尾 藤 三 柳
江戸は東京と変わりましたが、なかんずく浅草と下谷(現在の台東区)は川柳と切り離せない深い縁をもっています。
1は、浅草新堀端天台宗龍宝寺門前の点者(選者)柄井川柳、1は、柳多留の板元、下谷東比叡山下竹町2丁目の書肆花屋九冶郎、1は、浅草・下谷の境に住む川柳風の指導者で柳多留の編者、呉陵軒可有。
この三者の力で、この文芸が天下を取ることになりますが、私はこの三者を結ぶ浅草・下谷にまたがる三角形を、川柳発祥のトライアングルと呼び、また和歌三神になぞらえてこの三人を「川柳三神」と称号しています。(1は地図の記号)
川柳という文芸は、この三角形の中の浅草で生まれ、下谷で成長して、江戸全域に発展していきました。
五番目は同じ作でも江戸生まれ タル5
これは、冒頭の「日本橋」と同様、250年前の第一回開キで勝句となった13句中の一句で、前句も同じ「にぎやかなこと にぎやかなこと」です。
江戸は東京と変わりましたが、なかんずく浅草と下谷(現在の台東区)は川柳と切り離せない深い縁をもっています。
1は、浅草新堀端天台宗龍宝寺門前の点者(選者)柄井川柳、1は、柳多留の板元、下谷東比叡山下竹町2丁目の書肆花屋九冶郎、1は、浅草・下谷の境に住む川柳風の指導者で柳多留の編者、呉陵軒可有。
この三者の力で、この文芸が天下を取ることになりますが、私はこの三者を結ぶ浅草・下谷にまたがる三角形を、川柳発祥のトライアングルと呼び、また和歌三神になぞらえてこの三人を「川柳三神」と称号しています。(1は地図の記号)
川柳という文芸は、この三角形の中の浅草で生まれ、下谷で成長して、江戸全域に発展していきました。
五番目は同じ作でも江戸生まれ タル5
これは、冒頭の「日本橋」と同様、250年前の第一回開キで勝句となった13句中の一句で、前句も同じ「にぎやかなこと にぎやかなこと」です。