現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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私説 源氏語り22

2013-09-29 | 源氏語り
藤壺の宮のところで管弦の遊びなどをなさっている。 そこへ帝が若宮を抱き上げて出てきたのである。 この物語りのクライマックスであった。 筋立てを追い、物語を読み、そう思う、それは知らない、知らされない場面でもある。   れいの、中将の君、こなたにて御あそびなどし給に、いだきいでたてまつらせ給ひて しかし、これは作者が用意した世代物語の伏線となっていたのだった。 だれも同じシーンがふたたび、あるとは、思ってもみないことであろう。 紅葉の賀から柏木まで、時を経て語られた、輪廻と言うべきか このことは物語を追えば、ふつうに見て取れる。 読み取れることである。 そうか、源氏物語をわかるとはこういうことだったのかと、ひとり合点をしたのであった。 光源氏の物語ではない、輝く日の宮の物語である、男の青春や栄耀栄華を描くものではない、女の宿世を描くものである。 源氏物語思想があるとすれば、やはり作者は書き手、語り手の仏教的因果律による世界観にある。 . . . 本文を読む

うつとりと実のつて

2013-09-29 | わくわく
八木重吉の詩があった。  秋になると / 果物は何もかも忘れてしまって / うつとりと実のつてゆくらしい 詩題は、果物 これで詩のすべてである。その詩集を取り出す。この詩は、まずしき信徒 に収められている。その次に、壁 と題する。  秋だ / 草はすっかり色づいた / 壁のところへいって / じぶんのきもちにききいっていたい  この詩集を手に入れたのは裏表紙の書き込みによれば、1966年、昭和41年1月のこだ。そこに、初めて自分で手にしたお金で買う、とある。その前に、昭和40年暮れ百貨店の配達アルバイト 自由にできると思い嬉しくて嬉しくて、新本特価市なるもので、こんなものを買う、としたためて、この詩集の価値を知るとある。 ひとつのながれ  ひとつのながれ / あるごとし / いずくにか 空にかかりてか / る る と / ながるらしき  この本をくるんだハトロン紙に詩を抜き書いている。 いつわりのない  こころをもとめ  あいてのないこころをいだき  きょうはすぎた  あしたもゆこう . . . 本文を読む

日本語教育の歴史

2013-09-28 | 日本語教育の歴史
日本語教育の歴史は日本独立とともに始まる。日本独立はいつか。近年では1945年を境に大日本帝国から連合軍による被占領国となり、日本になったのは1952年である。その時期以後に賠償留学生を迎える動きがあった。そのうちに、インドネシアからの留学生がいた。学制百年史文科省の白書によれば国費外国人留学生制度は1954年に始まる。東南アジアの留学生の受け入れが行われた。国費に対して私費留学の受け入れもあった。そのような留学生の受け入れに賠償留学生がいた。留学生の受け入れには日本語教育がともに行われた。ここでは、日本語教育の歴史の視点に留学生の受け入れを持つ。第2次大戦の戦前、戦中と戦後に分けることができる。いま、留学生の日本語教育に戦後の日本語教育史の展開を見ようとする。経済復興と国際社会への復帰による日本の歩みとともにある日本語教育である . . . 本文を読む

内在律

2013-09-28 | 日本語百科
詩の韻律で外在律、内在律をいうと、内在律は自由律、無韻律ともいわれて説明する。とくに俳句において自由律俳句についてみると、季題にとらわれず、感情の自由な律動を表現することに重きが置かれるとされる。詩形において韻をそろえる、行に語を繰り返す、そして連を構成して韻律を作り出す。外在律だけが詩のリズムとなり得ない。形式だけの詩においては定型と言いうる技巧に走ったものとなろう。短詩形においてはリズムをどう作り出すかが工夫されて自由律におよんだ。詩の言葉が持つ響き、意味内容に、詩の作り手が韻律を作るべく謳いあげるので、内在律としてのリズムはやはり表現にある。語そのものであるし、またそれによって連想されていく詩の世界にリズムを見出すことになる。情があればその連鎖に表されるもの、空間や時間の連続においてもあらわされるだろう。 . . . 本文を読む

日本語語彙論 語について

2013-09-28 | 語と語彙
語彙の論は、語の論とは分野を異にする。しかし扱うのは語であるから、語彙をとらえるには語とはなんであるかを明らかにする必要がある。語は文法の論で明らかにされることがあった。それは文における語のとらえ方である。文を分析して語を単位とした。国語の文法で分節としたのは、語をふたつに分類して、自立語と付属語に分けていたからであるが、それを一つの単位に文節とした。文の構成要素を示す。しかし自立語を語として、付属語を同じ語として扱うにはその語の意味、働きからおのずと違いがあるので、文法論では国語の文法の分析とはちがって、語を形態論で扱うことになる。それまで文節を意識して国語を使ってきたので、そのわけ方については十分に国語として理解をしたうえであらためて、形態論の考え方による語の形態を見ることになる。語が意味の最小単位となるか、さらに意味の最小単位を分けることができるなら、それが文法論の形態において分けることになる考え方がある。それは付属語は語の単位とならない。 . . . 本文を読む

私説 源氏語り21

2013-09-28 | 源氏語り
  げにかよひ給へるこそはとおぼしけり このときの父帝のきもちはどうであったろう。   ぼうにもすぇたてまつらずなりにしを   ただ人にてかたじけなき御ありさまかたちに 物語りは、立坊がかなわず、臣下にしたことを、帝の思いとしている。 ここに源氏物語のテーマがあらわされている。 筋立てにおいて、そのあとに藤壺の御殿で、いつものように中将の君があらわれて管弦の遊びなどをするというのだが、そこには・・・・ 帝は光源氏をこよなく愛していたので、立太子がかなwなかったことを   あかずくちおしう 思い続けていた。 臣下にするには器量があまりにもすぐれていたため、その成長するすがたを見るにつけ   こころくるしく と、お思いになっていたのである。   おなじひかり で生まれてきた若宮をこの上もないものと思い育てようとなさる。 それを見る母、藤壺は   むねのひまなく 気が気でない、という場面に、帝が若宮を抱き上げ、そこに光源氏は出会わすことになる。 . . . 本文を読む

ネット探偵、魚拓

2013-09-28 | 日記
ネットの、探偵 と、魚拓 と、ネットでの話題だ。復興不要と書き込んだ匿名のブログにネットで炎上し、ついに突き止められた、というニュースが報じられた。ひどい話だ。書き込みは2011年9月のもの、それがここ数日でネットに身元を割り出したと24日に実名と肩書がが広まり、騒ぎになって知られるようになった。そのブログでは、ほかにも書き込みの内容にひどい文言があった。閲覧者が身元を割り出したその様子が次々と明らかにされている。ブログは削除されて、いまは見られないが、それをサイトで次々に転載して内容が暴かれた。そのき込が誰であるかをネットの探偵が突き止めたというわけだ。さらにはけしても、そのままコピーされて、魚拓 というふうにして、残っている。悪口雑言の類に限らず、ネットに書き込んだ失言は消えることはないのである。 . . . 本文を読む

勝てば官軍

2013-09-27 | わくわく
星野監督の談話は素晴らしかった。いわく、  >就任当時、いきなり大震災があった。これは前を向くしかないと。被災者の皆さんに強さを見せて、少しでも心を和らげてあげたかった。これで全てをお返ししたわけではないけれど、東北の皆さんと一緒に歩んでいこうと思う。  と、すべてをお返しと言うのはなんだろう。思いがあるのだろう、どんな思いか。仙台市の市長はチームを誘致をした人だった。いわく、   >球団創設時、仙台市市民局次長として東北楽天の誘致に関わった奥山恵美子市長は「106万市民が9年間待ち望んだタイトル獲得が実現し、うれしい。選手や監督、ファンが喜ぶ姿に胸が熱くなった」と話した。元楽天監督の野村克也氏は、  >星野監督の手腕じゃないか。私の時の選手は田中と嶋くらいしかいない。自分が監督の時も社長や球団代表に、中心なき組織は機能しないと口酸っぱく言っていた。野球はエースと4番がしっかりできれば後は枝葉だから、それが今はできている . . . 本文を読む

音韻律

2013-09-27 | 日本語百科
詩のリズムとは韻である。音韻律であるが、日本語では音数律になる。音節の数を言う。あの五七調とか七五調である。この韻律をアクセントによるとするのが文芸における詩である。しかし日本語はそのアクセントに因らない。音節のまとまりを仮名文字ごとに作る日本語で、そこで音がまとまるためである。音がまとまると言うのは聞こえのことである。音韻律は音声をそろえることで頭韻、脚韻など詩をまとまりやすくした。それは行に韻を踏む語を置くことで頭韻はその詩の始まりの韻、脚韻はその詩の語の区切りをとらえる。言い換えれば詩は歌うのでわかりやすく聞きやすくしようとしたのである。その韻に導かれてアクセントをもつ語のリズムをもってその詩の独特の調子を作りだした。日本語のリズムはその音のまとまりを音節の聞え、すなわち母音で聞き取るので母音の音数がきわめて大きな特徴になる。それは特徴と言いながら5音に集約されるので単調な韻となってしまう。 . . . 本文を読む

語彙論再説

2013-09-27 | 語と語彙
語彙論はさまざまな日本語の現象を明らかにした。 その分析によってわたしたちの日常生活の語が捉えられる。 用語として、理解語彙と使用語彙、これはまた発表語彙でもある。 学習語彙として、基礎語彙、基本語彙など、具体的なことがらがわかるようになった。 日本人の成人が持つ日本語の語彙量はどれだけであるかが、この時代にあってのことであるが、調査によって推測できるようになった。 語を語彙項目にしてひとつひとつ、数えることから計算機の処理によって統計手法において示される。 基本語彙の説明で、基礎語彙の解説に合わせて世界大百科事典 第2版の解説には、単語の使用度数などを調査し、ときにはこれに主観的な増減を加えて、一定限度の語彙を選び出すことがある、このようなものを〈基本語彙〉と呼び(ときには〈制限語彙〉ともいう)、日本の英語教育でも中学・高校の〈必修語彙〉が定められている、というように解説する。 語の使用頻度を確かにすることで、重要語を選定する。このことは、それまでの基礎語彙が研究者、教育者によって主観的に学習語彙として選定されるのを統計データで明らかにするといえよう。 . . . 本文を読む