が刺激されるのでした。
その後、他の局でも仕事をさせていただくようになり、いつしかこれが私の仕事の
柱になっていきました。
その時にお世話になった料理長やシェフの皆さまには、当時何も知らない無知な料理スタッフであったことをお許しいただきたいと思うと同時に、
それでも未だに、仕事でお付き合いいただき、お世話になっているシェフや料理長には感謝の気持ちでいっぱです。
私が料理で自立できるようになっていった、ひとつのきっかけがこのテレビの料理の
仕事だったと今になっては、思えるのです。
そのきっかけを作っていただいた、タナカ先生に感謝!
テレビの仕事を教えてくださった、凄腕ディレクターのキタオカ女史、感謝しています。
でも、まだテレビはありません。
当時、キタオカ女史によく言われました。<いいかげんにテレビ買ってください!>と。
また機会があれば、料理の仕事での自立についてお話できたらと思っています。
私がテレビの仕事に携わるようになったきっかけは、私の尊敬するタナカ先生が
テレビ出演のために局へ行かれる時に、アシスタントとして、連れて行っていただいた
のが最初です。
次にテレビ局に連れて行っていただいたのは、新しく始まる情報番組の料理コーナーの
監修をタナカ先生がされることとなり、その番組の企画会議の席でした。
そして、その料理スタッフとして声をかけていただいたのでした。
月曜日から金曜日まで毎日、生番組の中の料理コーナーに出演いただくのは名古屋の
ホテルや有名店の料理長の方々で、1週間連続でお料理を教えてもらうというものでした。
毎日が新しいことの連続で、充実した期間であったことを思い出されます。
一流の料理人の仕事が毎日、まじかで見ることができることが、私にとってはたいへん
魅力的で、好奇心が刺激されるのでした。
その後、他の局でも仕事をさせていただくようになり、いつしかこれが私の仕事の
柱になっていきました。

その時にお世話になった料理長やシェフの皆さまには、当時何も知らない無知な料理スタッフであったことをお許しいただきたいと思うと同時に、
それでも未だに、仕事でお付き合いいただき、お世話になっているシェフや料理長には感謝の気持ちでいっぱです。

私が料理で自立できるようになっていった、ひとつのきっかけがこのテレビの料理の
仕事だったと今になっては、思えるのです。
そのきっかけを作っていただいた、タナカ先生に感謝!
テレビの仕事を教えてくださった、凄腕ディレクターのキタオカ女史、感謝しています。
でも、まだテレビはありません。
当時、キタオカ女史によく言われました。<いいかげんにテレビ買ってください!>と。
また機会があれば、料理の仕事での自立についてお話できたらと思っています。