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雲の切れ間に浮くわいなーぁ E

2008年02月10日 | 川柳
            鎖国300年の、江戸時代。

       よくもまあ・・300年も続いたわいなあと思う。

 当時の世界の先進国から見れば、自閉症の国のように映っていたのではないだろうか。

 功と罪はあるにしても、現存する私たちの「足裏」に続く庶民文化が、間違いなく継承されているのはありがたいこと、ありがたきことでございます。

 その生活文化の歴史が今でも、デパートの催事の企画やデザイン、ひっくるめると「販売促進のアイディア」の宝庫が、「歌舞伎の興業」の方法・手段であったり、国技の「相撲場所」の呼び込みにその「原型」を見ることがあります。

 他にも「寄席」などの、お客様を呼び込むさまざまなアイディアに、江戸時代の集客能力の高さを感じずにはいられません。

 経済が繁栄すると、すべての文化・文明もいろいろと活発に萌芽するのですが、特に元禄時代は、大衆が自ら勝ち取った「ゆとりの時代」なのではないでしょうか。

   何といっても財力のある「商人」の地位を確立した時代でもあります。

 悪しき官民の癒着なども、ここから考えてみることが大切なのではないでしょうか。

 「お上」と呼ばれる「お武家様」は、今の「官僚制度」の産みの親でもあり、未だに続く永田町への市町村の首長・財界人(大棚のご主人)の大名へのご挨拶「陳情」などは、まだ、まだ、脈々と私たちの税金を、飛行機に乗せ羽ばたいたまま花のお江戸の赤じゅうたんに頭を下げさせる悪しき艶姿であります。

 陳情の後、赤坂あたりで、皆仲良く一献差し向かえた時代も少しは陰を潜めたものの、その本質は相も変わらずであります。

 江戸時代300年間のすばらしい軌跡は何と言っても
             「戦争が無かったことでしょう。」

  鎖国も解け、

 明治維新を手にしたはずの志士たちの「理念」「信念」は今、いずこ・・。

自由主義という履き違えのわがままな靴の上で、親殺し・子殺しの事件が絶えない現代。
 
  平成20年。

   資本主義の理想も妄想も「アメリカの主さんに貢ぐばかりの儚きJAPAN」

元禄の袖に隠した庶民の涙も、あの雲の切れ間に、あ・ちょいと、浮くわいなーぁ・・。



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