MAZUIDEごじゃりまする・・。
今転載中の「川柳250年史」を会社に忘れてしもうたでアリンスよ。
何を書こうかキーボードを打ちながら考えているのですが、「さて?」・・頃は元禄、桜のお江戸、鎖国文化も華々しい江戸前期と来たもンだ・・町人文化が栄えに栄え徳川綱吉の時代というのだから・・私の頭はこんがらかる・・綱吉って「生類あわれみの令」なんてやった方ではなかろうかいなー。元禄時代に住んだことがないから良くわかりません。
東京蔵前国技館の正面右隣の「江戸東京博物館」に行かれると、往時の江戸文化が信じられないくらい大きくて広いスペースで展示してあります。
まるで、バベルの塔ではなく、「バブルの塔」のような豪華で立派な内容でありますので、興味のある方は、お相撲さんの部屋が立ち並び、夜はいくらでも有名力士も出歩いている両国まで足をお運びクダサイませ。
深川の「きやり」なんぞもお正月に見ることが出来ます。赤穂浪士の「吉良邸」も瀟洒に残っています。そこは、今でも確かに江戸文化がなーんとなく感じられるところであります。
浅草生まれの「川柳」にゆかりのある、小唄があります。
花の雲 鐘は上野か浅草か ゆかりの色のはちまきも
江戸紫や伊達姿 堤(ちょうちん)八丁衣紋坂 大門くぐる
助六にきせるの雨がふるように
歌舞伎十八番「助六由縁江戸桜」のあの助六が、吉原一の遊女揚巻に逢いに行く艶姿を謡ったものだそうです。
この原本は最後、心中で終わると言うのですから、もったいなや・・もったいなや。
この詩で興味深いのは、「江戸紫色」(のりの佃煮ではありません)という、当時はバンダナのように頭に縛り、おしゃれを競って楽しんだというのですから・・日本人の「美意識」がこんなところにも表れていて、楽しくなってしまいます。
特に、助六さんの「江戸紫」の染め上がりと美男はピカ一であったそうです。
そして、一番素敵な場面は当世評判のモテ男助六、ほかの遊女たちが大門から「揚巻」のいる「三浦屋」までの訪ねて行く途中の界隈で「助六さん、揚巻のところばかり行かないでたまには、私のところにもちょいと、寄っておくれでないかい!」と「キセル」で助六を呼び止めようとする。
遊女たちにとってもかっこいい「あこがれの助六」
さながらその姿は、大門から奥の「三浦屋」まで、きせるが波打つ。
「きせるの雨がふるように」
という七五調の一節が・・大層お気に入りのWATIKIであります。