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川柳・政治・時事・エッセイ

産みの浅草・育ての下谷(しもや)

2008年02月05日 | 川柳
               尾 藤 三 柳

 江戸は東京と変わりましたが、なかんずく浅草と下谷(現在の台東区)は川柳と切り離せない深い縁をもっています。

1は、浅草新堀端天台宗龍宝寺門前の点者(選者)柄井川柳、1は、柳多留の板元、下谷東比叡山下竹町2丁目の書肆花屋九冶郎、1は、浅草・下谷の境に住む川柳風の指導者で柳多留の編者、呉陵軒可有。

 この三者の力で、この文芸が天下を取ることになりますが、私はこの三者を結ぶ浅草・下谷にまたがる三角形を、川柳発祥のトライアングルと呼び、また和歌三神になぞらえてこの三人を「川柳三神」と称号しています。(1は地図の記号)

 川柳という文芸は、この三角形の中の浅草で生まれ、下谷で成長して、江戸全域に発展していきました。

         五番目は同じ作でも江戸生まれ  タル5

 これは、冒頭の「日本橋」と同様、250年前の第一回開キで勝句となった13句中の一句で、前句も同じ「にぎやかなこと にぎやかなこと」です。
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